「お忙しい中よく来てくださいました」
私は、微笑みながら、正装した年配の男女に、会釈する。
「こちらこそ招待して頂き嬉しく思うよ」
柔らかな物腰で微笑み、会釈を返される。
「お忙しい中よく来てくださいました」
微笑みながら、私は、また、来てくださった方に、会釈する。
「こちらこそ、招待ありがとうございます」
少し言葉は違うが、また、同じように柔らかな物腰で微笑み、会釈を返される。
「お忙しい中よく来てくださいました」
微笑みながら、私は、また、会釈する。
そうして、また、柔らかな物腰で微笑み、会釈を返される。
そして、また、繰り返す。
「お忙しい中よく来てくださいました」
もう、幾度、いや、何百回繰り返しただろう?
このホールの入口に一人立ち、延々と繰返す、同じ言葉、同じ微笑み、誰にでもに優雅に接し、侯爵夫人として気品を醸し出し振る舞う。
それが私の役目でありであり、務め。
張り付いた微笑みも、
微笑みも、
言葉も、
全てにおいて、
己の心に反するものであっても、
誰もが認めるものに達観した、
理想的な侯爵夫人を演じ続ける。
これは、私が存在する為の、義務であり、役目なのだ。
いいえ、別に苦ではない。あの方との婚約が決まった時点で、厳しいまでの侯爵夫人としての礼儀作法を学び、その立場も、この家同士の繋がりの意味も、理解している。
だから、既に、私の1部となり、難なく、自然に振る舞えるようになった。
「お忙しい中よく来てくださいました」
誰かが来る度に、私は侯爵夫人として迎え入れる。
招待客、全ての方の名を間違えることなく、言葉が紡がれる。
疲れたでしょう?もうやめましょうよ。
声が、聞こえる。
「お忙しい中よく来てくださいました」
もう辞めたいよね。こんな無駄な事、いつまで続けるの?
また、声が聞こえる。
「ええ、招待ありがとう。侯爵様は?ああ、カテリナと御一緒ね」
初老の夫婦が腕を組み私に招待状を渡しながら、当然とばかりに奥を見ながら言う内容に。胸が鋭く、今も、痛む。
わざわざ言わないで。そんな事知ってるわ。
と奥底で泣く、もう1人の私が叫んでいる。
今更、でしょ、
と凍えた声で冷静に言う私がいる。
無意識に目線が奥へと向き、楽しげな二人が否応にも目の中に映る。
いつもの光景で、見慣れた光景なのに、いつまで経っても、慣れない。
「よく出来た、奥方だな。羨ましいよ」
よく出来た?何が?
「あなた、どういう意味なの?もしかして愛人がいるの!?」
「い、いや、いないよ。さ、さあ、中へ入って挨拶しようじゃないか」
慌てて奥様の手をひき、君だけを愛しているよ、と囁きながら奥へと歩いて行った。
当然だわ。愛人を堂々と出席させる誕生日パーテーなど、有り得ない。
他国では愛人、側室を娶る国もあるが、この国では認めらていない訳では無いが、非常識、だと捉えられている。
だからこそ、愛人をよく思う正妻なんて、存在しないし、愛人、側室の存在を認める筈がない。
でも、私は侯爵夫人であり、今日はその侯爵である夫の誕生日。このような祝いの席で、自分の気持ちを表に出すなど、愚かな事は許されない。
ましてや、非常識である愛人は、既に公認とされている。
これ以上見ることが出来ず、私はまた、前を向いた。
「早く貴女にも子供が出来たらいいわね」
招待客を向かい入れる中で、誰かが言う。
酷い言葉。
それがどれだけの意味を持ち、私を辛くさせるか、誰も知らないだろう。
「うふふ、もう、やぁだぁ。ホーンたら」
カテリナの声が賑やかで煌びやかな大きくホールの中、不思議に耳に響いた。
見たくもない筈なのに、何故だか振り向いてしまった。
カテリナが楽しそうに笑いながら微笑むと、その人も優しく微笑み返した。
「カテリナがそんな事を言うからだろ」
私に1度も見せたことのない、優しい微笑みに、優しい言葉。
どうして・・・どうして・・・!?
いや、もう結婚して1年、その言葉を言うのも、思うのも、もう疲れた筈だ。
ああ、そうよ。今日は主人の誕生日よ。私が皆様をお迎えしないといけない。
そう、
只それだけよ。
それだけに私の意味があるのよ。
「お忙しい中よく来てくださいました」
ほら、いつもの言葉をただ繰り返すだけ。そして、皆様に飲み物を配ればそれで、終わる。
いつもと、一緒よ。
「・・・」
「お忙しい中よく来てくださいました」
その方に微笑み会釈する。
「主人ならあそこでございます」
「お忙しい中よく来てくださいました」
同じ言葉の繰り返し。
同じ微笑みを浮かべるだけ。
そう、それだけよ。
「・・・レン。俺だよ」
その声にハッとする。
意識という曖昧はものは、現実を拒絶した時、全てを遮断する。
だから私は、気づくまで時間がかかったのだと思う。
ましてや存在するする筈のない人がいたら余計に朧気になる。
目の前に立つ懐かしい人が、とても悲しそうに笑っていた。
だから、その人が一瞬夢の中の存在なのかと思った。
「・・・サジ、タリー?」
無意識に出た名に、安堵し小さく頷いた。
夢ではなく現実だと思うと、サジタリーとの思い出が一気に走馬灯ように浮かび、胸がざわめく。
「少し、話そうか。幾つか聞きたい事がある」
私の肩に手を置き、促した。
「もう、招待客は差程来ないだろうから、他の者に任せればいい」
ホールの招待客と、手元にある招待状を見ながら、近くの召使いに合図した。
そうして、あの頃と変わらない優しい微笑みを私に向けた。