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第3話 今夜、特訓だ!

 放課後、成海から届いたメッセージは、たった一行だった。


 ――「今夜、特訓だ」


 呼び出し方が軍隊か借金取りみたいだ。だが、あの死神に会ってから、俺の中で何かが確かに変わっていた。強くならなければ、次はただ喰われるだけだと骨の奥で分かっていた。


 町外れの墓場。錆びたフェンスをくぐると、石碑はあちこち傾き、雑草が膝まで伸びている。湿った風が草を揺らすたび、土の匂いに苔の青臭さが混じった。


 成海は墓石に腰を下ろし、缶コーヒーを開けた。銀のプルタブが外れる音が、やけに鋭く静寂に響く。


「死神に勝ちたいなら、ここで強くなるしかないわ」


「勝つ? 会ったら殴れば済むだろ」


「殴れるならな」


 その言い草に、腹の奥で火がつく。


 日が沈むまで、成海は無言。俺もそれ以上、口を開かなかった。


 やがて西の空が紫に沈み、空気が急に重くなる。虫もカラスも鳴き止み、墓場全体が水底に沈んだように静まり返った。


 石碑の間から灰色の靄が立ち上り、ゆっくりと形を帯びていく。顔のない人影、腕だけの塊、口ばかりの異形……数は十や二十じゃきかない。


「救えない連中よ。今日はそいつらを“抑え込む”訓練」


「話し合いはナシか。上等だ」


 カバンを放り投げ、一歩前へ出た。


 最初の霊がふらつきながら近づいてきた。顔はなく、痩せ細った手だけが異様に長い。


 その手が胸を掴んだ瞬間、全身に飢えが走った。胃が捩れ、腹が背中に貼り付くような痛み。


 視界の端に、かつての光景がよぎる――空っぽの米びつ、干からびた葉っぱ、寝返りすら打てない夜。


 足がもつれそうになるが、「飢え如き耐えてやる。くそ、腹が減る……意識が飛ぶ」と歯を食いしばった。


 胸から叩きつけるように思念を放つと、霊は一瞬だけ人間の顔を取り戻し、消えた。


 次の影は炎のように揺れ、近づくだけで熱を帯びた風が肌を刺す。


 背中に何かが這い上がり、瞬く間に焼けるような熱が全身を覆った。肺の中の空気まで焼け付き、息を吸うたび喉の奥が焦げる。


 「しゃれにならない。マジで熱い……これは死ぬだろ。いや、幻覚だ。体が焼ける!!」


 周囲が一瞬、燃え盛る家の中に変わる。木材が崩れ落ちる音、誰かの悲鳴。


「思念だ……思念を強くしろ」何度も心の中で自分に命じ、焼ける痛みを押し返す。


 霊は煙のように消え、去り際に――自分の痛みを理解してもらえたのが嬉しかったのか――かすかな子供の笑い声が聞こえた。


 そして、上半身だけの何かが地面を這ってきた。目はなく、口から長い刃のような舌が伸びている。


 舌が鼻や口から入り込む錯覚と同時に、肺の奥が裂ける痛み。息を吸うたび、内側から刃物で切られるような激痛。血の味と鉄の匂いが口いっぱいに広がる。


 膝が崩れそうになるが、唇を噛んで意識を繋ぎ止めた。


「こんどは殺人鬼かよ……絶対、負けねえ」痛みも恐怖も半端じゃない。何度も心が折れそうになりながらも、俺の思念は確実に研ぎ澄まされていく。


 霊は俺の思念に干渉し、消える間際に小さく――「ありがとう」とだけ残した。


 だが、今度は一つじゃない。四方から、群れを成して迫ってくる。


 呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響く。


 墓場の景色がゆがみ、音も遠ざかっていく。


 足元が揺れ、視界が一気に暗転――そして、そこは墓場ではなかった。


 泥と血の匂い、甲冑がぶつかる鈍い音、怒号と悲鳴が入り混じる。

 俺は戦場の真ん中に立っていた。


 手には刃こぼれした刀、胸には木の胸当て。

 足元で矢が地面に突き刺さり、泥が跳ねた。

 右も左も、味方も敵もなく、ただ殺し合いだけが支配していた。


 反射的に刀を構え、突き出す。しかし、刃は相手の中をむなしく素通りする。

 次の瞬間、横から槍が俺の腹を貫いた。熱と冷たさが同時に走り、肺が詰まる。


 だが、立っていた。

 咄嗟に槍を奪い返し、相手の胸を突き刺す――が、やはり体はすり抜けた。

 その隙に背中から斬撃。盾を構えても、刃は盾ごと通り抜けて肉を断ち切った。


「なんだこれは……生き地獄じゃねえか!」

 叫んだが、戦場は応えることなく次の死を押しつけてくる。


 ――そうか。ここでは、何度でも殺され、何度でも立ち上がるのだ。


 敵の槍が腹を貫き、背後から斬られ、地面に叩きつけられるたび、視界が白く弾ける。

 それでも膝をつかず、刀を振るった。


 苦痛も恐怖も、ただ思念で押し殺す。

 ――理不尽だ? 知ったことか。俺は絶対に負けない。


 しかし、激しい痛みと怨念、恐怖が容赦なく思念を削っていく。

 やがて意識がもうろうとし、自分の名前も、何をしていたのかも忘れかけていた。


 残ったのは、生き延びたいという本能と、負けないという執念だけ。

 俺はその二つに縋って、永遠にも思える戦いを続けていた。


 ――そのとき、ほっぺたに妙な違和感が走った。心臓がドクンと高鳴る。


『そろそろ戻らないと、戦場から出られなくなるよ』


 成海の声だ。何様だと毒づきかけたが、その声は確かに俺を現実に引き戻した。

 その瞬間、俺は「霧島蒼」という名前を思い出した。

 ……くそ、あいつの声で正気に戻るとは。


 戦場の音が遠ざかり、視界の端から色が剥がれていく。


 気づけば、また荒れ果てた墓場に立っていた。

 全身は汗で重く、息は荒い。


「お疲れ様」

 成海が缶コーヒーを差し出す。缶は温かく、指先に生の感覚が戻る。


「よく頑張ったわね。それは、わたしのおごり」

 無言で一口飲むと、喉を焼く苦味が広がり、顔をしかめた。


「感想は?」

「二度とやりたくねぇ」

「なら三度はやるわね」

 あいつは平然と笑った。


 墓場を出る頃には、夜風が頬を撫でていた。

 だが、胸の奥にはまだ戦場の熱と鉄の匂いがこびりついている。


 理不尽はまだ終わらない――だが、俺はそれを耐え抜くために歩き出した。

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