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第16話 証拠の価値と交渉のテーブル

昼下がりの陸のオフィス。

 窓の外は春の陽光が柔らかく差し込んでいるのに、室内の空気はどこか張り詰めていた。

 デスクの上、陸のノートパソコンに映るのは一通の匿名メール。


「これ……」

 画面に映った添付ファイルを見た瞬間、息が止まった。

 あの夜道、陸と交わした短いキス——そしてその瞬間を切り取った盗撮写真。


「送信者不明。差出人名もIPも偽装だ」

 陸の声は淡々としているが、瞳の奥には怒りの色が混ざっている。

「脅迫?」

「いや、まだ何も要求してきていない。……だからこそ不気味だ」


 彼は写真を拡大し、静かにため息をつく。

「これは、俺たちを試している」

「試す?」

「どう反応するか、どう動くか……その反応を見たい奴がいる」


 私はしばし沈黙した。

 写真は、ただの記録じゃない。刃にも盾にもなる。

「じゃあ、利用しましょう」

 私の言葉に、陸の眉がわずかに動いた。

「利用?」

「ええ。この証拠の価値を最大限に引き上げる。攻められる前に、こちらから交渉のテーブルに持ち込むの」


 陸は椅子から立ち上がり、私の前に歩み寄る。

 そして、私の顎に軽く指をかけ、顔を上げさせた。

「君は……本当に強くなった」

 その低い声に、心臓が跳ねる。

「強くならなきゃ、あなたの隣には立てないもの」


 陸の唇が近づく。

 昼間のオフィス、誰かに見られるかもしれない緊張感。

 それなのに、視線も、距離も、逃げられない。

「昼間のキスは、夜より危険だ」

「夜より……好き」

 唇が触れた瞬間、指先まで熱が走った。


 ほんの数秒——それだけで足元がふらつきそうになる。

「交渉は俺が進める。でも——」

 陸は耳元で囁く。

「君には、交渉の“切り札”になってもらう」

「切り札?」

「俺と君の関係そのものが、向こうにとって最も揺さぶれる駒だ」


 その言葉の意味を飲み込みながらも、私は微笑んだ。

「じゃあ、見せつけましょう。簡単には崩れないって」

「……惚れ直す」


 午後六時。

 私たちは二人きりで、古びた高級ホテルのラウンジに現れた。

 匿名メールの差出人が指定した場所だ。

 背もたれの高いソファに座り、向かいの席に現れたのは——見覚えのある男。

 悠真ではない。だが、彼のビジネスパートナーであり、かつて私を値踏みするように見た男。


「お久しぶりですね、有栖さん」

 笑みを浮かべながらも、目は冷たい。

「写真を送ってきたのは、あなた?」

「質問は交渉が始まってから」


 陸が私の手をテーブルの上で握った。

 その温もりは、私にとって鎧よりも強い防御だった。

「さあ——ゲームを始めようか」

 陸の低い声が、ラウンジの重い空気をさらに濃くする。

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