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第4話 CEOはコーヒーに砂糖を入れない

翌朝8時。オフィスの会議室はまだ人がまばらで、外の通りも静かだった。

 ドアを開けると、陸が既に座っていた。

「早いのね」

「遅いよりはいいだろう」

 テーブルの上には、湯気を立てる二つのカップ。

「ブラックでいいか?」

「砂糖もミルクもなし?」

「甘さは砂糖で足すものじゃない」


 私はカップを受け取り、一口飲んだ。苦味が舌に広がる。

「苦いわね」

「苦い方が覚醒する。契約も同じだ」

「じゃあ昨日の条件交渉で覚醒したのはどっち?」

「二人ともだろう」


 資料を広げると、陸は鋭い視線でページを追った。

「ここのキャッチコピー、語尾を切るべきだ」

「切る? 言葉の余韻を殺すの?」

「余韻より刃だ。市場は斬られたほうが動く」

「なるほど。あなたは情より数字を信じるタイプね」

「数字は裏切らない」

「恋愛も同じこと言ってたら面白くない男よ」


 短い沈黙のあと、陸はわずかに笑った。

「じゃあ俺は面白い男になる努力をしよう」

「努力は評価するわ」


 議論が一段落した頃、陸のスマホが震えた。

 彼は一瞬だけ画面を見て、動きを止める。

「出ないの?」

「……仕事じゃない」

「じゃあ誰?」

 答えはなく、代わりに着信音が二度、三度と室内に響いた。

 画面に映った名前を、私は偶然見てしまう。女の名前だ。


 陸は着信を切り、資料に視線を戻した。

「続けよう」

「いいわ。でも——」

「何だ」

「その顔、さっきまでの数字よりずっと複雑よ」


 私の言葉に、陸は初めて視線を逸らした。

 会議室の空気が、コーヒーの苦味より重くなる。

 ——この男、過去に甘さを捨てた理由がある。

 それが何かは、まだ聞かない。

 知るのは、私が勝手に踏み込んでもいいと思った瞬間だ。

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