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第14話

騎士組との一件から一夜明けた学園には、ほんのわずかに空気の密度が変わったような気配が漂っていた。緊張でもなければ敵意でもない。ただ、何かが“注がれている”──そう、視線だった。


授業中も、廊下でも、食堂でも──ティーナが通り過ぎるたび、誰かの動きがぴたりと止まり、すれ違いざまの囁きが、薄い羽根のように耳元を掠めていく。


だがその視線の波の中にあっても、ティーナ本人は、いつもとまったく変わらぬ様子で椅子に腰を下ろしていた。ぱたんとノートを開き、ペンを持つ手にも迷いはなく、ページをめくる指先は、いつも通り淡々としていた。


昨日、あれだけの騒動があったにもかかわらず──いや、むしろ“あったからこそ”、ティーナの中ではすでに『力を抑える』という、揺るぎない方程式が成立していたのだった。


「……ティーナ、ちょっといい?」


昼休み。教室の隅で、お弁当を広げていたティーナのもとへ、そっとミーナが近づいてきた。声の調子は控えめなのに、その瞳だけが真剣そのもの。まるで学園の命運を背負う軍師のような眼差しだった。


「今、すごく噂になってるのよ。昨日のこと……裏庭で、騎士組を相手にしたって!」


ティーナは箸を止めて、ぽかんと目を丸くし、まばたきを一度だけ。次の瞬間、やや首を傾けた。


「……そう、なんですか?」


そのあまりに素っ気ない反応に、ミーナの口が「へ?」と形を作る。


教室内の雰囲気も、数日前とはすっかり様変わりしていた。「男爵家なのに」「どうしてあの子ばかり」──そんな冷ややかな言葉は跡形もなく消え去り、代わりに湧き上がっていたのは、静かで澄んだ“注目”だった。


ティーナがページをめくる。するとその動き一つにさえ、生徒たちの目が吸い寄せられる。ささやかな仕草のはずなのに、そこに宿る“何か”に心を奪われてしまうのだ。


もはやその視線には、嫉妬の棘も疑いの色もなかった。憧れ──それが、教室全体を包む新たな空気へと変わっていた。


だがその空気を、いとも簡単に切り裂く音が響く。教室の扉がバンッと開かれ、全員の視線が、吸い寄せられるようにドアのほうを振り向いた。


その先に立っていたのは──


まばゆいばかりの光背を纏った、三人の青年たち。ユリウス、セイル、レオン。学園の象徴とも言えるイケメン三銃士が、なぜか絶妙な間合いで、まるで約束されたかのように揃って登場していた。


教室が「ざわっ」と揺れる。物理的な振動はなかったが、空気は明らかにきらびやかに跳ね上がっていた。


「ティーナ、大丈夫だったのか? 昨日のこと……本当に、何もされなかった?」


最初に口を開いたのはユリウスだった。近寄るなり、その眉は困ったように寄せられ、まるで彼女の兄のような、いや、どこか保護者のような雰囲気でティーナを見つめていた。


続いて、セイルが腕を組んだまま、鼻で笑うようにふっと口元をゆるめる。


「まったく……俺を通さずに勝手に手を出すとは、なかなかの無礼だな。今度は、こっちから“返礼”にいこう」


そのセリフに、教室の男子数名が思わず身震いをしてた気もしたが──まあ、気のせいだろう。


そして最後に、レオンが“全力全身全感情”を込めた思いで、ティーナの手を握りしめた。


「ティーナちゃん、ほんとに無事でよかったぁぁぁ! お願いだから次からは僕らに頼って! 全力で! 誠心誠意で! すべてを懸けて!」


……教室内、沈黙。


女子生徒も男子生徒も、まるでドラマのクライマックスシーンを目の当たりにしたように、ぴたりと動きを止めていた。


その光景は、もはや誰も茶化すことができなかった。これまでなら「またイケメン劇場始まったわ」と軽口の一つも飛んでいたはずなのに──


今、そこにあるのは、ただただ目を奪われるほどの、三人の“真剣な想い”だった。


しかもそれを向けられているティーナ本人はというと──


なぜか少し困ったような顔を浮かべ、やんわりと微笑みながら、ゆっくりと首をかしげていた。


「……ありがとうございます」


そう言って、お辞儀を一つ。深すぎず、浅すぎず、完璧な角度で。


あまりにも自然体すぎるその所作に、教室内の空気がまたひとつ、ぐらりと揺れた。


「……そろそろ、次の授業が始まるのではないでしょうか?」


ぽつんと放たれたその言葉が、まるで呪文のように皆の時間感覚を取り戻させた。


「はっ」となったのは、ユリウスたち三人だけではない。教室にいた全員が、同時に現実世界へと引き戻されたような、妙な同時反応だった。


「……そ、そうだな」


「ちぇっ、もうちょっと話したかったのに」


「またね! ティーナちゃん!」


名残惜しげにそれぞれの方向へと散っていく三人の背中には、なぜか“追い出された”感がたっぷりと滲んでいた。


──


一方その頃。


王城の、いつも以上に豪奢な応接室では。


アルヴァン王子が、テーブルを囲んでぐるぐると旋回していた。何周目かは、もはや数えきれない。


「だから! 君はわかっていないんだ、シグルド!」


「はいはい。えーっと、今日の分、31回目っと」


ソファに腰を深く沈めたまま紅茶をすするシグルドは、手元のメモ帳に何かを書き込みながらも、片手間の相槌だけは律儀に返している。


「ティーナ嬢を守れるのは、私しかいない! 私が……!」


「だから“救いたい”んだよね。はい、32回目ー」


シグルドはようやく紅茶を飲み終え、ふうっとため息ひとつ。そして、眉をわずかに寄せた。


「……お前、本当に、それをするのか?」


その言葉には、長年の友としての苦笑と、護衛としての真剣さと、そして──ちょっぴりの呆れが、しっかりと混ざっていた。


──


その日の放課後。


学園を出るころ、ほんのちょっとだけいつもと違ったことがあった。


それは──エレオノーラ嬢のテンションが、大気圏を突破していたことである。


「ティーナってば、あんなにかっこよく立ち回っておいて、自覚ゼロなんて、もうほんっとにずるいですわ!」


「も〜う、惚れ直しましたわよ! いっそ嫁に迎えていただいても結構ですのに!」


全力で抱きついてくる彼女を、クラリスとミーナが両脇から「はいはい、落ち着いて」といった顔で支えていた。


ティーナはというと、そんな様子を前にしても、いつもの通り困ったような顔ひとつせず、ただ静かに歩いているだけだった。


──


そして、夕方。


自宅の部屋に戻ったティーナは、制服のまま椅子に腰を下ろし、窓からの光を静かに眺めていた。


今日も、たくさんの人が話しかけてきた。


ユリウスたち、エレオノーラ、そして──


王子。


あの言葉が、ふと蘇る。


──やっと会えた。


「あれ……どういう意味だったのかな」


そう呟いたあと、そっと両手を重ねる。


「……また、力が暴れたりしないかな」


不安はあった。それでも、その夜は少しだけ穏やかに、眠りにつくことができた。


月の光が、雲間から差し込み、庭の草木を照らしていた。


──


そして最後に、ほんの少しだけ余談を。


かつて、イケメン三人組──ユリウス、セイル、レオンは、ティーナをめぐって、何度となく火花を散らしていた。


剣で、チェスで、論戦で──果ては「どれだけ彼女を遠くから見守れるか選手権」などという謎イベントまで。


だが、いつも決着はつかなかった。なぜなら、三人とも本気だったから。


やがて、彼らは気づいた。


本当に敵にすべきは、他の男たちではなく──


ティーナ自身の“気づかなさ”であると。


以後、彼らは共闘路線に切り替え、固い友情で結ばれていった。


なお、最近では三人で「今日のティーナ嬢の笑顔ランキング」を毎日つけているらしいが──


その活動は、学園七不思議の第六項に登録されたとか、されていないとか。


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