目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第7話 噂は走り、女は歩く

昼前、社内の空気がやけにざわついているのを感じた。

 プリンターの前で社員が二人、ひそひそ声を交わしている。

 ——ああ、もう来たか。


 デスクに座ると、社内チャットに匿名投稿のスクリーンショットが届いた。送り主は茜。


「有栖は新CEOを籠絡して契約を勝ち取ったらしい」

「営業というより接待。女の武器は強いね」


 笑ってしまうほど雑な文面。

 ——速さは馬より、悪意は風より。噂はいつだって証拠より先に走る。


 茜からメッセージが飛ぶ。

《どうする?》

《歩く》

《……は?》

《女は追いかけられてこそ。走るのは相手に任せる》


 昼過ぎ、陸から呼び出しがかかる。

 会議室に入ると、彼はスマホを机に置いた。

「噂、聞いたか」

「ええ。よくできた物語だと思ったわ」

「放っておくつもりか」

「否定すればするほど燃えるでしょう? 燃料は相手にくれてやる」

「大胆だな」

「契約と噂、どっちが長生きすると思う?」

「契約だ」

「そういうこと」


 陸はしばらく黙ってから、机上の書類を指さした。

「この件は俺が処理する。君は仕事に集中しろ」

「処理、ね。火消しは得意?」

「火加減は調整できる」

「じゃあ、私は風を送る役に徹するわ」


 オフィスを出ると、葉月から着信があった。

「見た? ネットのトレンド」

「見たわ」

「悠真の仕業よ。ああいう低レベルな攻撃、すぐ顔に出る」

「顔に出た瞬間、駒として使える」

「そういう笑い方、好き」


 葉月は続けた。

「悠真の会社、来月の展示会に出る予定。そこに、あなたのPR案件をぶつける」

「噂が燃えてる今こそ、炎上マーケティングね」

「そう。燃やすなら、見てる前で」


 ビルを出ると、春の風が頬を撫でた。

 私は足を止め、スマホで悠真のメッセージを開く。

 “話し合いたい”とだけ書かれた一文に、ゆっくりと既読をつける。


 ——走らない女は捕まえにくい。追う側にとって、それが一番の罰だ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?