「うあっ、…――!」
コタツに横になり、――左肩を下にして、つまりは右肩が痛い為に普通に横になれない状態だったのだが、―――何とか寝ようとしていたニンゲンに。
「…―――!♪」
にこっ、と笑顔がみえそうなようすで、実に楽しそうに。
コタツの天板から、横になっているニンゲンの右肩――痛んでいる方の肩だ――に向けて。
非情なる、ねこ様によるフライング・ボディアタック!が決行された。
「うあ、…―――――」
ニンゲンがもだえている。
痛い方の肩を下にねられなくて、妙な姿勢で寝ようとしていたのだ。
それは、いたいだろう、うん。
白い毛皮にグレイのしましま模様の元気なねこ――しまという。ちなみにオスだ――は、うれしそうにニンゲンに乗って、ぺろぺろ髪をなめてくる。
えへへ、と声が聞こえそうである。ニンゲンだったら。
しまはねこ様なので、そんな声は出さないのだが。
いちおう、これは愛情表現なのだ、――――多分だが。
うめき声をあげて、無言でいたみにもだえているニンゲンに不思議そうにみながら、おやつのさいそくをする。そう、おやつやご飯のさいそくをするときに、ねこ様はニンゲンに乗るのだ。にぶいニンゲンに対して、要求を伝える為にねこ様達はさまざまな方法を駆使しているが、これはそのひとつである。
ニンゲンが横になってねているときに行う、フライング・ボディアタック。
ちなみに、しまはオスで5kgはある為、それなりの威力がある。
さらにいうなら、ある程度の――それほど、高所からではないが――高低差がある場所から、ねらいを定めて飛び降りるのだ。
ニンゲンに向けて。
「うう、…―――」
い、いまはやめてほしかった、…―――。
痛みのある箇所に飛び乗られても、よくしつけられたニンゲンはおこることはしない。痛みで声もない、というのも確かなことではあるが。
また、当然ながら、普段から寝起きにフライング・ボディアタックをかまされても、よくしつけられた下僕であるニンゲンがおこったことは一度もない。
下僕というか、なんというか、―――。
これが、女王様にしつけられた下僕であるニンゲンである。
つまり、三毛猫の女王様に異世界転生をキャンセルされた、ニンゲン。
そして、そのニンゲンがいまどういう状況に陥っているかといえば。
交通事故の後、車にひき逃げをされ。
さらに、やってきてくれた警察官達に状況を説明。
自力で、それでも何とか――人生初の、怪我をして動けないのでタクシーを呼ぶという行為を行い――整形外科のあるクリニックへと辿り着いて。
何故か、大きな病院を紹介されてしまい。
怪我は翌日の方がひどくなっていることもあるというが。
本当にその通り。
翌朝、紹介された総合病院で、思いもかけない診断を受けて、―――。
本来なら、入院しなくてはいけない怪我を負っていたことが判明したというのに。
「…ねこの世話をしなくてはいけないので、入院できません、…」
とかいって、診察室でドクターに怒られたり。
それでも、帰宅してねこ様達の世話を優先して。
ぐったりと、いまようやく寝ようとしているという、――――。
ようは、ねこ様達のお世話をする為を優先して、入院を断ってしまったばかなニンゲン。
それが。
三毛猫の女王様に異世界転生をキャンセルされたニンゲンであった。――――
下僕としてのしつけが大変行き届いていたといえよう。
女王が、お世話係と下僕として、いなくなっては困ると異世界転生をキャンセルさせた程には、下僕根性が染みついているとはいえるだろう。
そして。
しま王子の――しまは、三毛猫の女王様の息子である―――リクエストに従って。
「…やわらかごはん、…用意しないと、―――」
うめきおわったのか、ニンゲンがのそのそと何とか動こうとする。
やわらかごはん、とは、パウチに入ったウエットごはんのことである。
ねこ様のご飯には主に二種類あるが、そのひとつはメインのご飯としてよく使われている、通称カリカリ――乾いた、つまりはドライ状態のご飯である。総合栄養食といわれ、ねこ様達の健康を支える為の栄養素が過不足無く入り、身体に良いご飯といわれている。
対して、ウエットごはんとは、文字通りウエット、湿った、あるいは水分のある――つまりは、ニンゲンでいうツナ缶のような、お魚やチキンといった肉類を加工して、おいしく食べやすくしたもので、缶詰やパウチに入って売られているのが一般的だ。そして、大概、このウエットご飯は嗜好品としてねこ様達の食いつきが大層いいのだが。一般的に、総合栄養食のような栄養素が揃ったタイプのものよりも、一般食という区分で、あくまで嗜好品として栄養素は総合栄養食でおぎなって食していただくように、と注意書きがあるものの方が多い。
また、これは栄養素の欄を確認しなくてはいけないのだが。
ウエットタイプのご飯は、栄養素もカリカリタイプと異なり、一部のビタミン類などで不足しているものがあるタイプも多い。
要は、つまりウエットタイプはおやつとして作られているものが多く、要はニンゲンが食べるおやつと同じで嗜好品であり、そればかり食べていては健康によくないという事情があるのだ。
その為、ニンゲンはねこ様達のご飯として、メインはカリカリの総合栄養食を使い、ウエットタイプはあくまでおやつとして少しだけ、一日に一回か二回あげるようにしているのだが。
ともあれ、ウエットタイプは水分の補給にもなり、ある程度は差し上げておきたいおやつでもある。
それはともかく。
要は、しまはウエットタイプのごはん――あるいはおやつ――が大好きなので、今日はまだ出ていない為にニンゲンに催促したのだ。
そして、病院から帰ってきて何とかすこし休んでいたニンゲンは、起き上がってしま王子のリクエストを叶える為に動き出すのである。
いたいのに。
フライング・ボディアタックされたのに。
それで抗議するのでなくて、おやつの準備をはじめるとは。
いかに、ニンゲンが訓練された下僕であるか、―――。
つまりは、三毛猫の女王様が出向いてまで、他の下僕を探すのではなく、この下僕をそのまま使役することを希望したくらいには。(それにしても、このことを知ったら、ニンゲンは、――よろこぶのだろうか…。よろこぶ気がする…)
下僕として、しっかりと適応して生きているニンゲンであるといえただろう。
それはともかく。
ニンゲンは、よろよろと起き上がって、ねこ様のおやつを準備している。
ちなみに、病院から帰ってきたときは、先にねこ様達のトイレをきれいにし、さらに置きご飯――留守のときにある程度好きなときにご飯を食べられるよう、カリカリをおいてある――の減り方をみて補充し。さらに、お水を取り替えて――勿論、それはねこ様達が飲まれるお水だ――それから、はじめて自分の食事をなんとかとっていたりしたのである。
―――あわれだが、それが日課でもあった。―――
だがしかし。
日常なら、それもいいだろう。
というか、ニンゲンがねこ様達の下僕である以上、帰宅後に何から始めるか、といえばねこ様達のお世話からになるのは当然のことでしかないだろう。
だがしかし。
あらためて、いまをおもえば。
どう考えても、間違っている。
そもそも、何故入院を断ったのか?
大きな病院に紹介状を書かれて、翌朝受診。
そこで、ニンゲンは知ることになる。
交通事故の翌日に、悪化してはじめて怪我に気付くことも多いこと。
さらにいうなら、色々と検査されてしまった結果。
ニンゲンの骨には、ヒビがいってしまっていたことを。
しかも、場所が面倒な箇所で。
コルセットをはめてようやく動けて歩けるようにはなったが。
対症療法しか方法がなく。
手術等では侵襲性が高すぎ、さらにいうなら、手術した処で骨がくっつくようにできるわけではない。完全に折れているなら、保持する為などで、プレートを入れたり対処法はあったろうが。
完全に折れてはいない。しかし、無理な動きをすれば、悪化して後遺症が残る可能性も高い。
必要なのは、安静。
現代でも、こうしたヒビ――ヒビも骨折ではあるのだが――が入った場合、コルセット等で外側から動かないように保持して、人体が傷を治す、それを待つしか方法がないということもあるのだ。
ニンゲンがやったのは、腰であった。
腰椎というものがニンゲンにはある。解剖学的にそういう名前がつけられた骨があるというべきか。
動くにも歩くにも、ここをやられてしまうと身動ぎするのさえ難しくなるような箇所にある骨である。そこの、何というか微妙な辺りが、簡単にいうと横に輪切りをすると丸くみえる骨から、何か飛び出ている骨がみえるとおもうが――その骨との継ぎ目のような辺りが。
ヒビが入り、そのままだと、丸い処からぽきっ、と。
飛び出ている骨が、ばいばいさよーなら~♪と新しい旅に出てしまいそうな箇所の微妙すぎる部分にヒビが入っていたのだ。
痛い。それは、痛いだろう。
だがしかし、ニンゲンは特殊な体質をしていた。
薬が使えないニンゲンというのがいる。
すべての種類が使えないわけではないが、この場合、ニンゲンは痛み止めというものがほぼ使えない体質であった。
そのときのニンゲンの感想は。
―――詰んでる、…。
ということであった。
ちなみに、ヒビが入っているらしい輪切りにされた腰椎の画像をみせられて、先生が丸い部分から、ちょっとへにょっ、となりかけている――他の部分では、同じように飛び出ていても、もう少しまっすぐだったような気がする―――骨を示されて説明されて。説明の間も痛みのあまり内容はよくわかっていないのだが。
ともあれ。
交通事故にあったとき。
その場では、興奮していて痛みを感じない、とか。
翌日になって、興奮が解けて、ようやく痛みを感じたりするために、翌日になってひどくなった、と感じたりすることが多いとか。
とかとか。
―――現実に、あるんだなあ、…、と。
交通事故あるあるを、しみじみ実感していたりとしたのだが。
そう。
ようやく、痛くなってしまっていたのだ。
歩けない。
まともに、あるけない。
だって、いたいんだもの。
そう、――ニンゲンの身体が痛みというものを訴えてくれて、ありがたいというべきだろう。でなくては、痛みがなければヒビが入ったまま普通にすたすた歩いていたら――どう考えても、ヒビがぽきっ、になり、つまりは。
悪化していたら、最悪もう歩けないか、そうでなくとも下半身に影響が。
下手をすると、トイレにいけなくなったり、歩けなくなる後遺症が残る状態になってしまうかもしれない状態に陥っていたのだ。
やばい状況である。
だから、安静。
だから、入院をすすめられる。
入院なんて、そんなもの必要がなければ勧められることはないのである。
勧められたら、従った方が確実に良い。
確実に。
医師に入院を指示されたら、従いましょう。
しかし、ニンゲンは。
そう、入院をことわってしまっていたのだ。
アホである。
ばかとしかいいようがない。
この後、ニンゲンは沢山の後悔をすることになるのだが。
ともあれ、説明を聞いた際、ニンゲンがまず思ったのは。
――詰んだ、…。
であった。
痛み止めは使えないのだ。
体質で、こればかりはどうしようもない。
さらに、安静にする為に入院を勧められたのだが。
ニンゲンには、ねこ様達のお世話をするという役目があった。
入院しても、何もできることがあるわけでない。
安静にして、ベッドで過ごすだけだ。
痛み止めが使えず、コルセットをはめてすごすだけ。
入院が好きではない、というのもある。
尤も、入院が好きな人間はいないだろうが。
それなら、と。
ペットホテル×三匹分の費用と、入院費。(ちなみに、ニンゲンがいまお世話をさせていただいているねこ様は三匹である)
それを考えて、先生に伝えて。
怒られて、あきれられはしたのだが。
そもそも、痛み止めも使えない体質。
病院にいても、出来ることは限られているというか、ない。
それなら、とか考えて。
ニンゲンは、おろかなことに入院を断ってしまったのである。
なんと愚かなニンゲンであることか。
ともあれ、交通事故。
本来なら、相手がまともであり、任意保険に入っていれば、入院費などはすべて相手の保険会社から費用が支払われる。
本来なら。
だが、相手が見つからない場合、一旦は自費ですべて支払うことになる。
その費用を考えたら、入院を断ってしまっても仕方が無い一面はあっただろう。
そもそも、入院加療をしても、加療の部分がじっと寝ている――安静にしているということでしかなく、対症療法であり、積極的な手段があるわけではないのだから。しかも、ニンゲンの場合、薬も使えない体質であると、痛みが強くなった際などに投薬ということもできない。
だから、と。
入院を断っても、ある意味仕方が無い面はないではなかったのだが、―――。
安静が必要とされる意味を。
入院が寝ているだけ、であったとしても。
気疲れもするだろうし、自宅のように自由にはできないのだとしても。
どうして、入院した方がいいといわれたのかは。
ようやく帰宅して、これから。
しみじみと後悔していくことになるのだが。
そう、しみじみと。
まずは、ひとつ。
――――!まっすぐに寝れない―――――!!!
痛みのあまり、コルセットをしていても、普通に上を向いてまっすぐにねむることができない、ということにまず気付いて。
横になって、右肩を上にして寝るという変則的な形で、休もうとしていたのだが。
そこへ、ねこ様のフライング・ボディアタック。
ニンゲンは、おろかさを――ねこ様達のお世話を優先する為に――入院がいやだったのもあるが――入院を断ったおろかさを知ることになるのである。
いやだって、痛いでしょうに。
それで、食事の用意とか、何とかかんとか全部。
どうやって、やるつもりでいたんですか?
入院したら、それ、上げ膳据え膳ですよ?
ある程度は、自分でやらなくてはいけませんが。
少なくとも、食事の準備も、洗い物も、しなくていいですよ?
ねこ様のお世話は、根性でやるとしても、ニンゲン自身の世話ですよ?
そんなのモチベーション続きます?
大変ですよ?
やめといた方がいいですよ?
入院、しときなさいよ?
費用の問題じゃないですよ、―――。
いや、費用の問題なんですけど。
そんなこんなで。
ねこ様にフライング・ボディアタックをくらい、もだえつつ。
それでも、ねこ様達の為にウエットご飯を準備する、ニンゲン。
あまりにしつけの行き届いたねこ様達の下僕。
はたして、安静に日々を過ごすことができるのか。
一体これから、どうなってしまうのか?
ねこ様達の下僕であるニンゲンの。
明日は、どっちだ、――――!