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第49話

クスタリカの街はいまだ騒然としていた。

戦の名残が、至るところに深い影を落としている。


かつて敵軍を欺くために、幾重にも罠として作り変えられたこの街は、今や新たな息吹を宿し、力強く生まれ変わろうとしていた。

その復興の姿は、まさに──

クラウスが将軍として戦い抜いた、もう地図にも残らぬ小国の面影をなぞるものであった。


クラウスは、滅びた祖国の願いを胸に抱き、

マルレーネの「この街を救いたい」という真っ直ぐな願い、

そして共に戦った奴隷兵たちへの深い情を背負い、

この街を変えようとしていた。


それは、彼がいまだ「王国から派遣された将軍」という偽りの立場にあるうちに、

果たさねばならぬ覚悟でもあった。


かつてクラウスの祖国は、数百年の歴史を誇る誇り高き小国であった。

その国には、奴隷制度という仕組みは存在しなかった。

戦で捕らえられた者や、国に居場所を失った者たちには、教育と共に忠誠心を育てる機会が与えられ、

やがて“民”となり、互いを支え合い、守り合いながら国を成していた。


クラウスは、この制度をクスタリカの街に取り入れようとしていた。

人が少なくとも暮らしが成り立つよう、街は区画整理され、マルレーネの住んでいた貧困街も取り壊された。

小国で培った知識は地元の事情に応じて応用され、クスタリカ一帯の穀物生産は着実に増加していた。

鋼鉄の技術や武器の製造も導入され、街の発展は日に日に明らかになっていった。


クラウスは、自らの正体が露見するまでにできる限りの改革を進めていた。

マルレーネもまた、かつて世話をしていた奴隷兵たちの暮らしが少しずつ良くなっていくのを見て、心から嬉しく思っていた。

“嘘”が暴かれる前に精力的に街を変えようとしていた。

マルレーネも気丈な心でクラウスを助け、奴隷兵の人々の生活が改善していくのを心から喜んでいた。

「街を守りたい」という彼女の想いは、ひそかに胸に秘めたままだった。


この改革に大きく寄与していたのが、かつて敵国の主力部隊であった。

グラディオスが忘れていった四万の兵たちである。

クラウスはこの街の復興を考え、敵国の力すら巧みに使いこなしていたのだ。


そこには、敵国の戦意を根本から削ぐという意味もあった。

老名将グラディオスが完敗し、数多の兵が失われ、主力までも奪われた今、

クスタリカを再び攻めようとする王は現れず、

容易に新たな戦火を招くこともなかった。


やがて、この街は鉄壁の守りを備える都市へと変貌してゆくだろう。


──英雄には、二つの種類がある。

一代の栄光とともに散る者と、その後の国や民の未来を見据えて動く者だ。

ナポレオンは孤島へと流され生涯を終え、

ビスマルクはドイツ統一を果たし、国を欧州の強国へと押し上げた。

日本でいえば、信長と家康。

信長は革命の象徴として短く燃え尽き、

家康は戦乱の世に終止符を打ち、長き平和を築いた。


クラウスは後者の英雄であった。


そして彼は、そのための時間を得るため、王宮への一切の報告を控えていた。

「私が一任されている。必要はない」と、命令していたのである。


国王には、クスタリカが敵に攻められているという報告しか届かない。

何度か使者が派遣されたが、返ってくるのは「街は急速に発展し、住民の生活も豊かになっている」という知らせだけだった。

王命であっても総司令部には入れず、ただ一言、「国王への忠誠は変わっておりません」とだけ添えられた。


国王はやむなく、皇太子を一万の護衛兵と共にクスタリカへ送り出した。


クラウスは皇太子一行を丁重に総司令部へ迎え入れた。

皇太子は、クスタリカの街の発展と兵たちの装備の強さに驚愕し、さらにクラウスの語る内容に深い感銘を受けた。

顔なじみの司令官たちも「この話に偽りはない」と証言した。


今、クラウスは王宮の大広間で、国王への拝謁に臨んでいる。

剣は帯びずとも、煌めくフルアーマーを身にまとい、

その声には王すら圧倒する気高さが宿っていた。

一つひとつの問いに静かに、揺るぎなく答える姿は、まさしく将軍の威厳そのものだった。


国王と側近たちは、王子の言葉を受けて、クラウスから届けられた書類に目を通す。

各大臣も静かにページを繰った。

そこに記されていたのは、信じがたい内容だった。


奴隷の身であった者が、偽りの名で総司令を名乗り、敵軍を打ち破り、

敵の主力兵四万を街の再建に活用し、新たな兵器を開発し、

街そのものを豊かに変えていった──という事実。


王子が「すべて本当のことです」と断言しても、なお疑う者はいた。

しかし国王は、クラウスの立ち居振る舞いと、慎み深い言葉遣い、

その奥に滲む民への温かな眼差しを見て、書面に記されたすべてが真実であると確信した。


「爵位と領地を授けよう」と申し出る国王に、クラウスは深く頭を下げ、静かに断る。


「私には、国ではなく──守るべきものがございます」


何を守りたいのかは、決して明かさなかった。

やむなく国王は、形式的な爵位、男爵の称号だけを授けた。

クラウスは「身に余る光栄です」と穏やかに受け入れた。


ただし国王は、一つの条件を付ける。

「王妃に仕えるメイド・オブ・オナーの一人を、今後そなたの屋敷に侍女として遣わす。給金は王室より支給するゆえ、心配はいらぬ」


それは監視と敬意、二つの意図が込められていた。

クラウスは断れぬ申し出であると理解し、「かしこまりました」と凛と答えた。


その間に、マルレーネの母は病に倒れ、静かに息を引き取った。

最後にクラウスとマルレーネの手を取り、「あなたたちは幸せになってね」と穏やかな笑顔で旅立っていった。


泣きじゃくるマルレーネを、クラウスは静かに、そっと抱きしめた。


王との謁見を終えたあと、クラウスは「君と二人で生きる道を選んだよ」と満面の笑顔でマルレーネに伝えた。

その言葉に、妻のマルレーネは胸に溢れきれないほどの喜びを抱え、ただ静かに涙を流した。


マルレーネは長男エドワード、長女ティーナ、次女ソフィアを授かる。

クラウスは長男エドワードに自分を重ねていた。


元王妃のメイド長、ベアトリスは長女ティーナの教育係として仕えた。

小さくておとなしかったティーナが、やがて国を変える存在になるとは、誰も知らなかった。


壮年の国王と王妃は流行り病で世を去り、皇太子が新たな王となる。

バルティネス男爵家は王宮の記録からも人々の記憶からも、静かに忘れ去られていった。


──こうして、本編『小さな体に大きな力』の物語へと続いてゆく。


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