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第5話 浦島太郎

 シグマ星のお客様を見送った翌日、ケンタは達成感と少しの疲労を感じながら、新しいお客様の到着を待っていた。これまでの経験から、次のお客様は、さらに常識外れの要望を突きつけてくるに違いない。


 そこへ、一台の浮遊式リムジンが、旅館の玄関先に静かに着陸した。中から現れたのは、光速に近い速度で移動する、半透明の光の生命体だった。彼らは、時間の流れが極端に遅い星から来たという。


「時間の王様、エテルニテ星からお越しのお客様でございます」


 女将の紹介に、ケンタは深く頭を下げた。お客様は、挨拶の代わりに、体から、虹色の光の粒子を放った。それは、「挨拶を返す」という彼らの文化を表現しているようだった。


「ようこそ、コスモ温泉へ。心より歓迎いたします」


 ケンタが挨拶すると、お客様は体から、また別の光の粒子を放った。それは、「感謝している」という彼らの感情を表現しているようだった。


「では、早速ですが、ご要望の温泉をご用意しております」


 女将に案内され、お客様は温泉へと向かった。お客様のご要望は、「地球の一秒を、一日かけて楽しみたい」というものだった。彼らは、時間の流れを自在に操る技術を使って、一瞬の景色を永遠のように味わいたいと願っている。


「ウラシマ効果…」


 ケンタは、頭の中で、応用物理学の知識をフル回転させた。ウラシマ効果とは、光速に近い速度で移動する物体は、時間の流れが遅くなるという現象だ。お客様は、その現象を、温泉の中で体験したいのだ。


「どうすれば、彼らの望む温泉を作り出すことができるだろうか…」


 ケンタは、部屋に戻り、早速「ウラシマ温泉」の準備に取り掛かった。特殊な空間を構築し、温泉に入るお客様だけに時間の流れを遅く感じさせる。しかし、それには、非常に高度な技術が必要だった。


「よし、やるしかない…!」


 ケンタは、特殊な空間を構築する装置を設置し、温泉の湯気に、地球の一秒間の美しい映像を投影する。花が咲き、鳥が飛び、雲が流れる。それらの映像を、一日かけてゆっくりと楽しませる。


「完璧なはずだ…!」


 ケンタは、自分の仕上がりに満足げに頷いた。しかし、その時、ケンタは、一つだけ、重大なミスを犯していた。


「お客様、ウラシマ温泉、ご用意ができました」


 ケンタは、お客様を温泉へと案内した。お客様は、浴槽へと足を踏み入れると、体から、虹色の光の粒子を放った。それは、「喜び」を表現しているようだった。


 しかし、その喜びも束の間、お客様は急に立ち上がった。


「これは…! 時間が、流れていないではないか!」


 お客様は、体から、怒りを示す光の粒子を放った。それは、まるで、虹色の稲妻が走り回るようだった。


「申し訳ございません…!」


 ケンタは、頭を下げて謝罪した。しかし、お客様は、そのまま怒りをあらわに、旅館を後にしようとした。


「ケンタくん、どういうことなの!」


 女将が、ケンタに詰め寄った。ケンタは、顔面蒼白になりながら、事情を説明した。


「お客様は、時間が止まってしまったことに、怒ってしまったんです…」


 女将は、顔を真っ青にした。


「せっかくの超エリートのお客様が、台無しじゃないか! このままでは、旅館の信用問題に関わるわ!」


 ケンタは、女将の厳しい言葉に、心臓が凍り付くような感覚を覚えた。しかし、ケンタは、このまま終わらせるわけにはいかなかった。


「まだ、間に合います! もう一度、僕にチャンスをください!」


 ケンタは、女将に深々と頭を下げた。女将は、ケンタの真剣な眼差しを見て、ため息をついた。


「わかったわ…でも、これが最後のチャンスよ。失敗したら、もう、うちの旅館では働けないと思って」


 ケンタは、再び部屋に戻り、今度は、完璧な「ウラシマ温泉」を考え始めた。


「時間が止まるのではなく、ゆっくりと流れる…」


 ケンタは、お客様の言葉を思い出し、一つの結論にたどり着いた。


「よし、これしかない!」


 ケンタは、特殊な空間を構築する装置を再調整し、温泉の湯気に、地球の一秒間の美しい映像を、一日かけてゆっくりと流れるようにした。そして、その映像に合わせて、鳥のさえずりや風の音を、ゆっくりと流れるようにした。


 しかし、ケンタは、また一つ、重大なミスを犯していた。特殊な空間を構築する装置の調整中に、装置のスイッチに触れてしまったのだ。その瞬間、ケンタの周りの時間の流れが、極端に遅くなった。


「しまった…!」


 ケンタは、慌てて装置のスイッチを切ろうとしたが、時すでに遅し。ケンタの体は、みるみるうちにおじいさんになりかけていた。


「う、嘘だろ…」


 ケンタは、自分の手を見つめた。そこには、シワだらけの、老人めいた手が映っていた。ケンタは、鏡に映った自分の顔を見て、絶叫した。そこには、白髪と深いシワが刻まれた、老人めいたケンタの顔が映っていた。


「ま、まずい…! お客様を、もてなせない…!」


 ケンタは、必死に温泉の準備を進めた。しかし、ケンタの体は、すでに老人の体になっており、思うように動かない。


「ケンタくん、大丈夫かい?」


 女将が、心配そうにケンタに声をかけた。ケンタは、女将に自分の身に起こったことを説明した。


「ウラシマ効果で…僕、おじいさんになりかけてるんです…」


 女将は、ケンタの顔を見て、驚きを隠せない様子だった。しかし、すぐに、女将はケンタの肩を叩いて言った。


「ケンタくん。お客様は、あなたという『ホンモノの人間』のおもてなしを求めているのよ。おじいさんになっても、あなたのおもてなしの心は、変わらないはずよ」


 女将の言葉に、ケンタは胸がいっぱいになった。


「女将さん…」


「さ、お客様を案内しなさい。あなたのおもてなしを、きっと喜んでくださるわ」


 ケンタは、女将の言葉に勇気づけられ、お客様を温泉へと案内した。


 お客様は、浴槽へと足を踏み入れると、体から、虹色の光の粒子を放った。それは、「喜び」を表現しているようだった。


「これは…! 素晴らしい! 地球の一秒を、一日かけて楽しむことができる!」


 お客様は、体を沈め、至福の表情を浮かべた。ケンタは、その様子を見て、安堵の息を漏らした。


「ありがとう…! あなたのおもてなしは、私に、時間の流れという、素晴らしい感動を教えてくれた」


 お客様は、ケンタに深々と頭を下げた。


「あなたに、最高の【外暇】を差し上げます」


 お客様は、懐からメダルを取り出し、ケンタに手渡した。それは、これまでケンタがもらったどの【外暇】よりも、大きく、そして、温かい輝きを放っていた。


 ケンタは、お客様を玄関で見送った。女将は、ケンタの肩を叩いて喜んだ。


「ケンタくん、よくやったわ! あなたのおかげで、うちの旅館は、また一つ、素晴らしいお客様との出会いを果たせたわ」


 ケンタは、女将の言葉に、安堵と達成感で胸がいっぱいになった。しかし、ケンタの体は、まだ老人のままだった。


「女将さん…僕、このままおじいさんのままなんでしょうか…?」


 女将は、ケンタの顔を見て、微笑んだ。


「大丈夫よ。あなたのおもてなしの心は、若いままだから」


 女将の言葉に、ケンタは少しだけ微笑んだ。ケンタの格闘の記録は、まだまだ終わらない。

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