そいつの第一声は『デケェ!!!!』だった。
おれの名前は『千島 鳥居』。
高校の入学式でクラス分けが終わり、席についた所、
前に座っていた奴が振り返るなり『デケェ!』と言い出したのだ。
……正直、あまりいい気持ちにはならなかった。
だが相手は心底悪気が無いらしく『何食ったら背が伸びるんだ?』
『どういう超進化をしたら、そこまで伸びんだよ!?』
『いいよなー。オレもオマエみたいになりてー! カッケェー!』と、
目を輝かせていた。
とりあえず『小魚と牛乳』と適当に答えると、そいつは
『そっかー! 小魚かー! メモメモ! 小魚の入った
チーズグラタンとかいいよなー!』と、ノートに書き殴っていた。
そのノートには『樺太地』と書かれていた。
『……からふと?』
不思議に思って問い返すと、それを聞きつけた吉田(仮名)が
『やっべぇwwww 樺って、カラフトじゃんww』と騒ぎ出し、
そいつのあだ名が『カラフト』になってしまった。
カラフト(仮名)は顔を赤くして騒いでいた。
『ちょ、やめろよ! 樺太じゃねーよ! サハリンじゃねーよ!』
余計な事を言った所為で『第二候補がサハリンwww』と
笑われていた。そしてカラフトコールが起こった。
……まあ、どうでもいいか と、その時は思っていた。
カラフトの本名は『樺 大地』という名前だった。
樺はクラスの中でも目立つ存在だった。
中学生の頃は水泳部に所属していたとかで、日に焼けた肌と
塩素で色が抜けた(らしい)焦げ茶色の髪に黒の瞳をしていた。
笑うと八重歯が見える為、何処か少年らしさが残っている。
そして、とにかく何にでも興味を示していた。
明るくてノリが良い為、クラスの誰とでも会話していた。
それでいて細かい所にも気を配れるので、樺が
クラス委員になって(させられて)から、教室の中は
いつも明るく、いじめや悪口も無かった。
寂しそうにしているヤツは一人もいなかった。
樺は周囲の人間を和ませるような、不思議な魅力のある奴だった。
そんなヤツがおれの小学校に居たなら、少しは過ごし易い時代を
送れたかもしれないな と思った。
おれは小学生の頃、背が一番低かった。
しかも周囲の子供からは『ガイジンだ~!』『ガイジンの癖に
背が低いとかマジありえねーw』『千島の
バーチャン、国際結婚~!』という、わけのわからない
からかいを受けていたので、学校に行くのが
嫌でたまらなかったのだ。
そんなおれを庇う相手もいた。
『ちょっと~! やめなさいよ、男子~!』
クラス委員のC子(仮名)だった。C子は絵に描いたような
真面目な小学生で、当時のおれはC子の影に隠れてばかりいた。
だが、ある日の休み時間、C子が友人と話している会話を
偶然聞いてしまった。
『C子~、あんた千島君を毎回庇ってるけど、もしかして~☆』
『千島君、かわいいもんね~』
そこでC子が眼鏡を煌かせた。
『千島君を庇ってるのは、先生ウケを良くする為
だけなんだけど! だってチビって最悪じゃない!
私、背が高くて高収入のイケメンと入籍するのが夢なの!』
おれは涙をこらえて帰宅した。
おれは今は無収入だったから、C子の願いは叶えられないと
思ったからだ。
帰宅したおれの様子を見た祖母は、
黙ってポンデリングと緑茶を出した。
大好きなはずのポンデリング。
なんだか、ほろ苦かった。
それから、おれは小魚と牛乳を毎日食べるようになった。
その所為か、中学校に上がってからは異常に背が伸び、
中二の頃には180cmに到達していた。
……やりすぎた と思った頃には、制服や体操服を
全部買い換えるはめに陥り、母親は
『ママはね、トリちゃんの制服代の為に
ヤクルトレディをしているワケじゃないのよ……。トリちゃん、
もっと適切に進化してね?』と進化論を説かれた。
背が伸びてから、何故か靴箱に大量に紙切れが投入されたり、
(しかも自己紹介のような文章の後に、よく知りもしない相手から
『好き』だの『付き合え』だのと書かれており、不気味だった。
脅迫文かと思った)見ず知らずの後輩から
待ち伏せされたりした為、チビの頃の方が平和だったかも知れない。
そんな小・中時代を送り、高校くらいは平和に過ごしたいと
思った矢先に、樺に絡まれたので幸先の悪さを予感していた。
だが、樺が居てくれたお陰で助かった部分もあった。
憂鬱で仕方がなかった2月14日。
机の中にも外にも並べられたチョコレート。
甘い物は好きだが、チョコレートは大嫌いだった。
中学時代に貰った手作りのチョコレートの中から
大量に人毛やぬいぐるみが出てきた為、トラウマになったのだ。
何故女子はチョコレートの中に妙なものを入れたがるのか?
普通に茹でて固めればいいんじゃないのか?
……と思い、チョコレートを沸騰した鍋の中に入れて
固めようとしたものの、固まらずに液体のままだった。
仕方ないので、カレーの隠し味にチョコレートを使うという
話を思い出し、ルウと牛肉と野菜を入れた。
とてつもなく不味かった。
それでも樺は『……まあ、頑張れば食えるよな』と、
完食してくれた。
そんな樺はバレンタインデーでも大人気だった。
学年で一番もてる(らしい)女子と、一番権力がある(らしい)
女子の二人からチョコレートを貰っていた。他の女子は
この二人に遠慮してチョコレートを渡すのを控えたと
吉田が噂していた。
しかし樺は気は利くものの、そういう機微には疎いらしい。
『おー! サンキューな!』と笑いながら受け取り、
『鳥居~! 野球しようぜ!』と、こっちに走って来た。
こいつはあほなのかもしれない。
女子に何らかのアクションを起こさなくてもいいのかと問うと、
『へ? だって義理だろ? 好きとか何も
言われなかったんだぜ?』と驚いていた。
そうか。義理か。なら、義理も何も無い相手には
適当な扱いでいいのかもしれない と、
数年来のバレンタインデーへの悩みが吹っ切れた気がした。
だから呼び出されても手紙を貰っても放置していた。
高校で同じ学校になったC子と再会したが、
『昔から千島君の事が好きだったの……☆』と言われた。
いや、無理だ と断ると、樺からは『鬼畜!』と罵られた。
お前に言われたくはない。
樺はスポーツだけでなく、様々な分野にも興味津々だった。
樺はクラスの不良や内気な生徒とも友人関係だった為、
流行りものやゲームや漫画、何にでも詳しかった。
そのどれにも興味が無かったおれは、ゲーム雑誌を必死に
読んでいる樺が不思議でならなかった。
『そんなに面白いのか』
『面白いぞ!』
即答された。そして樺は白い歯を見せて笑った。
『ゲームってのは、一種の映画みたいなものだよな!
ストーリーがあってさ! そこにプレイヤーが介入してる
カンジでさ。何ていうか……世界観に浸れるんだよ!
鳥居もやってみるか!? 物語はいいものだぞー』
そう言うので、とりあえず本を片っ端から読んでみた。
物語に浸るのなら、まずは小説からだと思ったのだ。
ゲーム機は持っていなかったし、共働きの両親に
ねだるのは気が引けたのだ。ちなみに、毎年貰っていた
正月のお年玉は母親が『ママが預かっておくね』と言ったきり、
何故か戻ってこなかった。
今まで読書に興味は無かったが、読んでみるとなかなかに
面白かった。どんな本にも世界観があり、書き手の意思が
明確に顕著に表現されている。まるで一人の人間と対話して
いるようで、おれはのめり込んでいった。
だが官能小説というものを読んでいた時だけは樺に
『エロ本を堂々と教室で読むなよ!』と赤面しながら言われた。
樺も少しは本を読むべきだ。だから成績が伸びないんだ と
思ったが、傷つくと思って言わなかった。
学校の成績がいまいちであっても、
樺にはプラス要素が多くあった。
友人のいないおれを気遣ってくれていたのか、それとも何も
考えていないのか、おれが体育の授業等でペアを組まなければ
ならない時は、必ず飛んで来た。
そして『鳥居! 競争しようぜ!』と妙に張り切っていた。
樺がいなければ、おれは中学時代のように教師とペアを
組まなければならない、もしくは『千島君と誰かペアに
なってあげてねー』と公開処刑される所だった。
そんな折、おれは体育の授業でヘマをやらかした。
ハードル跳びで転び、腕にケガを負ってしまったのだ。
血が垂れ落ちる。
それを見た体育教師が『保健委員の吉田! 千島を保健室に
連れて行け!』と指示した。
だが、吉田は『ち、血が……血がァァ』と貧血を起こした。
吉田は使えない男だ。
そんな時、樺が手を挙げた。
『先生! オレが行ってもいいすか!? オレ、クラス委員だし!
吉田使えねーし!』
『そうだな! 吉田は使えんから、お前が行ってこい!』
『よし! 鳥居、保健室行くぞ! 吉田はレバー食べてろ!』
吉田をdisりすぎじゃないかと思ったが、どうでもいいので
放っておいた。
別に一人でも保健室に行けたのだが、樺は『お前がいないと
競争できねーからな!』と笑った。
『競争……?』
『おう! オレ、オマエに勝った事ねーし! 勝ち逃げは
させねーからな!』
『……』
『だから早くケガ直せよ! あ、でも無理はすんなよ!』
その笑顔に、何故だか不思議と嬉しさを覚えた。
ケガをして少しばかり気が滅入っていた所為かもしれない。
こんな風におれに関わってくれる人間はいなかったのも
あるのかもしれない。
樺は不思議な男だった。
おれが一人で下校している時も、樺に見つかると
『鳥居ー! 帰り道でしりとり勝負しようぜ!』
『鳥居! ゲーセンで格ゲー勝負しようぜ!』と追いかけられた。
格闘ゲームというものは、やった事が無かった。が、適当に
入力していたら、樺をボコボコに倒していた。
樺は夕暮れの帰り道でコッソリ泣いていた。
『……泣いてるのか?』
『な、泣いてねーよ! 泣いてなんか……グスッ』
『……しりとりするか?』
『……する』
しりとりでも樺は負けた。あいつは二度目の涙を流していた。
だが、あいつは懲りなかった。
『次はジャンケンで勝負しようぜ!』
樺は23回連続で負けた。
『次はあの電柱まで駆けっこで勝負しようぜ!』
樺が後方から走ってきた。
『つ、次はアイスの早食いしようぜ!』
コンビニでアイスを買って食べたが、樺は
『うわぁ、歯にしみる……』と、
自爆して負けていた。
『つ、つ、次は……次は……』
どれだけ負ければ気が済むのかと思った。
次は何の勝負をふっかけられるか分かったものではない。
しかも樺は勝手に落ち込んで憂鬱になっている。
まるでおれが悪いみたいで気分が良くなかった。
仕方ないので、駅前のミスドに寄った。
落ち込んでいる人間にはドーナツだと、おれは
小さい頃の経験が染み付いていたのだ。
好きなドーナツをひとつだけ奢ると伝えると、樺は
『情けは受け取らねーからな!』と言いながら、
エンゼルフレンチを熱い眼差しで見つめていた。
それを注文してやると、樺は『何でオレが好きなドーナツが
分かったんだ!? オマエ、凄いな!?』と驚いていた。
こいつはあほだ と思ったが、何故か憎めなかった。
おれも何か食べようと思ったが、店員から
電話番号を書いた紙を手渡されたので、食う気が無くなった。
そうして樺がドーナツを食べながら歩いていると、
あいつは『なあ、鳥居は食べねーのか?』と言い出した。
おれはいい と答えるも、不覚にも腹が鳴った。
それを聞いた樺が笑い出す。
『なんだよー? ダイエットしてんのか? そーゆーのするより、
美味いモンを美味そうに食べてる方がいいと思うぞ?』
そう言いながら、樺が食べかけのドーナツを差し出した。
『オマエに奢ってもらったから、半分はオマエのモンだよな!』
食え、という事らしい。
いや、別にいらん と断りかけたが、あまりにも樺が
嬉しそうに勧めてくる為、渋々齧った。
ドーナツは美味いが、そんなに好きじゃない。
子供の頃、C子にふられた失恋の味を思い出すからだ。
だが、その時は何故か苦いはずのドーナツが、甘く感じた。
『美味いだろ?』
顔を覗き込まれ、咄嗟に目を逸らした。
夕陽の光が樺を照らし、それを見ていると酷く
心拍数が上がったのだ。何かの病気かと思うくらいに。
自他共に認める、愛想の無いおれが樺の誘いだけは
嫌な気がしないのは、もしかしたら樺の事を
気に入っているからかもしれない、と自覚した。
そう気づくと、何だか居心地が悪くなってしまった。