ニンゲンは休もうとしながら、いつしかねむって夢をみていた。
事故にあってすぐ、の夢。
「これから、十数分かかりますがまっていられますか?」
人生初の110番。
青空の下、親切な警察官の方の声が聞こえる。
現場に到着するまで、すこし時間が掛かるけれど大丈夫かという問い掛けだった。
――親切だなあ、…。
このくらいで呼んでいいのか、迷ったのだけれど。
何か申し訳ない気がしながら、電話を一度切り、なんとなく渡るはずだった横断歩道の写真をいまさらとって、石垣にもたれる。
青空に白い雲、緑豊かな樹々。
何故か、右肩にさげていた荷物が重くてもてなくなっていて、地面において空を見あげた。
街を歩いている人達は、普通にいそいでいたり、車もそれまでとまったくかわらずに走っていて、なんだか不思議だった。
右足首が痛いが、まてないというほどではない。
エアポケットに落ちたような気分で、先程までお昼を公園でとんびを何とか回避して食べられないかな、というのが唯一の問題だったときとはえらい違いだとおもいながら。警察の人が来るのを見逃して手間をかけたらいけないな、と多分、あちらが警察署の方、という方角をみる。
事故の際は、そのときは痛くなくて後から痛みがくる、と。
よくいわれているけれど、そのときの自分も痛みをあまり感じていなかったのだというのは、後から本当にわかるのだが。
「あ、こんにちわ。お手数をお掛けしまして、…―――」
いつもみる警察官の紺色を着た警官もいるけれど、服装が水色系で身体を護るものを沢山つけている――多分、交通課の制服なのだろう――が複数人やってきて、おどろきながら礼をしてご足労をかけたことを謝る。
見逃して、すれ違ったりしなくてよかった。
それにしても、随分沢山の人達が来られた気がする。いいのだろうか?
とりあえず生きているし、痛みは徐々に感じてはきているのだが、動けるし話せる。四肢が飛び散っているわけでもないし、ぐちゃぐちゃになってそこら中が掃除しなければならない状態でもない。
通報して、申し訳なかったかな、…。
2人位がくるとばかりおもっていたら、画板を持ったひとや、何かを確認している人、その他とおもったより多くの人がきたことに戸惑いながら、聞かれたことに応えていく。
青信号で横断歩道を公園に向かって渡っていたこと。
軽く接触して、たたらを踏んで何とか転ばずに堪えたこと。
それで、右足首が痛くなったが、そのまま車道に残るのは危険だと考えてもといた歩道へと下がったこと。
そして、左脇に停めていた車両があったので、停めにくいからもう少し先で相手の車が止まるとおもっていたら。
―――会釈をして、笑いながら手を振っていってしまったこと。
うん、茫然とみおくっていたとおもう。
「…それで、ナンバーなんですが」
おもわず、茫然と見送ってしまって。スマホがあるのに撮影もできないまま見送ったのだが。
良く晴れた良い天気で、視界良好。
視力はあまりよくないのだが、まるでスローモーションでみるように、真ん中の車線を去って行く車の背を見送ってしまっていた。
こまかい処はわからないのだが。
「××―××、ではないかと、…」
正直、自信はない。
あの何とかとか、4桁以外の処はまったくみえなかった。
それで大丈夫かどうかはわからないのだが、伝えてみる。
車の色は白で、軽自動車。
運転手の顔は真正面にみえたので、性別と年齢がどのくらいだったかをきかれて答える。年齢は正直全然自信がなかった。
状況説明の後は、繰り返し車種や色などを聞かれる。
「えーと、…色は白で軽自動車、…。小型で、――○○○に似た形でした」
「○○○ですか?」
「はい、えーと、…似てたけど自信はないです、…」
繰り返し、別の角度から聞かれる。質問する人も、画板を背から前にさげて、そこに何か書きながらきくひとだったり、車道に出て何か確認していた人からだったりする。
角度をかえて聞かれていると、自分の記憶が曖昧なことに気付く。
「ええと、…車の上の色ですか?それはおぼえてないです」
車体が白で新しそうな車だったことはわかる。でも、ツートンだったかといわれると、屋根の色をまったくおぼえていないことに気がつく。
それに、ナンバーの数字を覚えているのに(正しいかどうかは別として)、プレートの色を憶えていないのだ。
「…白っぽかった気はしますが、…記憶してませんね」
自分でおどろく。記憶ってこんなに不確かなのか。
軽自動車はナンバープレートが基本黄色なのだが、白っぽかった気がするのだ。最近は、白地に近い形やご当地ナンバーとかで黄色でない方が選択できるようになっていて、軽自動車でも白地のナンバープレートも多い。
「軽だったのは確か?」
「はい、だと思います。小型で、―――」
何というか、軽は普通車と違って大きさの他にも素材の違いというか、何ともいえない質感の違いがある気がする。ともあれ、小型車で○○○に似ている形で白色。
後から、○○○ではないが、良く似た形の車種で軽自動車だったことがわかるのだが。
「これとは違う?」
スマホで検索した画面で車種をみせてくれて聞かれるが、首を振る。
「それとは違います」
「そうか、これとかこれは?」
はっきりと違う型だとわかる車種には違うとこたえ、防犯カメラがないか、近くのビルに入っていく警察の方をみながら、大変だな、とおもう。
通報があったら調べないといけないのだろうし、申し訳なかったな、…。
段々と痛くなってきて、石垣にもたれて答えていると、一人が――すごくごつい服を着ていた――心配そうに話かけてくれる。
「家まで送りましょうか?」
「あ、ありがとうございます。―――でも、会社に戻らないといけないので、…」
「そうですか、――」
残念そうに警察の方がいって、申し訳ないなと頭をさげる。
後で考えれば、会社には電話連絡をして送ってもらえば無理をしないですんだのだが。―――そのときは頭がまわらず、後で会社に何とか戻った後、歩くのがしんどくてタクシーを呼ぶという人生初の経験をすることになる。―――それはともかく。
何か色々調べたり、何だりしてくだっている警察の方達が申し訳なくて、あやまったり、御礼をいいながら聞かれたことにこたえていく。
それから、名刺大の紙片に、担当の警察官の名前と、連絡先になる電話番号が印刷されたものをいただいた。
「ありがとうございます」
「何かわかったら連絡をいれますから」
携帯は仕事中は留守電になっているので、お名前を吹き込んでいただければ出られないときは折り返しますので、とお伝えして、あらためて御礼をした。
「ありがとうございます。お手数をお掛けして」
「いえいえ、気をつけて帰ってくださいね」
「…――ありがとうございます」
何だか、本当にありがたいな、とおもった。
お手間をかけてしまって申し訳ないけど、本当にありがたい。
警察の方達がまだすこし残って何かしていかれるようなので、ゆっくりと歩いて立ち去る。
歩きながら、おもっていた。
ゆっくり、なんだか右手に荷物が持ちづらいので左に、コートと一緒に抱えながら。
――うん、足首、いたいな。
でも、歩けているし、呼吸もできているし。
目も見えていて、耳も聞こえている。少なくとも、急がなければこうして歩ける。
すでに何だか普段と同じようには歩けていないことには気付いていたけれど。
――会社に戻って、早退の許可もらわないと。
後から考えれば、そこで無理をせずにすでにタクシー呼んで会社には電話連絡でよかったんじゃないでしょうか?と。
自分以外にだったら、そんな無理して戻らずに、はやく医者にいって!といっていただろうけど。
全然、何故かそのときは思いつきもせずに、昼休み時間ぎりぎりには戻れるかも、とかおもいつつ歩いていたのである。
うとうとしながら、かんがえる。
―――ちゃんと番号おぼえてて、よかった、…。
警察のみなさん、ありがとう、…と。
ぼんやりしながら、からだにのっかっているねこ様達の温かさにちょっと重苦しさもかんじつつ、ニンゲンは眠りの中にいた。