外は冷たい雨が降り、街灯が水面に滲んでいた。
展示会前夜、オフィスの灯りはもう半分以上消えている。
残っているのは私と陸、そしてプレゼン資料の山。
「ここ、もう一文削れる」
「削りすぎると骨だけになるわ」
「骨は残して肉を削る」
「……例えが怖い」
時計は夜0時を回っていた。
コーヒーの香りもすでに薄く、机の上には飲みかけのペットボトルと散らかった付箋が広がっている。
キーボードを叩く音と、雨音だけが空気を満たしていた。
「君、集中すると瞬きが減る」
「観察眼が細かいのね」
「投資家は市場も人も同じように見る」
「じゃあ今の私は買い時?」
「高値圏だ。手を出すには覚悟が要る」
冗談めいたやり取りの中にも、どこか温度があった。
陸の視線が、数字ではなく私を測っている気配。
指先が同じ資料の端に触れ、わずかに重なる。
その瞬間、心臓の鼓動が資料のページをめくる音より速くなった。
「……有栖」
「何?」
「明日のプレゼン、君がメインで話せ」
「私が?」
「君の声は、数字より響く」
返事をしようとしたとき——会議室のドアがノックされた。
深夜のオフィスで、この時間に来る人間は限られている。
陸と視線を交わす。
「入れ」
ゆっくりとドアが開き、そこに立っていたのは——玲花だった。
数日前、私のスマホにメッセージを送ってきた女。
「遅くにすみません。陸、少し時間をもらえる?」
「今は——」
「大事な話」
その声に、陸の表情がわずかに揺れた。
私は席を立ち、資料を閉じた。
「続きは、後でにしましょう」
そう言って通路に出ると、背後で静かにドアが閉まる音がした。
——鼓動はまだ、夜の雨と同じリズムで胸を打っていた。
仕事か、恋か、それとももっと厄介な何かか。
答えは、明日まで預けておくことにした。