フルール星のお客様を見送った翌日、ケンタは朝からそわそわしていた。次の「超エリート」のお客様は、どのような奇妙な要望を突きつけてくるのだろうか。
「ケンタくん、落ち着きなさい。あなたなら、どんなお客様でも、きっと心のおもてなしができるわ」
女将は、そう言ってケンタを励ましてくれた。そこへ、一台の浮遊式リムジンが、旅館の玄関先に静かに着陸した。中から現れたのは、球体と多面体で構成された、銀色の生命体だった。彼らは、感情を持たず、論理と数学的思考だけでコミュニケーションを取るという。
「論理の王様、シグマ星からお越しのお客様でございます」
女将の紹介に、ケンタは深く頭を下げた。お客様は、挨拶の代わりに、体から、無数の数式や幾何学模様のホログラムを放った。それは、「挨拶を返す」という論理を表現しているようだった。
「ようこそ、コスモ温泉へ。心より歓迎いたします」
ケンタが挨拶すると、お客様は体から、また別の数式を放った。それは、「感謝している」という論理を表現しているようだった。
「では、早速ですが、ご要望の温泉をご用意しております」
女将に案内され、お客様は温泉へと向かった。お客様のご要望は、「人間が温泉で感じる『情緒』とは何かを体験したい」というものだった。熱さや温度といった物理的な感覚ではなく、心が満たされるような感覚を求めている。
「情緒か…」
ケンタは、頭を抱えた。感情を持たないAI生命体に、人間の「情緒」を体験させる。それは、匂いを食べる嗅覚生命体をもてなすよりも、はるかに難しい課題だった。
「どうすれば、彼らに『情緒』を理解させることができるだろうか…」
ケンタは、部屋に戻り、早速「情緒の温泉」の準備に取り掛かった。論理と数学的思考だけで生きる彼らに、どうやって感情を伝えるか。ケンタは、一つの結論にたどり着いた。
「論理では説明できない『完璧ではないもの』。それが、人間の『情緒』なんだ」
ケンタは、早速、温泉の湯気に、日本の四季の映像を投影した。春の桜、夏のひまわり、秋の紅葉、冬の雪景色。それぞれの映像に合わせて、音や香りを混ぜ合わせる。
「完璧ではない…」
しかし、ケンタは、この演出に、あえて一つだけ「不完全な要素」を加えた。春の桜の映像には、鳥の鳴き声ではなく、風鈴の音を混ぜ合わせる。夏のひまわりの映像には、セミの鳴き声ではなく、雨の音を混ぜ合わせる。
「完璧ではない組み合わせ。それが、彼らの論理を揺さぶるはずだ」
そして、お客様を温泉へと案内した。お客様は、浴槽へと足を踏み入れると、全身から、無数の数式を放った。それは、この温泉の演出を解析しているようだった。
「論理に矛盾が生じている。なぜ、春の映像に、風鈴の音が鳴り響くのか?」
お客様は、体から、混乱を示す数式を放った。ケンタは、お客様の反応を見て、心の中でガッツポーズをした。
「よし、狙い通りだ…!」
しかし、ケンタの喜びも束の間、お客様は急に立ち上がった。
「この温泉は、論理的ではない! 完璧ではないものを、なぜ『情緒』と呼ぶのか! 理解不能だ!」
お客様は、体から、怒りを示す数式を放った。それは、まるで、幾何学模様の嵐が吹き荒れるようだった。
「申し訳ございません…!」
ケンタは、頭を下げて謝罪した。しかし、お客様は、そのまま怒りをあらわに、旅館を後にしようとした。
「ケンタくん、どういうことなの!」
女将が、ケンタに詰め寄った。ケンタは、顔面蒼白になりながら、事情を説明した。
「お客様は、論理的ではない温泉に、怒ってしまったんです…」
女将は、顔を真っ青にした。
「せっかくの超エリートのお客様が、台無しじゃないか! このままでは、旅館の信用問題に関わるわ!」
ケンタは、女将の厳しい言葉に、心臓が凍り付くような感覚を覚えた。しかし、ケンタは、このまま終わらせるわけにはいかなかった。
「まだ、間に合います! もう一度、僕にチャンスをください!」
ケンタは、女将に深々と頭を下げた。女将は、ケンタの真剣な眼差しを見て、ため息をついた。
「わかったわ…でも、これが最後のチャンスよ。失敗したら、もう、うちの旅館では働けないと思って」
ケンタは、再び部屋に戻り、今度は、完璧な「情緒の温泉」を考え始めた。
「論理では説明できない『完璧ではないもの』。それが、人間の『情緒』…」
ケンタは、お客様の言葉を思い出した。そして、一つの結論にたどり着いた。
「完璧ではないものに、人間は感動を覚える…」
ケンタは、まず、温泉の湯気に、満開の桜の花びらを浮かべた。そして、湯気からは、鳥のさえずりを流す。春の桜の情景を、完璧に再現した。しかし、これだけでは、論理的なお客様は満足しない。
ケンタは、桜の映像に、あえて、一瞬だけ、風に舞う花びらが、散っていく映像を混ぜ合わせた。そして、鳥のさえずりに、一瞬だけ、静寂が訪れる瞬間を加えた。
「完璧な美しさに、一瞬の『不完全さ』を加える…」
ケンタは、お客様を温泉へと案内した。お客様は、浴槽へと足を踏み入れると、再び、全身から無数の数式を放った。
「これは…完璧な美しさだ。しかし、この一瞬の『不完全さ』…この感情は…?」
お客様は、体から、無数の数式を放った。それは、論理的な解析では解決できない、新しい感情を表現しているようだった。
「これは、悲しみ…? いや、違う。この感情は…『切ない』という感情か…!」
お客様は、体から、満開の桜のようなホログラムを放った。それは、「感動している」という感情を表現しているようだった。
「ありがとう…! あなたのおもてなしは、私に、論理では説明できない、新しい感情を教えてくれた」
お客様は、ケンタに深々と頭を下げた。
「あなたに、最高の【外暇】を差し上げます」
お客様は、懐から、小さなメダルを取り出し、ケンタに手渡した。それは、これまでケンタがもらったどの【外暇】よりも、大きく、そして、温かい輝きを放っていた。
ケンタは、お客様を玄関で見送った。女将は、ケンタの肩を叩いて喜んだ。
「ケンタくん、よくやったわ! あなたのおかげで、うちの旅館は、また一つ、素晴らしいお客様との出会いを果たせたわ」
ケンタは、女将の言葉に、安堵と達成感で胸がいっぱいになった。
「ホンモノの人間によるおもてなし…」
それは、論理だけでは解決できない、心と心の交流だった。
ケンタは、新たな決意を胸に、【外暇】のメダルを胸にしまった。明日も、また新しいお客様がやってくる。今度は、どんな奇妙なご要望だろうか。ケンタの格闘の記録は、まだまだ終わらない。