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第18話

陽射しのまぶしい午後、グラウンドには各クラスの生徒たちが続々と集まっていた。

ざわつく声、白線の匂い、砂埃を巻き上げる風。空にはまだ淡い青が広がっている。


「クラス対抗戦、いよいよ開幕ね!」「今日は全力でいくよ!」


意気込みが飛び交う中、ひときわ小柄なティーナの姿は、広いフィールドに少しだけ心もとなく映っていた。

周囲には、男爵家のミーナとクラリス、そして伯爵家のエレオノーラ。親しい仲間たちが、心配げな表情で彼女を囲んでいた。


「ティーナ、本当に大丈夫?」「無理はしないでね」「怪我だけは、気をつけて」


少し離れた男子の輪では、ひとりの生徒がドンパッチに声をかけていた。


「野球、できるのか? 足、引っ張るなよ?」


ドンパッチは、うつむいたまま、かすれた声で答えた。


「……はい。できる限り、がんばります」


その声がかき消されるように、先生の声がグラウンドに響いた。


「初戦の相手、政務研究科に決まりました!」


普通科のベンチから歓声が上がる。


「やった、政務研究科だって!」「これはいけるかも!」


「よし、次のバッター、ミーナ! 頼んだぞー!」


ベンチからの声に、ミーナがバットを担ぎ、軽く笑って応えた。


「まかせて! あたし、こういうの得意だから!」


そして打席に立つと、スイング一閃。打球は勢いよく外野へ抜け、先取点をもぎ取った。


小柄ながらも軽快なフットワーク。何より明るいその性格で、ミーナはムードメーカーとしてチームを盛り上げていた。


守備ではクラリスがファーストで踏ん張っていた。


「ファースト頼むぞ、クラリス!」


「うん、がんばる!」


長身で少しふくよかな体格を活かし、男子の速球も難なくキャッチ。味方からは「頼れる」と称賛の声が飛んでいた。


そして、最も意外な光を放っていたのが、セカンドのエレオノーラだった。

伯爵家のお嬢様とは思えないほど俊敏で、長い手足を活かして華麗にボールを捌く。


普通科は誰もが予想しなかった快進撃を続けていた。

力では劣るはずだった彼らが、強豪を次々と撃破し、ついに決勝の舞台へと辿り着いた。


「普通科が……決勝?」


そんな声が学園中を駆け巡った。


勝ち進むたびに、期待と注目はふくらみ、決勝当日のグラウンドには、熱気とざわめきが渦巻いていた。


そのすべての戦いにおいて、ドンパッチは黙々とチームを支えていた。

華やかさはないが、堅実なプレーで仲間たちの信頼をじわじわと集めていた。


ティーナも同様だった。

派手さはないが、打った球はすべて内野を抜け、空振りはゼロ。

静かに走っているはずなのに、気づけば一塁を抜いていた。


「……全部ヒットって、あれ反則だろ」


そう呟かれるほど、安定感は際立っていた。

ピッチャーも警戒し、ティーナへの投球はフォアボールが続いた。


そして、いよいよ決勝戦。


相手はスポーツ科。

グラウンドに立つ選手たちは、まるでプロを思わせる堂々たる体格と技術。

誰もが「これは勝てない」と思った。


試合が始まると、やはり壁は厚かった。

3回を終えて、スコアは5対0。普通科はリードを許していた。


そして──3回表。

打順8番、ティーナが打席に立った。


「……壊れないように、やさしく振らないと」


そうつぶやきながら、ティーナはゆっくりと構えた。

投手のストレートを見極め、力まずバットを振る。

打球は内野の隙間へ、ふわりと転がっていく。


野手が素早く処理して一塁へ送球──間に合わない。

ティーナは、静かに一塁ベースを踏んでいた。


「まぐれまぐれ、どんまい!」


スポーツ科の声援が飛ぶ。だが、その声に不安が混じっていた。


そして、打順9番。

ドンパッチが打席に入った。


姿勢はうつむき、髪が顔を隠していた。

「これは楽勝だろう」

そう判断したピッチャーが、ど真ん中へストレートを投げ込む。


カーン。


乾いた快音が、グラウンドに響き渡った。


打球は一直線に空を駆け、外野奥へと突き刺さる。

特大のホームランだった。


下を向いたままベースを回り、ドンパッチがぽつりと漏らした。


「……力加減、間違えた」


彼がホームへ帰ると、ベンチは歓声の渦に包まれた。


「おいおい、あれスポーツ科でも無理だぞ!」「なんであんなの打てるんだよ!」


ドンパッチの一打が、試合の空気を変えた──


そして、3回裏。

審判の声が響いた。


「ピッチャー交代、ドンパッチ!」


外野から戻ったドンパッチが、無言のままマウンドへ向かっていく。

乱れた髪に隠れた表情に、観客はまだ戸惑いの眼差しを向けていた。

だが、それまでの活躍が影響していたのか──静かに空気が変わっていく。


「……あいつ、もしかして……」


ざわり、とざわめきが広がった。


見た目は野暮ったい。体型も、スポーツマンには程遠い。

それでも、ドンパッチの立ち姿には、不思議な安定感があった。


投球が始まると、その違和感は確信に変わっていった。


球速は速くない。

だが、リリースの瞬間に見せる手首のひねり、指先の感覚、そしてフォームのしなやかさ。

ドンパッチのボールは、相手打者のタイミングを狂わせた。


スローカーブからストレートへ、ストレートから緩いチェンジアップへ。

緩急の妙で、スポーツ科の強打者たちを次々に打ち取っていく。


いつの間にか、ティーナが出塁するたびに、ドンパッチは打点を重ねていた。

外野の奥へ飛ばすこともあれば、転がすような鋭いゴロもあった。

一本一本のヒットが、確実に点となって積み重なっていった。


5対0だったスコアは、やがて5対3、5対4、そして──6対5。


普通科が逆転した。

気がつけば、最終回、9回裏を迎えていた。


スポーツ科の選手たちがベンチで肩を落としている。

最強を誇っていた彼らが、信じられないという目でスコアボードを見上げていた。


それでも、最後の打者が立ち上がる。

「……意地でも出ろ。普通科には、負けられない」


ベンチから絞り出されるような声が響いた。


ドンパッチは、静かに構えを整えた。

いつもと違う、しなやかで大きなモーション。

左足を高く上げ、体全体をしならせる。


そして、投げた。


ボールはまっすぐ、糸を引くような軌道を描いて、キャッチャーのミットへと吸い込まれた。


キャッチャーが音を立てて尻もちをついた。

バッターは、バットを握ったまま、動けなかった。


ストライク。


その瞬間、審判の右手が高く掲げられる。


試合終了。


グラウンド全体が一瞬の静寂に包まれ──やがて、どこからともなく叫びがあがった。


「ドンパッチ! ドンパッチ!」


観客席、ベンチ、そして普通科の応援団から、声が次々に重なっていく。


「ドンパッチ!!」


コールは波のように押し寄せ、球場を包み込んだ。

その中心で、うつむいたままのドンパッチが、そっと帽子を取り、顔を上げる。


太陽の光の中で、乱れた髪の隙間から、わずかに笑みがこぼれていた。


勝った。

普通科が、スポーツ科に、勝ったのだ──。


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