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第6話 鳥居視点4

 元気になったようで良かった……と胸を撫で下ろしていると、

樺は『オレの気が済まないから、何か言ってくれ!』と

言い出した。

 一瞬、色々と血迷った。

 学生時代のあの時のように、半分食ったドーナツをくれ とか

玉子焼きを食わせてくれ とか 飛び降りかけた所を

背中越しに抱き締めて止めてくれ とか言いかけた。

 変態と思われるのがイヤで言わなかったが。


 樺は『あ、でもやらせろとかはナシな!』と付け足した。

……お前はおれをどういう目で見ていたんだ? と

落ち込みかけたが、何か願い事をしなければ樺は

納得しないようだった。

 樺は興奮気味に拳を握り締めている。


『オレを神龍だと思って何でも願い事を言ってくれ!』

 確か神龍は自分の力が及ばない願い事を叶えられないという

設定じゃなかったか?


 樺に出来そうな事は……。


 玄関の靴を揃えてくれ とか郵便受けから手紙を

とってきてくれ とかだろうか?

……いや、そんな小学生の手伝いのような事を言えば

確実に激怒するだろう。

 樺でも出来そうで、なおかつプライドを

傷つけない願い事となると……。



『……ポンデリングが食べたい』



 学生時代に樺を意識する切欠になったドーナツショップを

思い出していた。

 これなら高価なものではないし、おれの家からミスドは

近いので、樺が道に迷ったりしないだろう。

 何より、ドーナツを持っている樺は可愛いと思う。


 と、考えていたのに、何を思ったのか樺は店にあるだけの

ドーナツを買って帰ってきた。ミスドの箱を両手と

背中に担いで歩いている樺。……格好良かった。

……いや、気を回したつもりが、樺を

ヘンな方向に頑張らせてしまったようだ。


 それでも樺の気持ちが嬉しくてたまらなくて、おれは

ポンデリングを貪り食った。めっちゃ美味かった。

 樺がおれの為に買ってきてくれたのかと思うと、

保存用と観賞用と食用に分けておいておきたかったが、樺は

『腐るだろ!』とツッコミを入れてきた。残念だ。


 ドーナツを食べていると、樺が急に

『お前、何食べてんの!?』と、台所を見ながら騒いでいた。

 鍋も炊飯器も置いていない、物置状態の台所。

 かろうじて置いてあった包丁は今井が自害用に使おうとするので

捨てた……と説明するべきか悩んでいる間に、樺に

『自炊しねーのかよ!』と問い詰められた。

 野菜を茹でようとはしたが、溶解して危ないので

料理はしないようにしている。


『野菜が溶ける!? お前、どれだけ茹でてたんだよ!?

鍋に酸でも入ってんのかよ!?』

 今日も樺は面白い。

 だが、樺は『ちょっと待ってろよ! 直ぐ戻るからな!』と

言い残して部屋から出て行った。


……少しぐらい、料理が出来る所を見せた方が良かったのだろうか。

 樺に呆れられてしまったかもしれない と自己嫌悪に

陥りつつ、ポンデリングを自棄食いしていた。

 そうすると、アパートの前に自転車が停まる音がした。

 金属の階段を駆け上ってくる音も聞こえた。


『おい! 鳥居!』

 今度の樺は両手と背中に土鍋やらフライパンをかついでいた。

『炊飯器は重くて持ってこれなかったから、土鍋持ってきた!

これで米炊くから!』

 米は家に無い……と言いかけたが、樺は『そうだと

思って、米持ってきた!』と、何処からともなく白米を取り出した。

 相当の重量の上に、樺の家は此処から遠い。


 疲れているだろうに、あいつは『じゃあ、今から米炊くから!』と

台所を片付けつつ、土鍋で米を炊き始めた。

 何か手伝おうかと周囲を歩き回ってみたが、直ぐに

『デカいのがウロつくと邪魔だから、座ってろ!』と怒られた。

 邪魔にならないように座布団の上で正座していると、今度は

『お前……笑点の座布団が無い人みたいだぞ!』と笑い出した。

 樺が笑ってくれるなら、山田に座布団を全て

持っていかれてもいい、と思えた。


 樺は鶏肉を捌き、卵やネギとからめて親子丼を完成させた。

『ほら、ありあわせだけど、食えよ』と告げる樺は格好良かった。

 嬉しかったので親子丼を携帯で撮影して待受にしようとすると

『お前、ツイッターに画像を上げる女子かよ!』と

止められた。残念だ。


 そして親子丼は有り得ないくらい美味かった。

 どうやら樺は学生の頃から自炊していたらしい。

 昔、食べさせてもらった玉子焼きも樺の手製らしい。

 樺はすごいな……。

 それから樺に『他に何が作れるのか』と質問してみると、

あいつは、ものすごいハイレベルな返答をしてきた。


 餃子→皮から作る

 カレーパン→カレーもパン生地も自家製

 肉まん→皮から(ry

 ハンバーガー→パンも具も自家製


 樺は総菜屋を開業出来るな と思った。

 そして樺がエプロンを身につけて料理している絵図を

想像すると、鼻から出血しそうになったので、己の膝を

抓って煩悩を追い払った。


 だが、耐え切れずについウッカリ『嫁に来てくれ』と

血迷った事を口にしてしまった。

 また樺に嫌われてしまう と焦ったが、あいつは

『行かねーよ!』と顔を赤くして叫んでいた。

 以前と少しだけ、反応が違った。


 そんな樺に戸惑ってしまい、おれは皿を割った。

 その後、樺に怒られたり、樺を壁に押し付けたり、隣室の

十勝が飛び込んできたりした。十勝は驚きのあまり

サングラスがズレていたが、まあどうでも良かった。

 色々あって疲れたらしい樺は、

夜も遅いので泊まっていく事になった。


 おれと同室でいいのか と心配になったが、樺は

『いいよ。お前の人柄を見てたら、オレが嫌がる事とか

絶対にしねえって分かるからな』と言い切った。

 その樺の信頼を裏切らないように、おれは

心の中で般若心教を唱えながら執筆していた。


 だが、幸せだった。

 後方から聞こえる寝息に振り返ると、樺が熟睡していたからだ。

 寝顔を見るのは修学旅行以来だ。

 あの時は枕投げ勝負を申し込まれた所為で、樺の顔面に

枕の跡がついてしまっていたが……。

 寝ている樺を起こさないように、間接照明を使った。

 それから、ちょくちょく樺は遊びに来た。

 おれの家の方が大学から近いからだろう。

 自宅に戻るよりも手っ取り早いらしい。

 その内、樺の私物が増えていった。

 台所に置いてある歯ブラシが二個になった時、実は嬉しかった。

 樺は家賃や光熱費を払うと言って譲らなかったが、

『じゃあ、これだけ払ってくれ』と指を1本立てると、

相手は驚いていた。


『はあ!? 一万円!? 安すぎだろ!?』


……いや、100円のつもりだったんだが……と口にすると怒られた。

『お前と対等で居たいから、家賃も光熱費も折半が

いいんだ! ……転がり込んだのは、オレだし……

迷惑とか、これ以上かけられないし……』

『迷惑とは思っていない』

『……いや、迷惑とかな、その、オレ……、お前の

生活能力が無さ過ぎて心配だから、な?』


 嬉しかったので樺を携帯で撮ろうとすると、また怒られた。

 だが、樺が傍に居てくれればそれだけでいいのだが、あいつの

気持ちの折り合いもある。

 なら美味い飯を作ってくれ と家事を頼むと、樺は

『それだけじゃ気が済まない!』と、まだ折れない。


 じゃあエプロンをつけて家事をしてくれ と言うと

『それだけか!? それだけなのか!?』と割烹着を

着ていた。……エプロンと言ったんだが……。

 そんな葛藤やぶつかり合いもあり、樺は家事担当、

おれが稼ぎ担当になった。


 部屋が狭い上に風呂が無いので、広い家に

引っ越そうかと提案したが、樺は

『別に此処でいいんじゃないか?』と

さして不満に思っていないようだった。

 樺は銭湯が好きらしいので、風呂の無い生活に

不自由を覚え無いようだ。おれも銭湯は好きなので嬉しい。



 だが樺は口篭る。

『あ、でも、オマエが仕事する時、一人部屋のが

集中出来るっていうなら……』

『別に耳元で遮断機が鳴っても気にならない』

『どういう集中力だよ!?』

 お前が傍に居てくれると、お前しか見えてないから

周囲の雑音とか、どうでも良くなるんだ と告げると、樺は

思いきり顔を背けた。


『ハズカシー事、言うなよ!』

 そう言いながら、右手と右足を同時に前に出しながら

掃除機をかけ始めた。



 やはり樺は可愛いし格好いい と惚れ直したが、

そう思っているのはおれだけじゃないようだった。

 樺は老若男女問わずに好かれるが、隣室の十勝や

階下の細井にも気に入られているらしい。


 十勝は樺に差し入れをしているみたいだ。

 おれと違い、十勝は料理の腕前がプロだ。

 料理について熱く語り合う姿に、胸の中がざわついた。

 おれも樺と会話したい! と思ってしまい、台所で即座に

玉子焼きという名の炭を作成してしまった。

 おれには料理の才能が皆無のようだ。


 十勝と樺の料理話は盛り上がっている。

 だから思わず妬いてしまい、黒こげの玉子焼きを樺に

差し出しながら『妬いた』と告げるも、あいつには

あんまり通じていないようだった……。


 そうしていると、階下の細井が『お、おはようございまぁすぅ……』と

小動物のように怯えた姿で挨拶してきた。

 樺に話しかけているのか? と思い、

思わず手すりから身を乗り出すようにして細井を見ると、

『そそそそんな殺人犯みたいな顔でボクを見ないでくださぁい!

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!』と泣かれた。

 即座に樺に服を引っ張られた。


『鳥居! お前何してんだよ! 狂犬みたいな顔で

ご近所に絡むなって言ってるだろ!』

『……別に普通の顔だが』

『嘘つけ! 殺意の波動が出てたぞ!』

 ばれたか……。

 樺に怒られたが、おれは結構、嫉妬深いのかもしれない。



 樺が他人から好かれるのは非常に喜ばしい事だが、

下心がある輩が近づいてくるのは阻止したい。

 と、樺に話すと「お前の方が下心がヤバいだろ!

オレが寝てる隙に、布団に侵入して

こっそり抱き枕にしやがって!」と悪事がバレていた。

 樺は子供体温なので、寒がりのおれには有難いほどに

温かかったのだ。

 おれは寒さのあまり、いつも丸まって寝てしまう。


 だが、樺は寝ている所にいきなり冷え性の男に

布団に潜り込まれた所為で目が覚めたらしい。

 正座させられ、怒られた。

「オマエ、すげー冷たかったぞ! コンクリートの塊が

入ってきたのかと思った! 筋肉かてぇよ!

文系なのに、どんだけ鍛えてんだよ!」

 遺伝だ と伝えると『遺伝すげぇ!』と驚いていた。

 だが樺は我に返ると、咳払いをした。


「遺伝はともかく、とりあえず湯たんぽ使えよ!」

 湯たんぽは小さすぎるし、水を捨てるのが面倒くさい と小声で反論すると、

「だからって、オレを湯たんぽ代わりにするな!」と、また怒られた。

 そうしてから、樺が付け足した。


「寒くて眠れねぇなら、手ぐらいなら

繋いで寝てやってもいいけど……」


 いいのか!? と立ち上がり、拳をバキバキ鳴らすと、樺が

「わーっ! 何する気だよ!? オレの手を

握り潰す気か! バカ!」と慌て出した。

 慌てる樺も素敵だった。


 外では手を繋いでくれないが、家の中では

「仕方ねーなー」と繋いでくれるようになった。幸せだ。



 そんなわけで、おれは平和で幸せに暮らしている。

 樺が居てくれれば、それだけでいいものだ。

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