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第4話 思ってたのと違う鑑定スキル。

 食事を終えたあと、執事のグレイが「ご案内いたします」と優しく声をかけてくれた。

 大人の足取りをあえてゆっくりと落とし、五歳児の歩幅に合わせて歩いてくれる。

 グレイの背中は大きく、安心感のある存在だが、今日ばかりは緊張が胸の奥を締めつけていた。

 廊下の空気は、朝の光が差し込んでいるはずなのに、いつもより静かで重く感じる。

 絨毯の上を小さな足で踏みしめながら、俺は心の中で何度も深呼吸を繰り返していた。

 執務室の前に着くと、グレイが一度膝を折るようにしゃがみ、「大丈夫ですよ」と小さく囁く。

 その仕草に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。

 コンコン、とグレイがノックをする。

「レイン様をお連れしました」

「入れ」と父のグラードの低い声。

 グレイがそっと扉を開けてくれる。

 その手の動きはどこまでも丁寧で、俺の歩みに合わせて一歩後ろをゆっくりついてきてくれる。

 その細やかな気遣いが、今の自分には妙にありがたかった。

 部屋の中は、磨かれた木の床に重厚な書棚、窓から差す光が机の上に淡く広がっている。

 グラードは革張りの椅子に座り、横には長兄のオレファンと次兄のシェザン。

 グレイも部屋の隅で控えたままだ。

 机の上には、拳ほどの大きさの石。

 その一つが、この後の緊張とざわめきを呼び込むことになる。

「レイン、座りなさない」

「はい」

 言われて、シェザンの横へと腰を下ろす。

 小さなお尻が座面に沈んだ。

 俺が座ったところでグラードがこちらを見つめたまま、低い声で問いかけてきた。

「レイン、この石を見てみろ。何かわかるか?」

 俺は恐る恐る机の上の石に目を向けた。

(……ただの石、だよな?)

 つい口から漏れる。

「石、だよね」

 その言葉に、兄たちとグレイの表情がふっと緩んだ。

 思わず自分でもホッとしたのが伝わる。

 ここで『鑑定』を試したくなり、意識を向ける。

《鉄鉱石/用途:鉄の材料》

(これが鉄鉱石か。前世でも本物を見たことなかったな)

 ポツリと言葉が零れ出た。

「これが鉄鉱石かぁ……」

 言った瞬間、ピンと張り詰めた空気が戻ってくる。

 沈黙が広がり、父がゆっくりと息を吸い込んで吐く。

「レイン。なぜそれが鉄鉱石だと分かる?」

 俺は口をつぐんだ。

「……本で見たのか?」

 オレファンが言う。

 だが、すぐにグレイが補足した。

「いえ、オレファン様。レイン様はまだ絵本しか――文字もようやく習い始めたところでございます」

「では、なぜわかるんだ?」とシェザンも戸惑いを隠せない。

 ぐっと詰まりそうになる。

(……これは、まさかやらかしたパターンか?)

 石は大丈夫で、鉄鉱石だとダメってこと?なんで?

 思わずグラードと目が合う。

 真剣なまなざしに、身体がかちりと固まる。

「父上……?」

「レイン、この石のことを分かる範囲で話してごらん」

(わからないって答えるのはマズいよな……もう、誤魔化せないよな、鉄鉱石って言っちゃったし。ここは腹をくくるしかないか)

「鉄鉱石です。鉄の材料になります」

 そう答えると、グラードの表情が一層険しくなる。

 オレファンもシェザンも、そしてグレイまでも気まずそうな顔をしている。

 グラードが静かに息をつくと、少しだけ表情を緩めた。

「……レイン。お前が『鑑定』のスキルを持っていることは、もう分かった」

 その言葉に、シェザンが割って入る。

「なんで、レインがスキル持ってんだよ!しかも『鑑定』なんて!選別式もやってねぇのに!」

「黙れ、シェザン」

 オレファンが低く遮る。

「兄貴もそう思うだろ?! だから黙れと言っている。父上が話しているんだ」

「……チッ、分かったよ」

 シェザンが不満そうに椅子に座り直す。

 グラードがしばし黙り、机の上で指を組む。

「この世界では、スキルは八歳の選別式で明らかになるのが常だ。ひとりにつき、ひとつ。多くてもゼロかひとつ。もともと体に宿っているが、それを確認するのが選別式。選別式の前に分かることなど滅多にないが、全くないわけではない」

(選別式ってのがこの世界の常識なのか。選別式前に発動は驚きってわけか……でもそれだけじゃなくて、なんだか重い空気だ)

 オレファンがグラードに小声で言う。

「スキルが五歳で発動するのは珍しいですが、まさか『鑑定』とは……」

「ああ。他のスキルであれば、もっと喜べたのだが……『鑑定』は……」

 グラードはわずかに視線を落とし、続ける。

「スキルはその人の生き方を大きく左右する。職業に合ったスキルなら大いに役に立つ。

 だが、『鑑定』は……見れば分かることしかわからない。

 この鉄鉱石も石と言う者もいれば、鉄鉱石だとわかる者もいる。

 お前は『鑑定』スキルで鉄鉱石とわかるが、スキルがない人でも鉄鉱石だと分かる。……私の言ってることがわかるか?」

 グラードの言葉が静かに落ちる。

 その声は怒りでも失望でもなく、ただ事実だけを告げるものだった。

(……なるほどな)

 俺は思わず、昔科捜研で上司に「基本を見落とすな」と言われたときのことを思い出す。

 どんなに最新技術があっても、現場の誰もが気付く証拠しか見抜けないなら、“特別な力”とは言えない。そういうものなんだろう。

(この世界の“鑑定”は、あくまで“見れば分かることしかわからない”スキル。特別な真実を暴く力じゃない。誰もが知る情報を、ちょっと手早く知れるだけ――)

 目の前の鉄鉱石だって、現実世界でも理科好きな子ならすぐに見抜けただろう。

 つまり、俺が便利だと思っている『鑑定』は、この世界の人間から見れば、他のスキルほど役に立たない=評価されにくい、という理由も分かる。

(なるほど。ハズレ扱いか。俺には便利に思えるけど、そういうことか)

 自分の力の意味を、ひとつ大人の目線で静かに受け止める。

 そのうえで、胸の奥にわだかまる気持ちが、少しだけ整理された気がした。

「このことは、屋敷の者たちに口外しないように。グレイ、伝えてくれ」

「承知しました」とグレイ。

「レイン、お前がスキルを使うなとは言わないが、家族以外の前で『鑑定』については話さないこと」

「……わかりました」

 肩を落とした自分に、シェザンが明るい声をかける。

「スキルは残念だったかもしれないけど、こんなに小さくてスキル使えるなんてすごいよな。さすが俺の弟!」

 思わず小さく笑いそうになった。

 グレイもそっと微笑む。

 静かな執務室に、ほんの少しの安堵と、まだ消えない不安が静かに漂っていた。

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