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第3話

◇ ◇ ◇


「お待たせ蒼羽。遅くなってごめんね」


「そんなに待ってないから大丈夫だ。それよりもその服、可愛いな」


「あ、ありがと……」


 水着にばかり気を取られて、私服を疎かにするところだった。家を出るギリギリのとこで可愛いのに着替えて正解だった。


 蒼羽に可愛いと褒められ嬉しい反面、それは幼なじみとして言っているのか。それとも特に深い意味はないのか、どっちなんだろう?


「近くの市民プールの半額チケットを友達に貰ってさ~。せっかくなら雨音と行きたいなって」


 そう、この言葉にも深い意味などない。夏休みに時間を持て余してる私に気を遣って誘ってくれたに違いない。だから、ここは変な期待など持たず普通にいよう。


 そもそも以前の告白の時に『幼なじみとしてしか見ていない』と、はっきり言われているんだし。


「あ、残りのチケット代に関しては俺が雨音の分も出すから気にすんな」


「それは悪いよ」


「俺から誘ったんだし、雨音の貴重な時間を俺が貰うんだから奢るのは当然だ」


「っ……」


 変な期待を持たないと今さっき決めたばかりなのに、こんなこと言われたら蒼羽をもっと好きになってしまうじゃないか。


 天然というものは時に人を傷付けてしまう。罪な人という言葉は蒼羽のために存在してるかのようだ。


「つーか、ここ二~三日で暑くなったよなぁ。熱中症対策に冷たい飲み物カバンに入れとけ。ほら」


「ありがとう」


 なにからなにまでいたれつくせりだ。まるで蒼羽の恋人にでもなった気分。幼なじみである私にこの対応なんだから、恋人にはもっと優しいだろうな。


 私以外の女の子……考えたくはないが、蒼羽が私を好きじゃない以上、いつかは蒼羽にもそう遠くない未来に彼女が出来る。


 私はそれを目の当たりにして普通でいられるだろうか。泣き喚いてその後にヤケ食いもしくはショックから立ち直れず学校が始まっても不登校になるのか。


 私の願いは蒼羽に恋人が出来ないことなのだが、それはそれで蒼羽が一生独り身になってしまう。私がいつまでも隣にいられたら、それが一番いいのだけど、そういうわけにもいかない。


 私は『ただの幼なじみ』として、蒼羽の前から消えていなくなる。


 ねぇ、蒼羽。私、次に学校が再開する頃にはこの世にはいないかもしれないんだ……。私は蒼羽に届かない言葉をそっと胸の中に閉じ込めた。


◇ ◇ ◇


「ど、どうかな?」


 プールの入り口で待ち合わせすることになり、私は水着に着替えるや否や、蒼羽の元に駆け寄った。


 ビキニはさすがに恥ずかしくてやめて、真ん中に大きなピンク色のリボンがついてるワンピース型の可愛い水着にした。


 今どきの高校生ならビキニくらい普通なのだろうか。私には着る勇気がないのと、咄嗟に誘いを受けたので手持ちになかった。


「雨音らしい水着で似合ってるぞ」


「そう? ありがとう」


 私らしい、とはどういう意味だろう。子供っぽいってこと、かな? 話の腰を折るのも申し訳なくて、それ以上聞くのはやめた。


「雨音、飯食ってきたか?」


「目が覚めたら蒼羽から電話がかかってきたからまだだよ」


「なら、先に飯にするか。プールで食べる飯っていつも家で食べてるのと同じなはずなのに何故か美味いよなー」


「それ、わかるかも」


「だよな」


 プール効果というやつなのだろうか。それとも好きな人と一緒に食べるご飯は魔法がかかっていて美味しい、とか。なんてメルヘンチックなことを頭の隅で考えながら、私たちは食べるものを選んでいた。


「う~ん、どれにしよう」


 正直迷う。意外と優柔不断な性格なんだよね。こういうのがサッと決められるとなんだかカッコいいって思う。こんなことでカッコいい? と思われるかもしれないが、私からしたら凄いことなんだ。


「せっかく二人で来てるなら別々の物を頼んで半分こしないか?」


「それもいいね」


 蒼羽、スマートに決めてカッコいいなぁ……と横目で見ていた。前言撤回。好きな人がする行動だからこそカッコいいと思うのかもしれない。イケメンならなんでも許されるって言葉、今なら理解出来る。


「雨音、何食おうか迷ってるんだろ? だったら俺が適当に選んでもいいか?」


「そうしてくれると助かる」


「わかった」


 私がメニューを見ながら口を開けっ放しにしていたから気付かれたのかもしれない。


 私は迷ってるとき、どうやら口がお留守になってるみたいで、初めて蒼羽に指摘されたときは恥ずかしかったな。それも今ではいい思い出だ。


「なら、焼きそばとホットドッグと唐揚げとかき氷のブルーハワイで」


 店員さんに注文し、私たちは席に座って待つことにした。番号が書いてあるリモコンの音がなれば自分で取りに行くスタイルだ。


「嫌いなもんはなかったよな」


「うん、大丈夫」


 それどころか好きなものばかり。テキトーに頼んだというわりには私の好物を把握してるとしか思えないラインナップ。


 こういうさりげない気遣いをされると、また好きになってしまう。蒼羽は私が死ぬ前に心臓を止める気なんじゃないか。


「腹いっぱいになったし、さっそく泳ぐか」


「そうだね」


 どれも凄く美味しくて思ったよりもがっついてしまった。お腹、出てないよね? と自身の水着を確認するもそこまで気にならなかった。


「雨音は昔から泳ぐのが好きだったよな。最初知ったときは意外すぎて驚かされたっけ」


「意外って?」


「見た目は清楚な感じなのに、意外とアクティブだな~って」


「嫌いになった?」


 我ながら、この質問はズルい。幼なじみとして嫌われたら、明日からどんな顔をして話せばいいかわからない。幼なじみとしての立場さえ危うくなったら、さすがの私もメンタルが無事では済まないだろう。


「そんなことで嫌いになるわけないだろ。俺はむしろ雨音の全部が知りたいって思ってるぞ」


「そ、そっか」


 曖昧な返事しか出来なかったけど、内心喜んでる私がいた。異性としてじゃないとわかっていても、今はその言葉に縋りついてしまう。


 期待していたセリフよりも更に私のテンションを上げてくるようなことを言ってくるのだから、蒼羽は本当に罪な男だ。


 私だって蒼羽になら全てを話したいし、知ってもらいたい。好きな人に嘘をつくことは私の良心が痛む。


 けれど、アイルに寿命を奪われ余命があと僅かである事を話せば私は死ぬ。そんなのは嫌だ。でも、一ヶ月後に命を落とす現実だって受け入れられない。


 あれから二週間は経ったから、あと半分。楽しい時間はあっという間に過ぎて、その思い出に浸ることさえ心地良い時間だと感じていたのに、今では時間が止まってしまえばいいと何度思ったことか。


 いっそのこと世界が滅亡すればいいのに……なんて、物騒なことを一瞬でも考えてしまった私は悪い子だ。私が死んでも世界はいつも通り。


 蒼羽は私が死んだら、泣いてくれるだろうか。もしも涙の一粒でも流さず、忘れ去られてしまったら悲しいな。


「なんだか空気が重い、な。気分転換に早く泳ごう。今日はプールに来てるんだし、せっかくなら思い出作って帰ろうぜ」


「うん」


 手を引いてプールのほうに先導してくれる蒼羽。一瞬で察してくれる蒼羽はやっぱり私のことを理解してくれてる。


 そうだよね、せっかく好きな人とプールに来てるんだもん。なら全力で楽しまないと損だよね。私には嫌でも余命が付きまとっているんだから。


「……っ」


「雨音、どうした?」


「なんでも、ない」


「?」


 水に入った途端、足に違和感を感じた。人の足でも踏んだのかな?ううん。それよりも、もっと変な感じ。


「泳げない……」


「え?」


「私、泳ぎ方を忘れちゃったみたい」


「そんなことってあるのか?」


「……」


 両手を前に伸ばしてみても、バタ足をしてみても、どうにも泳げる気がしない。


 身体が水を拒否しているみたいに一向に進まないのだ。唯一出来ることと言ったら浮くことくらい。それ以外はどれだけ動いても泳げなかった。


 なにかがおかしい。この前のプールの授業ではクラス内で泳ぐのが速いほうだったのに。なのに、どうして? 


 考えた末、一つの答えにたどり着いた。以前のプールでは、私はまだアイルと出会っていない。これは、もしかしたら私の余命と関係あるのかもしれない。


 日々、疲弊する身体。突然泳げなくなっても不思議じゃない。またひとつ、奪われてしまった。泳ぐこと。大好きだったプールで自由に泳ぐことすら出来ないのか。


 その瞬間、アイルの顔が頭の隅に浮かび、ふつふつとした怒りが込み上げてきた。まだ確信はない。けれど、そうとしか考えられない。


 アイルが仕事から帰ってきたら聞いてみよう。本人から聞いてもいないのに決めつけるのはよくないし。


「ごめん。私、帰るね……」


「ちょ、雨音!?」


「蒼羽、今日は誘ってくれてありがとう。凄く楽しい時間だったよ」


 私はプールから上がり、振り返ることなく走った。ごめんね、蒼羽。これ以上一緒にプールにいたら泣いてしまいそうになるから。蒼羽との思い出は楽しいものにしたいから。


「雨音。楽しいならなんで……。なんで帰るんだよ!」


「っ……」


 蒼羽の叫びは届いていた。切なくて悲しくて。でも私を心配してるような、そんな声色。ズルいよ、蒼羽。私はただの幼なじみなのに……。


 そんな必死に引き止められたら、勘違いしちゃうよ。けど、私は蒼羽の言葉を無視するかのようにその場を去った。

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