翌朝、越裳温泉はいつも通りの喧騒に包まれていた。ケンタは、女将と共に玄関で新しいお客様を待っていた。ブーメラン星雲からのお客様のおかげで、旅館の評判は一気に高まり、今日のお客様は、AIの予測をはるかに上回る大物だという。
「ケンタくん、今日のことをよく覚えておくのよ。このお客様は、宇宙でも屈指の美食家でいらっしゃるからね」
女将の言葉に、ケンタは身を引き締めた。そこへ、一台の浮遊式リムジンが、旅館の玄関先に静かに着陸した。中から現れたのは、まるで巨大なキノコのような姿をした生命体だった。彼らは視覚も聴覚も持たず、全身にある無数の孔から発する匂いだけでコミュニケーションを取るという。
「匂いの王様、フルール星からお越しのお客様でございます」
女将の紹介に、ケンタは深く頭を下げた。フルール星のお客様は、挨拶の代わりに、彼らの体から、甘く芳醇な香りを放った。それは、地球のどの花とも違う、不思議な香りだった。
「ようこそ、コスモ温泉へ。心より歓迎いたします」
ケンタが挨拶すると、お客様は体から、また別の香りを放った。それは、柑橘系の爽やかな香りで、「喜んでいる」という感情を表現しているようだった。
「では、早速ですが、ご要望の温泉をご用意しております」
女将に案内され、お客様は温泉へと向かった。お客様のご要望は、「匂いのフルコース」を味わえる温泉だった。彼らは、視覚も聴覚も持たないため、温泉の効能や景色を楽しむのではなく、温泉の湯気や周りの景色が発する匂いそのものを楽しみたいと願っている。そして、その匂いを、食事のように味わうのだという。
ケンタは、早速「匂いのフルコース」を組み立てる作業に取り掛かった。フルール星のお客様は、甘い香りから始まり、爽やかな香り、スパイシーな香り、そして最後に、甘く複雑な香りを好むという。
ケンタは、まず、甘い香りの演出を考えた。温泉の湯気に、地球の花々の香りを混ぜ合わせる。桜、バラ、ジャスミン。それぞれの花の香りが、フルール星のお客様の嗅覚を刺激する。
「これは、フルール星のお客様にとって、最高のデザートになるはずだ」
次に、爽やかな香りの演出を考えた。温泉の湯気に、ミントやユーカリの香りを混ぜ合わせる。爽やかな香りは、お客様の心をリフレッシュさせ、次の匂いへの期待感を高める。
「まるで、口直しのような…」
スパイシーな香りの演出は、ケンタにとって最も難しい課題だった。温泉の湯気に、唐辛子や生姜の香りを混ぜ合わせる。しかし、それは、匂いを食べるフルール星のお客様にとって、刺激が強すぎるかもしれない。
「そうだ…」
ケンタは、一つのアイデアを思いついた。スパイシーな香りの温泉に、特殊な装置で、バニラの香りを混ぜ合わせる。スパイシーな香りと、甘い香りが混ざり合うことで、より複雑で奥深い香りを生み出す。
「これなら、お客様もきっと喜んでくれるはずだ」
そして、最後に、甘く複雑な香りの演出を考えた。温泉の湯気に、チョコレートやコーヒーの香りを混ぜ合わせる。そして、そこに、ほんのわずかに、木の香りや、土の香りを混ぜ合わせる。
「これは、まるで、地球の歴史を味わうような…」
ケンタは、自らの仕上がりに満足げに頷いた。絶対零度温泉に続き、匂いのフルコース温泉。ケンタは、また一つ、宇宙人の常識を超えたおもてなしを実現することができた。
「お客様、匂いのフルコース温泉、ご用意ができました」
ケンタは、お客様を温泉へと案内した。お客様は、浴槽へと足を踏み入れると、全身にある無数の孔から、甘く芳醇な香りを吸い込んだ。
「これは…素晴らしい…!」
お客様は、体から、桃の花のような甘い香りを放った。それは、「感動している」という感情を表現しているようだった。
次に、温泉の湯気からは、爽やかなミントの香りが漂ってきた。お客様は、全身の孔から、その香りを吸い込んだ。
「これぞ、真の贅沢…!」
お客様は、また別の香りを放った。それは、夏の雨上がりのような、清々しい香りだった。
そして、スパイシーな香りの温泉へ。お客様は、最初は少し戸惑っていたが、バニラの香りと混ざり合うことで、その香りをゆっくりと味わい始めた。
「なんて複雑な…! これは、芸術だ!」
お客様は、体から、スパイスのような香りを放った。それは、「興奮している」という感情を表現しているようだった。
最後に、チョコレートとコーヒーの香りが混ざり合った温泉へ。お客様は、その香りを吸い込むと、しばらくの間、静かに目を閉じていた。そして、ゆっくりと目を開けると、体から、温かい紅茶のような香りを放った。
「…ありがとう。あなたのおもてなしは、私の人生に、新たな感動を与えてくれた」
お客様は、ケンタに深々と頭を下げた。
「あなたに、最高の【外暇】を差し上げます」
お客様は、懐からメダルをケンタに手渡した。それは、これまでケンタがもらったどの【外暇】よりも、大きく、輝いていた。
ケンタは、お客様を玄関で見送った。女将は、大喜びだった。
「ケンタくん、あなたのおかげで、うちの旅館は、宇宙一の温泉旅館になるわ!」
ケンタは、女将の言葉に、嬉しさと共に、また別の感情を抱いていた。匂いを食べる嗅覚生命体。彼らは、匂いで感情を表現し、匂いで食事をする。それは、地球人には理解できない、全く新しい世界だった。
「ホンモノの人間によるおもてなし……」
ケンタは、改めて、自分の仕事の奥深さを感じていた。物理の常識も、生物の常識も、通用しない宇宙人たち。彼らを心から満足させるためには、人間の持っている五感だけでは足りない。彼らの文化、彼らの常識を理解し、彼らの心に寄り添うことが、ホンモノのおもてなしなのかもしれない。
ケンタは、新たな決意を胸に、【外暇】のメダルを胸にしまった。明日も、また新しいお客様がやってくる。今度は、どんな奇妙なご要望だろうか。
ケンタの格闘の記録は、まだまだ始まったばかりだ。