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第31話

火と矢が飛び交う混沌の只中で、部下が叫ぶ。「敵の大将が前に出ています!」

クラウスは深く息を吸い込んだ。「奴を倒せば、すべて崩れる――付いてこい!」

黒煙の中を突き進み、味方を鼓舞しながら敵将へ肉薄する。

剣と剣が打ち合い、激しい斬り合いが続く。クラウスの刃が敵将の胸を深く貫いた。

「……終わりだ!」


「逃げろ、指揮官がやられたぞ!」

敵兵たちは谷の炎の中で潰走を始め、後方から押されて足を取られ、次々と崩れ落ちていく。伏兵の矢はなおも降り注ぎ、谷は血と煙、絶叫で満ちていた。


味方もまた、多くを失っていた。半数以上が倒れ、残る者たちも血に染まった顔で、荒い息を吐いている。

それでもクラウスは叫んだ。「ここが生き残る最後の道だ! 俺の声が聞こえる者は、敵を打ち払え!」


敵は狭い崖道で前後に分断されていたが、やがて油も尽き、後方の兵たちがじりじりと迫ってくる。

英雄クラウスは、わずか三千の兵で二万の敵軍を壊滅寸前まで追い込んだが、自らの軍もまた大きな損害を受けていた。


しかし、クラウスに自滅するつもりはなかった。壁に囲まれた鍾乳洞を活用し、密かに抜け道を用意していたのだ。それを知る者はごくわずかだった。絶体絶命に見える状況で、敵を誘い込み、勝利をつかむしかなかった。


「生きている者は聞け! 逃げ道はある、すぐに退却しろ!」


絶望しかけていた兵たちに、生きる希望が戻った。こうして、敵を退けながらの退却戦が始まった。


副官が洞窟の抜け道を指し示す。「将軍、こちらです!」

「遅れるな! 怪我人は支えろ!」

クラウスは最後尾で皆の脱出を見届け、追撃してくる敵兵が谷に足を取られて進めないのを確かめてから、自らも仲間のもとへと急いだ。


多くの兵が抜け道を通り抜けた後、クラウスは振り返って叫ぶ。


「貴様らには、土の中がお似合いだ!」


そう言い放つと、洞窟を支える柱を全て一刀両断で切っていく。

地響きとともに洞窟が崩れ、抜け道は塞がれた。


闇の抜け道を抜けると、朝焼けの城都が広がっていた。

泥と血にまみれた兵たちは地に倒れ込み、涙を浮かべている。

クラウスは胸の奥で小さく息をついた。「……これでいい」


城門では避難していた民たちが生き残りの兵士たちに駆け寄り、安堵と歓喜の声が上がる。

クラウスは泥と血にまみれた兵たちと共に城門をくぐった。倒れ込み、肩を貸し合い、顔を上げて泣き笑いする兵たちの姿が城都に広がる。

避難していた民が駆け寄り、傷だらけの兵士たちを抱きしめ、涙と歓声が交錯した。


クラウスは城壁の上に立ち、静かに全ての兵士と民を見渡す。

「この勝利は、名もなき一人ひとりの覚悟によって得られたものだ。ここにいる皆を、心から誇りに思う」

仲間たちもまた、それぞれの顔でうなずき合う。言葉にしなくとも、共に生き残った奇跡と苦しみが胸に刻まれていた。


戦の火は静かに、だが確実に町を包んでいた。

城壁の向こうには無数のかがり火が揺れ、空気を焦がすような太鼓の音が間断なく続いていた。


しかし、老将が率いていた本隊は、なすすべもなく、多くの兵を失っていった。


王の間は奇妙なまでに静まり返っていた。床に広げられた地図の上では、黒い駒が町を囲むように並べられている。老将はその前に膝をつき、長く息を吐いた。


「……勝てません。敵は十万。我らは、もう一万にも届きません。物資も尽きかけ、士気は地を這っております。──もはや降伏以外に、道はございません」


静まり返った部屋で、王はすぐに口を開かなかった。しかし、やがて重々しい声が落ちてくる。「クラウス。そなたは、どう考える?」


老将の隣に控えていた男が、ゆっくりと顔を上げた。戦衣の隙間から見える肌には、傷と疲労が滲んでいた。それでも、瞳だけは濁っていなかった。


「……降伏を、強く推奨します。町を、残しましょう。兵たちも、民も、これ以上は──」


言葉を遮るように、王が立ち上がった。背筋を伸ばし、窓の外の闇に向かって宣言する。


「我は死を恐れぬ。この町と共に朽ちても、構わぬ覚悟である。国の誇りは、たとえ瓦礫に埋もれても残る」


その言葉に、老将は頭を垂れ、クラウスも一礼を返した。──だが、彼らの目には、王の言葉がどこか遠く、乾いて響いた。


その夜。王の命で、地下に待機していた数十名の精鋭が、密かに裏門へと集められていた。誰にも知られぬように、武具は布で覆われ、馬の蹄には布が巻かれていた。


クラウスは気づいていた。いや、確信していた。王は決して町と共に朽ちるつもりなどない──それでも、責める気にはなれなかった。


町の四方は完全に包囲されていた。老将は戦意を失い、兵たちは疲弊しきり、残る兵は千にも満たなかった。


クラウスは地図の前に座り続ける。何百通りもの布陣、伏兵、計略を頭の中で組み立て、崩し、再構築する。しかし、すべては虚無に帰した。敵軍は、敵王自らが率いていた。その軍には統率と意志があり、命令はただ一つ、総攻撃で城を落とす。


もはや、道は一つしか残されていなかった。混乱に乗じて、敵王を討つ。命を捨ててでも──それが唯一、町に希望を残す手だった。


夜が深まる。空を裂くように、角笛の音が響いた。炎が空を染め、矢が雨のように降り注ぎ、門が破られる音が遠くに聞こえる。


混乱の中、クラウスは一騎で門を抜けた。闇に紛れて走るその目は、ただ遠くに立つ敵王の陣だけを見据えていた。


──その途中だった。


裏門の影、厩の奥。王が甲冑に囲まれて馬に乗り、密かに脱出していく姿が見えた。


クラウスは、思わず笑った。それは怒りではなかった。失望でもなかった。


「……この王に、最後まで仕えたのが、私だったとはな」


愚かしい──だが、それが宿命だと思えば、笑うしかなかった。


その夜、小国は燃え尽きた。砦は崩れ、町は灰に沈み、誰の名も記録には残らなかった。

クラウスの姿も、それきり、誰の目にも映ることはなかった。火と矢が飛び交う混沌の只中で、部下が叫ぶ。「敵の大将が前に出ています!」

クラウスは深く息を吸い込んだ。「奴を倒せば、すべて崩れる――付いてこい!」

黒煙の中を突き進み、味方を鼓舞しながら敵将へ肉薄する。

剣と剣が打ち合い、激しい斬り合いが続く。クラウスの刃が敵将の胸を深く貫いた。

「……終わりだ!」


「逃げろ、指揮官がやられたぞ!」

敵兵たちは谷の炎の中で潰走を始め、後方から押されて足を取られ、次々と崩れ落ちていく。伏兵の矢はなおも降り注ぎ、谷は血と煙、絶叫で満ちていた。


味方もまた、多くを失っていた。半数以上が倒れ、残る者たちも血に染まった顔で、荒い息を吐いている。

それでもクラウスは叫んだ。「ここが生き残る最後の道だ! 俺の声が聞こえる者は、敵を打ち払え!」


敵は狭い崖道で前後に分断されていたが、やがて油も尽き、後方の兵たちがじりじりと迫ってくる。

英雄クラウスは、わずか三千の兵で二万の敵軍を壊滅寸前まで追い込んだが、自らの軍もまた大きな損害を受けていた。


しかし、クラウスに自滅するつもりはなかった。壁に囲まれた鍾乳洞を活用し、密かに抜け道を用意していたのだ。それを知る者はごくわずかだった。絶体絶命に見える状況で、敵を誘い込み、勝利をつかむしかなかった。


「生きている者は聞け! 逃げ道はある、すぐに退却しろ!」


絶望しかけていた兵たちに、生きる希望が戻った。こうして、敵を退けながらの退却戦が始まった。


副官が洞窟の抜け道を指し示す。「将軍、こちらです!」

「遅れるな! 怪我人は支えろ!」

クラウスは最後尾で皆の脱出を見届け、追撃してくる敵兵が谷に足を取られて進めないのを確かめてから、自らも仲間のもとへと急いだ。


多くの兵が抜け道を通り抜けた後、クラウスは振り返って叫ぶ。


「貴様らには、土の中がお似合いだ!」


そう言い放つと、洞窟を支える柱を全て一刀両断で切っていく。

地響きとともに洞窟が崩れ、抜け道は塞がれた。


闇の抜け道を抜けると、朝焼けの城都が広がっていた。

泥と血にまみれた兵たちは地に倒れ込み、涙を浮かべている。

クラウスは胸の奥で小さく息をついた。「……これでいい」


城門では避難していた民たちが生き残りの兵士たちに駆け寄り、安堵と歓喜の声が上がる。

クラウスは泥と血にまみれた兵たちと共に城門をくぐった。倒れ込み、肩を貸し合い、顔を上げて泣き笑いする兵たちの姿が城都に広がる。

避難していた民が駆け寄り、傷だらけの兵士たちを抱きしめ、涙と歓声が交錯した。


クラウスは城壁の上に立ち、静かに全ての兵士と民を見渡す。

「この勝利は、名もなき一人ひとりの覚悟によって得られたものだ。ここにいる皆を、心から誇りに思う」

仲間たちもまた、それぞれの顔でうなずき合う。言葉にしなくとも、共に生き残った奇跡と苦しみが胸に刻まれていた。


戦の火は静かに、だが確実に町を包んでいた。

城壁の向こうには無数のかがり火が揺れ、空気を焦がすような太鼓の音が間断なく続いていた。


しかし、老将が率いていた本隊は、なすすべもなく、多くの兵を失っていった。


王の間は奇妙なまでに静まり返っていた。床に広げられた地図の上では、黒い駒が町を囲むように並べられている。老将はその前に膝をつき、長く息を吐いた。


「……勝てません。敵は十万。我らは、もう一万にも届きません。物資も尽きかけ、士気は地を這っております。──もはや降伏以外に、道はございません」


静まり返った部屋で、王はすぐに口を開かなかった。しかし、やがて重々しい声が落ちてくる。「クラウス。そなたは、どう考える?」


老将の隣に控えていた男が、ゆっくりと顔を上げた。戦衣の隙間から見える肌には、傷と疲労が滲んでいた。それでも、瞳だけは濁っていなかった。


「……降伏を、強く推奨します。町を、残しましょう。兵たちも、民も、これ以上は──」


言葉を遮るように、王が立ち上がった。背筋を伸ばし、窓の外の闇に向かって宣言する。


「我は死を恐れぬ。この町と共に朽ちても、構わぬ覚悟である。国の誇りは、たとえ瓦礫に埋もれても残る」


その言葉に、老将は頭を垂れ、クラウスも一礼を返した。──だが、彼らの目には、王の言葉がどこか遠く、乾いて響いた。


その夜。王の命で、地下に待機していた数十名の精鋭が、密かに裏門へと集められていた。誰にも知られぬように、武具は布で覆われ、馬の蹄には布が巻かれていた。


クラウスは気づいていた。いや、確信していた。王は決して町と共に朽ちるつもりなどない──それでも、責める気にはなれなかった。


町の四方は完全に包囲されていた。老将は戦意を失い、兵たちは疲弊しきり、残る兵は千にも満たなかった。


クラウスは地図の前に座り続ける。何百通りもの布陣、伏兵、計略を頭の中で組み立て、崩し、再構築する。しかし、すべては虚無に帰した。敵軍は、敵王自らが率いていた。その軍には統率と意志があり、命令はただ一つ、総攻撃で城を落とす。


もはや、道は一つしか残されていなかった。混乱に乗じて、敵王を討つ。命を捨ててでも──それが唯一、町に希望を残す手だった。


夜が深まる。空を裂くように、角笛の音が響いた。炎が空を染め、矢が雨のように降り注ぎ、門が破られる音が遠くに聞こえる。


混乱の中、クラウスは一騎で門を抜けた。闇に紛れて走るその目は、ただ遠くに立つ敵王の陣だけを見据えていた。


──その途中だった。


裏門の影、厩の奥。王が甲冑に囲まれて馬に乗り、密かに脱出していく姿が見えた。


クラウスは、思わず笑った。それは怒りではなかった。失望でもなかった。


「……この王に、最後まで仕えたのが、私だったとはな」


愚かしい──だが、それが宿命だと思えば、笑うしかなかった。


その夜、小国は燃え尽きた。砦は崩れ、町は灰に沈み、誰の名も記録には残らなかった。

クラウスの姿も、それきり、誰の目にも映ることはなかった。


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