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第5話 二つの戦場が開く

昼下がり、デスクの上でスマホが震えた。

 画面に浮かぶ名前を見て、軽蔑の笑いが口から漏れそうになった。


——悠真。


 指先ひとつで開くと、そこには長文のメッセージが並んでいた。


「この前のことは誤解だ。本当にお前が大事なんだ。もう一度話したい」

「あの日の夜は——」


 読むだけで無駄。

 「誤解」という言葉で片づけられるほど、私の記憶は安くない。

 私は無言で画面を閉じ、既読マークだけを残した。


 ——沈黙は刃だ。刃は研がれてこそ威力を増す。


 数分後、再びメッセージが来る。


「返事くれないの?」

 私はスマホを裏返し、机に置いた。

 返信する義務はない。沈黙は、時に千の言葉より相手を抉る。


 そのとき、社内チャットの通知音が鳴った。陸からだ。


「午後4時、会議室Cで。別の新規案件」

 短く、無駄がない。彼らしい。


 ——が、もうひとつメッセージがすぐ続いた。

差出人は知らない名前の女性。


「はじめまして。少しお話ししたいことがあります」


 不思議に思いながらも、軽くその名前を検索をかける。

 出てきたのは、陸と並んで写る数年前の記事。女性は彼の隣で笑っていた。

 記事のキャプションには「陸CEOと共同創業者・玲花」の文字。


 なるほど。これが、昨日彼の電話に表示された名前か。

 私の中でパズルのピースがはまる音がした。


 ——元婚約者からの未練と、陸の過去を知る女からの接触。

 同じ日に二つの戦場が開くとは、面白い偶然だ。


 午後3時55分、会議室C。

 陸は既に資料を広げて待っていた。

「来たか。じゃあ始めよう」

「ええ。ただ、その前に一つ質問」

「何だ」

「玲花さんって、あなたにとって何?」

他の社員が来る前にどうしても聞いておきたかった。


 一瞬、陸のペンが止まった。

「……昔の話だ」

「昔話が、今も生きているように見えるのは気のせい?」

「気のせいだ」

「なら、そういうことにしておくわ」


 私は資料を開き、わざと何事もなかったように声のトーンを整えた。

「新案件の予算配分、ここを倍に。市場を切り崩すには最初の刃が必要」

 陸は黙って頷き、赤ペンで修正を入れる。

 その横顔を見ながら、私は確信した。


 ——この契約は、仕事と恋と復讐、全部を巻き込む。

 そして私は、どの戦場でも負けるつもりはない。

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