僕は新しいタイヤの試運転として、バイト先のコンビニに来ていた。
冷蔵庫が
僕には運命を左右する紙切れが必要だった。
「何、スズネちゃん、サイクル雑誌を手にして、自転車に興味があるの? 止めときなよ、肌身で風を切るから、それなりに体力消耗するし、風の日や雨の日は不便だし」
「いえ、いとこのおじいちゃんが自転車業をやっていまして。最近になってロードバイクが売れて人気だと知り、それで少しは勉強のためにと。俗に言われる真面目さんというものですw」
「確かに誰かさんと一緒で真面目だわ。しかも立ち読みもせずに買っちゃう所とかもw」
「おい、ミラ。ちょっと来い」
「あれ、噂をすればダイチちゃん。まだ夜勤じゃないのに、こんな時間にどうしたん?」
僕は店内で仲良く話していた二人組の片割れなミラの肩を掴み、スズネから少し離れた場所で質問をする。
「なあ、アーユーレディー警察官。人のプライバシーを
「まさか、ダイチちゃんのバイト先がここだったなんて。しかも夜の水商売なんて……ぽっ……」
「ときめきながら答えを返すなよ。ここは酒もあるけど、販売のみだから。それよりスズネとは、ここでの買い物帰りで偶然知り合ったのか?」
僕の顔を青ざめた表情で見つめたミラが、僕から数歩距離を取る。
「何なん、君、エスパーにでも昇格した?」
「何だ、今度は漫画の読みすぎか? コンビニもだけど普通の職種に、そんなランクないよ。まあ、そんなに怯えるなって」
「そうか、人間からエスパーダイチに突然変異したのか。頭のネジが全部吹っ飛んでサイボーグになったダイチちゃん、お覚悟いい?」
「さりげなく警棒を僕に向けるの止めないか」
「だって、私の考えを見透かしてるようで……」
まあ、夢と同じ光景を目の辺りにしているからな。
何も知らないミラがビビるのも無理はない。
「ただの偶然の一致だよ。僕は履歴書を買いに来たんだ」
「何なの? ここのバイトだけじゃ不満なの?」
「ああ、将来、芸人を目指すための資金を貯めていてな」
「えぇぇー、自転車しか取り柄がないダイチちゃんが芸人に? 絶対ムリィー!」
ミラが顔の目の前で手を振り、冷めた目線になる。
女の子って、人によって考えが違うな。
スズネは一押ししていたけどな……。
「──自分はダイチ君なら、なれると思うな。ピン芸人でドカンと売れそうだよー」
いつの間にか、僕の背後にスズネがいて、僕らの話に加わっていた。
「それよりもダイチ君、履歴書なら、さっき買われて、品切れになっているよ。自分はそれを伝えに来たんだけど?」
「……スズネさん、すっごい地獄耳だね」
「地獄に置かれた仏ってヤツw」
「その地面に置かれたのは、耳ナシホウイチの耳でしょーか?」
「うん、ダイチ君。話が分かるー。だからさ……」
人前で恥ずかしいのか、眼を俯かせたスズネから、Tシャツの袖口を引かれる。
彼女の視線はコンビニの奥にある、トイレへと向けられていた。
「一緒に、あそこにいこ……」
「あっ……ああ」
僕は赤くなりながら、スズネの指示に従い、二人でトイレへと進んでいった。
「おおっ、ダイチちゃん。お盛んなことで」
「ああ、いってくる」
「何かあったら、私とのお熱い初夜を思い出してね」
ミラの突然の三角関係な爆弾発言に、周りのお客さんがザワザワし出す。
「ああ、思い出すなあ。私、初めてだったのに。夜が明けるまで求め合っちゃって。あれは激しかったわー」
「いや、僕は独身だし、ミラとは付き合ったことはないからな」
「じゃあ、やっぱり結婚しようか?」
「何で、そんな流れになるんだよ?」
「ううん、冗談だよw」
「ミラの冗談は、たまに笑えない時があるからな」
「あははっ、ごめンゴ。バイバイ、過去の花婿ーw」
ミラは大きく手を振りながら、僕らの行く末を精一杯の笑顔で見つめていた。
「ううっ……私フラれちゃったな……」
「ミラさんとやら泣いているのかな。ワタクシでよければお話に乗りますよ?」
「……確か、ヤスラギ店長さんでしたっけ、その気に生じて、奥さんがいるのに寝取られ行為はマズイですよー‼」
****
「ダイチ君。アレなら持っているから安心して」
「まあ、確かに避妊しないと駄目だよなあ」
「はあ? 何言ってるの? 履歴書の紙を持っているという話よ?」
トイレの個室に入り、スズネが呆れた目つきでブランドバッグをまさぐり、僕に履歴書を手渡す。
「あとは下準備ね。その……便器の前だと狭くて、しづらいから壁側に立ってくれる?」
「えっ、やっぱり、ここでしちゃうの?」
「その方が手っ取り早いでしょ」
「分かった……」
僕はカチャカチャと音を立てて、ズボンのベルトを外そうとする。
「ちょっと何やってるのよ。自分たち付き合ってもないのに。しかもこんな個室のトイレで……変態なの? スマホで証明写真を撮るのに何でズボンを脱ぐ必要があるのよ……」
「えっ、じゃあここに誘った理由って?」
「ええ、コンビニのトイレって、基本、白一面の壁紙でしょ。ここなら写真も上手く写せるから。証明写真も結構、値が張るからね」
「なっ、何だあ……」
僕はヘナヘナと脱力し、スズネに持たれかかった。
そうだよな、スズネに、そんなイメージなんてないもんな……。
****
「──ということがあっての」
「お父さん、またお母さんの話?」
「おお、マキは昔のスズネと瓜二つじゃよ」
「そんなん決まってるじゃん、実の
今年で初老を迎えた僕は、仏壇の手入れを始めたエプロン姿のマキの姿を見ながら、マキに話の続きを聞かせる。
「……それでの、スズネは……」
「ふふっ。お父さん、本当に亡くなったお母さんのことが大好きだよね」
仏壇に置かれた写真のサイクルウェアを着ているスズネは、『花丸自転車屋』の庭先を背景に心底楽しそうに笑っていた。
乳ガンで若くして命を散らしても、僕の奥さんは終始、笑顔で……。
Fin……。