●13.立候補
「パワハラ、セクハラ、脱税の三重苦の田中清一氏、議員辞職しても野党が収まり切れず解散総選挙とは、相変わらずだな」
林原は党本部でネットのニュースを見ていた。
「このようなことは日本だけではないですよ。ドイツでもありましたから」
ベルガーは明日ベルリンに向かうので、書類などを整理していた。
「相変わらずベルガーさん忙しいですね」
「でもここなら、成田にも行きやすいから助かります」
「…ん、待てよ。東京24区の与党議員の田中が辞職したのだから、保守系の受け皿になれるな」
林原はベルガーの言っていることを上の空で聞いていた。
「ベルガーさん、私は八王子に住民票がありますし、国会議員になれる絶好のチャンスが来ましたよ」
「ええっ、なるほど、行けそうじゃないですか」
ベルガーは目を少し丸くしていた。
「春奈さん、さっそく供託金を準備してもらえますか」
林原は、意気揚々としていた。
安藤電機工業の事務所の一画に林原征志朗の後援会事務所が設けられていた。
「林原さん、私に任せてくれれば、当選間違いなしです。八王子の商工会議所に投票を呼び掛けますから」
安藤社長は、会うたびに若返っていく雰囲気があった。
「そう言っていただくと心強いです」
「これで国会議員になってアメリカでのロボットの販路を切り開いてもらえれば、万々歳です」
「スティーブ・シムズ氏のツテで押してみます」
「あの、シムズ氏と知り合いなのですか」
「あぁ、はい」
林原は顔見知り程度だが、言葉を引くに引けなくなっていた。
「皆さん、最近何かにつけてグローバル化の波に押され、日本の形がどんどん変わっていくように感じませんか。日本古来の伝統は悪と見なされつつあります。そこで我々の主張は党名が示す通り、郷に従えです。これの詳細はネット上に掲げられていますし、この特大QRコードでアクセスもできます。今ここで大声を張り上げる必要ないのです。しかし本日、この街頭において騒音をほんの少しだけまき散らすことをお許しください」
林原は八王子駅北口のペデストリアンデッキに設けられた演説台の上に立っていた。すぐに左派系新興政党の選挙カーがデッキ下の通りに2台でやって来ると、デッキ周辺を行ったり来たりし始めた。
「排外主義者、排外主義者、排外主義者、排外主義者!」
左派系政党の悪意に満ちた甲高い声が大音量で叫ばれ通過した。
「グローバル化を遅らせる愚弄者は消えろ、消えろ、消えろ」
もう一台が陰険な野太い声とともに太鼓や銅鑼を叩きながら、非常にゆっくりと通過して行く。
「えーっ、これってナチス紛いの極右政党ですか。極右、極右、極右、極右」
再び左派系政党の甲高い声が大音量で叫んでいると、警官が早く行くように誘導していた。
「励ましの声をありがとうございます」
林原は皮肉っぽく言っていた。
「とぼけた野郎だぜ、罵倒の声なんだけどな!」
左派系政党の野太い声がUターンしてきた選挙カーから大音量で聞こえてきた。近くの警官が警笛を吹いて呼び止めようとしたが、そのまま通過して行った。
「我々を排外主義者で極右だと批判しても結構です。しかし日本をまともな国にできるのは、郷に従え党です。投票所に行けば、投票記載台は周りを囲まれています。誰も覗き込むことはできません。こっそり本音を吐露して、林原征志郎の名と郷に従え党と書いてくれれば良いのです。また出口調査や世論調査がリアルな結果と大きく差が出るのも面白くありませんか。日本は民主主義の国です。隠れ郷に従え党でも誰からも咎められないのです。とにかくあなたの一票が日本を変える一歩になります」
「昼間、演説中に妨害行為があったから、念のために君たちを呼んだのだが、出番がないことが一番だよ」
林原は田沢と彼が連れてきた3人の若者の前に立っていた。
「林原さん、最近の選挙は暴力沙汰にもなりかねませんから、しっかりとお守りします」
「田沢君は、自衛隊上がりでも、まあ、無理はしないで欲しい。暴漢を警察に突き出す程度で良いから」
「手製の銃とかの場合は、悠長なこと言ってられません。撃たれる前に対処しないと…」
「怪しい人物がいたら、取り押さえてくれ。でもまだ私は殺される程、重要な人物ではないから嫌がらせ程度だろうな」
「嫌がらせと言っても変な奴がいますから、360度警戒します」
「SPばりの君たち親衛隊がいるから安心だよ」
「林原さんって、アイドルばりに親衛隊がいることになるんすか」
田沢の隣にいた男がぼそりと言った。
「親衛隊というとナチスとかアイドルとか、いろいろなイメージがついてしまうな。君たちのネーミングを考えないと…何かあるかな」
林原はニコやかに語りかけていた。
「シャドウ・ガーディアン、SG何てどうです」
ゲーム好きな田沢は思わず口にしていた。
「…ゲームみたいだから、ドウをドーにし複数形にしてシャドー・ガーディアンズでどうだ」
「略称はどうしますか」
「エース級の一番隊ということで、略称はSG1で行こう」
「はい」
4人は口を揃えて返事をしていた。
「それでこの後援会事務所は手狭だから、選挙期間中は高尾山口の私の店で寝泊まりしてくれ」
深夜、林原は枕元のスマホのビープ音で目を覚ました。後援会事務所に設置された監視カメラの画像をAIが判断し、何らかの危険を察知したようだった。昼間の警護の英気を養うということで、ぐっすりと寝ていたSG1の面々も起こした。
「林原さん、何回も往復しているバイクが、怪しいってAIが判断したんですか」
田沢は監視カメラから転送された映像をモニターで見ていた。
「どうも安藤電気工業の工場と後援会事務所の位置を確認しているようだな。行くぞ」
林原は寝癖をつけたまま、4WD車のキーをつかんでいた。
安藤電気工業の前の街灯は壊され、後援会事務所の周辺は暗がりになっていた。暗がりの中の人影が石を投げて、窓ガラスを次々に割っていた。後援会事務所の前にバイクが5台止めてあったが、林原の4WD車が突っ込んできて急停止して、全部なぎ倒した。人影は、構わずに事務所の中に入って行った。
林原の車のドアが開き、5人が飛び出してきた。事務所の中では人影がガソリンをまいていた。
「やめろ!」
林原が怒鳴るが、あっと言う間に点火され、書類などが燃え始めた。炎で明るくなると、キャップを被り黒いマスクをした6人が、火を消そうとする林原たちに、サバイバルナイフ
などを振りかざして襲ってきた。
「この糞野郎」
田沢は手にしていた木刀を振り回し、黒マスクの男のナイフを吹き飛ばしていた。SG1の榊原が消火器で消火をしていると、背後から襲う黒マスクの男がいた。気が付いた林原は、近くにあったモップで、その男を突き飛ばした。SG1の佐々木は3段伸縮型の警棒でナイフをかわしながら、一歩踏み込んで相手ののど元を突いていた。榊原が空になった消火器で黒マスクの男を殴ると、帽子が吹き飛びふらふらと倒れた。
「榊原、それを放ってくれ」
林原は、飛んできた空の消火器をキャッチすると、近くにいた黒マスクの男に食らわせていた。
この騒ぎを聞きつけた、安藤社長も事務所に入ってきた。
「林原さん、警察を呼びました」
「ありがとうございます」
「てめぇら、動くな」
黒マスクの男の一人が拳銃を構えていた。黒マスクの男たちは、全員血まみれで骨折か打撲をしていて、ふらふらしていた。
「林原さんよ、あそこの軽トラ、ここまで持って来い」
「あれか」
しぶしぶ手を挙げている林原は軽トラの方へ歩いていく。林原は隙あらば、襲い掛かるつもりであった。
しかし隙はなく、軽トラを持ってくるはめになった。
黒マスクの男たちは一人が軽トラの運転席に座り、残りが荷台に乗り、最後に拳銃を持った男が荷台に乗った。
「お前ら、何者だ」
林原がうなる様に言った。
「そんなこと白状するわけねぇだろう」
「その銃、偽物です!」
田沢が目を凝らして拳銃を見ていた。
「この野郎!」
林原は、荷台に載せてあった鉄パイプを手にしたが、軽トラは急発進した。林原は手にした鉄パイプに渾身の力を込めて投げた。軽トラの運転席の後部の小窓が割れて突き刺さった。それでも軽トラは突き進んで行った。
後援会事務所は半分近く焼けて黒こげになり、煤けた臭いを漂わせていた。駆けつけた警察官たちは、現場検証をしていた。
「林原さん、お怪我はありませんでしたか」
手の空いてる警官が敬礼をして話しかけてきた。
「まぁ、なんとか。しかしたちの悪い連中ですね。犯人の手がかりは何かありましたか」
「あそこにあるバイクは全部盗難車でした」
「選挙に立候補しただけなのに…、日本も治安が悪くなりましたね」
林原はため息をついていた。警官は別の警官に呼ばれ、立ち去って行った。
林原と田沢は手にしていた木刀などを傍らに置いて警官たちの様子を見ていた。鑑識の人が近寄り、血が付着している木刀を拾い上げ、じーっと見ていた。
「こちらはDNA鑑定しますので、鑑識で預からしてもらいます」
鑑識の人は一礼して去って行った。
「今回、ひと暴れさしてもらいましたが、林原さんも結構やるじゃないっすか」
「本性が出てしまったかな。それはそうと、奴の銃が偽物と良くわかったな」
「本物の銃の扱いに慣れてない持ち方でしたから」
「それじゃ偽物かどうかの確証はなかったのか」
「…でも、あの慌てぶりですし、もしあれが本物でも、撃ったら狙いを外すことは確かです」
選挙結果はかなり接戦だったが当選であった。半焼した後援会事務所には、両目が黒く塗られた達磨が置いてあった。郷に従え党が1議席獲得したことや、後援会事務所が襲撃されたことは、マスコミにほんの少しだけ報道されただけであった。初登院の日、林原はスーツを着たSG1に囲まれながら、国会議事堂に向かった。