木村先生が転勤になって三ヶ月後……。
夏休み中の僕は家の玄関で両親の見送りをしていた。
「じゃあ、ワシらは行ってくるからな」
「
「母さん、大丈夫だよ。一日だけ家を空けるだけじゃんか」
「でも桔津平にしか聞こえない音があるって……」
母さんが僕の両手を取りながら、オロオロとする。
それは新たな異変を感じさせた、忘れられない出来事からだった。
◇◆◇◆
僕の悩みの種だった幽霊の行動は、三ヶ月経っても続いていた。
毎日深夜の2時に行われるこの足音は、
『ミシッ、ミシッ……』
「よう、おはようさん。いつも早起きだな」
『ミシッ、ミシッ……』
「毎度ながら感心するよ。休む日もなく、毎日ここに来ているからな」
『ミシッ、ミシッ……』
「たまには休んでもいいんだぜ。誰も
『ミシッ、ミシッ……』
「おっとごめん。もうこの世には生きてないんだったな」
僕は布団から起き上がり、寝室の片隅にある小型冷蔵庫で冷やしていたサイダーの缶ジュースを二つ並べる。
一つは僕の、もう片方はこの名も知れぬ見えない相手に対してだ。
「じゃあ、今夜もすることにしようか」
僕は缶のプルタブを開け、今夜も盛大に乾杯をする。
相手は性別さえも不明だが、かけがえのないメンバーだ。
楽しい深夜の飲み会の始まりだ。
──僕はこの相手が、この時間帯に音を鳴らすのに、すっかり慣れてしまっていた。
しかし、それも束の間だった。
幽霊にも学習能力があるのだ。
そう思わせたのは、
◇◆◇◆
夜10時過ぎの寝室。
僕に続いて、父さんが隣の寝室で
『ミシッ、ミシッ……』
「あわあああっー!?」
予想もしなかった音に僕の頭がパニックになる。
今までこの足音は深夜の2時限定で、家族が起きている状況で聞こえることはなかった。
両親も仕事から帰宅しているが、他の部屋で片割れしか起きていない時間帯なら、自身に害はないと……。
幽霊も色々と理解しているようだ。
「母さん、で、出たよ!?」
いきなりの来訪者でパニクって寝室を抜け、母さんのいる居間へと飛び出す。
「どうしたの、桔津平?」
母さんはのんびりとテレビドラマを見ている途中だったらしく、僕の予期せぬ行動に目が点になっている。
ちょうどドラマは入浴シーンらしく、人の気配がない浴室を舞台にシャワーが流れ、一緒に血液が流されていく。
そんなミステリー番組を目の辺りにし、僕の頭がなおさらおかしくなっていた。
「いや、なっ、何でもないさ」
僕は冷静になり、思考を整理する。
相手は母さんには分からないんだ。
ここはいったん気持ちを整えよう。
「桔津平、何かあったの?」
「えっ、ああ。少し怖い夢を見ちゃって」
「そう。真っ青な顔をして来たから、何ごとかと思ったわ」
母さんが心配そうに見つめるなか、一つの決心をした。
これは僕自身の問題だ。
自分で何とかしないと。
母さんや父さんに迷惑をかけたくない。
そんな思いで頭の中が一杯だった……。
****
──ということで、母さんは僕の事情を理解していたようだが、元から心配性な性格だ。
万が一、息子の身に何かあったらと、我が子として守りたい一心があるのだと思う。
玄関先で両親を見送る際も、ずっと母さんは僕の様子を見ていた。
「何かあったら連絡するのよ」
「ああ。分かってるって」
「あとシロちゃんにも、きちんとご飯あげてね」
「分かってる」
シロちゃんとは数年前に僕が拾ってきた小型犬のマルチーズの名前だ。
僕に犬の知識はなく、詳しい系種は不明だが、癖のある毛並みからして、雑種ということは確かだ。
「さあ、もう行こうか、母さん、上司が車で待っている」
「ええ。じゃあね、桔津平」
こうして両親は仕事の都合で、明日の昼まで、この家に戻らない身となった。
問題なのは、ここからだ。
『ミシッ、ミシッ……』
案の定、両親がいなくなって聞こえてくる例の足音。
まだ昼の14時過ぎ。
「クーン、クーン……」
シロには見えるのだろうか。
目に涙をため、怯えの表情で僕に何かを訴えている。
『ミシッ、ミシッ……』
「なあ、お前さんは誰なんだ。目的は何だよ?」
幽霊に話をふっても聞く耳も持たず、僕の周りをクルクルと回る。
(そういえば木村先生は、ボロ屋敷が絡んでいると言っていたな……)
僕はスマホでガリちゃんに電話をかける。
一人で悩んでも答えが出ない。
ガリちゃんや
この幽霊と決別するために……。
****
「それでまた、このメンバーで、ここのボロ屋敷で肝試しかよ。参っちゃうよなあ」
「まあ、そう目くじら立てないでよ。今回は違う趣向だし」
「あのさあ、見えない相手を前に色々と問いかけをするのか? だから、さっちゃんの話は作り話だって」
「ガリちゃん、その話と今回の幽霊騒ぎとは別の人物だって」
「そう言われても俺には何も聞こえないし」
「ねえ、本当に今ここに、そのお化けがいるの?」
ガリちゃんに続いて、谷中も信じきっていないようだ。
僕の周りでは、例の足音が歩き回っているのにだ。
「ガリちゃん、そのカメラで僕を撮ってくれないか?」
「プロに頼むと指名料は高くつくぜ」
「よく言うよ。スマホで自撮りもできないくせに」
「何だよ、悪いのはスマホだろ」
ガリちゃんが文句を垂れながら、コンビニで買ったインスタントカメラで僕を撮る。
持参のカメラでは相手に祟られる恐れがあるからだ。
「これで現像したら、幽霊の姿が見えるかも知れないな」
「可愛い女だったらいいよな」
「もしそうだとしても、お前には
「うーん、今いち麻耶子には魅力がないんだよな」
「その話、彼女が知ったらキレるぞ?」
「なはは。俺の口の固さは鉄壁だぜ」
「何が鉄壁なのかな?」
「
谷中と麻耶子ちゃんが、僕らの話に聞き耳を立てていた。
そのまま麻耶子ちゃんは泣きながら帰っていく。
「おおぅ。待ってくれ。愛しのハニーよ」
半べそになりつつ、ガリちゃんは麻耶子ちゃんの後を急いで追った。
僕と谷中の二人を残したままで……。