ジャクル・イファイ砲撃管制官主任少佐には、名が五つある。
あまりに長いので、略称とした二つに絞り普段は使っているのだが。
それはともかく。
赤毛で少年のような容姿は、よく艦長のリ・クィアに子リスのようだ、といわれる。全体的に動きがこまかくみえて、小さなジャクルは身長も高い大柄な艦長からすれば本当に小さくちょこまかと動き回るようにみえているらしい。
だから、と。
「そういう小動物にみえているんでしたら、どうしてもっと大事にしようとは思わないんです?」
砲撃管制前の席に着いたままジャクルが背に立って覗き込もうとしている艦長にとげのある声でいう。それに、こまったように腕組みをして覗き込もうとしたまま艦長が応える。
「いや、だって失礼じゃないか。ああいう小動物でも、大自然の中では、多くの天敵と戦って生きているのだろう?つまりは、歴戦の戦士だ。戦士をそういうかわいいもの扱いでは失礼というものだろう?」
「…どこをどーしてどうしたら、そういう理屈になるんですか。…とにかく、艦長!」
「なんだ?ジャクル。処で、そろそろそこに隠している映像を見せる気にはならないか?」
往生際わるく、――いや、往生際かどうかはともかくとして。
あきらめずにジャクルが隠している通信映像――それは、ジャクル個人宛に届いた映像であり、受信者であるジャクル意外には基本的に開示されない――を、管制席に就いたジャクルが身体で庇って見えないようにしているのに対していう。
「いやです。艦長、プライバシーの侵害ですからね?訴えますよ?」
「…――――裁判というのは一度もしたことがないから、やってみたいかなと思わないではないが、――」
艦長が言い始めた処で、遮る声が降ってくる。
「やめてください。いいですか?あなたの好奇心程度のことで、帝国旗艦藍氷の帰還航路を遅れさせるわけにはいかないんです!艦長、いい加減にしてください。そもそも、そこにジャクルが隠しているのは、本人宛の機密通信です!貴方がみる権限はありません!」
遮ったのは、ジャクルからみればこれまた巨人に類する長身の蘭氷副官――シーマス・リゲル。
長身の艦長が同じく長身に禿頭の副官を振り向き、しみじみという。
「シーマス。そんなことをいっていては、この艦に娯楽がなくなるではないか?」
「…―――何を真面目な顔をしておっしゃっているんです?」
娯楽?と眉間にしわを寄せながらいう副官に、艦長がにっこりと微笑う。
容姿だけなら、美貌ということで間違いなく。
恐ろしく澄んだ白い肌に整った氷のように美しい容貌を象るのは、氷の白と見紛う美しく背に流れる白髪。
長身の艦長が美しい容貌に笑みを浮かべると、正直いって、―――。
「迫力がありすぎて、こわいです」
振り向いたジャクルが――既に艦長が覗き込もうとしていた映像は消している――淡々と座った眼でいうのに。
振り向いて艦長が眉を大きく寄せて嘆いてみせる。
「ひどいな!ジャクル!一応、これでも顔だけはいいといわれているんだぞ?この顔で笑みを作れば、大抵の商人からは、おまけを引き出せるといわれているのに!」
大袈裟に嘆いてみせて。ちら、とジャクルの手許にあったはずの個別通信用映像受信器機の画像が消えているのをみてがくりと肩を落とす。
「…―――ジャクルの、――弱みを握ってあそぼうと思っていたのに、…」
「何を正直におっしゃっているんですか!だめですよ!まったく!艦長、そういうことは、正直にくちに出していってはいけませんといつもいっているでしょう!」
「くちに出さなければいいのか」
くっすん、と嘆きながら顔を向けていう艦長に、副官が真面目な顔でうなずく。
「無論です。艦長の胸の内など、大っぴらに開示していいものではありません。いいですか、いつもいっていますが、――――」
艦長へのシーマス・リゲル説教モードになって。
艦長が微妙に背を向けないまま後退して逃げようとしているから、段々と隅に追い詰められて、このままだと二人して艦橋から通路へ出ていくことになりそうなのを。
遠くながめて、ジャクルが思う。
いや、この場にいるのは、ジャクルだけではない。
つまり、いま艦橋にいる全員が。
「―――弱みを握ってあそぶのはいいんですか、…しかも、正直にいうんじゃなくて黙ってやってるんだったら、…」
そのジャクルの呟きに、同意しない艦橋スタッフはいないだろう。
しみじみと遠くをながめてジャクル・イファイがおもう。
――確かに、それが艦長でしょうけど、…。
おれ、どうしてこの艦に配属されてからまだ一度も転属願出してないんだろう、…と。もう幾度目になるのかわからないことをしみじみ考えて。
それから。
「…――――ああっ?!」
驚きのあまり声をあげて砲撃管制席に飛びつくようにして戻ろうとして。
「ふふん、…―――油断したな?ジャクル、…ふーむ、かわいいお嬢さんじゃないか?幾度目だ?見合い?」
砲撃管制席はジャクルが専用としている為に、小柄なジャクル用に席が出来ている。
その席に小さく身体を丸めるようにして大柄な艦長が座り、手にした個別通信用映像受信器機を手のひらにのせてみている。
「い、…いつのまにっ、…!艦長!」
「いつもおもうが、おまえがご実家から送られてくるこんな美少女達の映像をみて、どうして本当に見合いをする気にならないのかが不思議でな?こんなに断っていては、ご実家との関係がわるくならないか?」
振り向いて、いかにも真面目に部下の将来を心配してます、という顔をつくっていう艦長に。
不機嫌を微塵も隠さずジャクルがその前に腰に手を当てて怒りながらいう。
「ぼくのです!返してくれませんか?」
「いやだ。」
即答する艦長に思わず絶句する。
「…―――リゲル副官!どこにいらっしゃるんですか!あなたがちゃんと監督されてないから、この艦長が好き放題してるでしょうが!」
「いやだな、わたしがシーマスに監督されてないとちゃんと艦長していないみたいじゃないか?」
「してるんですか」
目が据わっているジャクルに、面白そうにみあげて艦長がいう。
「いや?だっていまはまだ安全な宙域だしな。つまらんというのが本音なんだ。ここでおまえの母星でも出て来て、ケンカを売ってくれないかとか、」
「だから、やめてください!冗談にならないでしょう!おれの母星圏は安全ですから!帝国旗艦藍氷艦長にケンカを売るような命知らずなまねしませんから!」
「…――えー、…この処、無事でつまらん、…。何処かで反乱でも起きてくれればいいのに。…」
「何をすねてるんですか!とにかく!おれ、の母星を巻き込まないでください!お断りしますから!いいですか?しっかりちゃんと、嫌でも艦長職をまっとうしてください!」
「えー、いやだー、」
棒読みでいう艦長に、ジャクルが眉を大きくあげて。
「いいですか?怒りますよ?艦長!」
「お?怒るか?ジャクル?」
期待してうれしそうにいう艦長を視野に。
―――此処で乗せられてるのがわかっているのがくやしいんですが、…--!
「もちろんです。第一、艦長が退屈だと言い出しているのは、この艦が帝国への帰還航路に乗っているからだってことはわかってるんですからね?いくら、帝国中心域に近付いて、航路が平穏無事なのがつまらないからって、…!」
赤毛が綺麗に逆立ち、宙に雷の蒼白い光がスパークして見え始めるのに。
「よしっ、…!ジャクル怒ったか?!」
うれしそうに、まて、から散歩だといわれた大型犬のように。
一息で席から立って、艦長が藍色の美しい瞳を輝かせていう。
「まってたぞ!ジャクル!」
嬉々としていう艦長に、無言で睨みつつジャクルが両手を胸元であわせる。
スパークする蒼白い雷光――美しく危険に輝く光に。
艦長が目を輝かせてその前に構えて立つ。
「よし!勝負しょうじゃないか!」
「何が勝負ですか!」
叫ぶジャクルの声と共に、大音響が――真にいかづちが宙に発生し轟く音が。
それに対して、実にうれしそうに艦長が素手で何をする気なのか、少しばかり屈んで対峙する。
「…―――まったく、…」
副官シーマス・リゲルは、艦橋の通路脇に作られてある制御室で器機を操作しながらあきれてためいきを吐いていた。両手でコンソールを動かしながら。
「極所で雷光を受け止めるシールドを制御するのは大変なんですがね、…」
あきれながらも、艦長のレクリエーションの為にも、留めるわけにもいかない事情を考えて視線が遠くなる。
…――仕方ない、…。艦橋要員には我慢してもらおう、…。
帝国旗艦藍氷艦長。美貌で知られる帝国の女神。
或いは、不戦敗で知られる帝国の常勝将軍。
その艦長が何より苦手としているのは。
「ひまですからねえ、…」
ひまが、平穏無事が苦手なのだ、この方は。尤も、それこそ帝国中心域へと至る宙域である。その航路に、不審物ひとつ漂っているだけでも、大事になるのだが。
つまりは、この宙域は暇なのだ。本来なら良いことであるのだが。
そして、いまひとつが。
「ああ、…綺麗な花火だねえ、リ・クィア?招待した甲斐があったね。此方に着き次第、乳母やのミルドレッドの処へいってね?採寸して、ドレスの寸法を直して仕上げる必要があるから。じゃあね」
突然、美しい銀髪が波打ち肩から流れ落ちるまばゆさと。
美貌が何処か艦長にも似た美しく玲瓏としたさまに。美しい声が突然にあらわれて告げ、―――そして、唐突に消える。
「…―――――!!!」
艦長が目を剥いてその消えた映像があった付近に叫び。
「…――――」
その有様を別室でみていた副官が思わず沈黙する。
突然、艦橋の中空に大型スクリーンが広がり。
通信域の了解すら得ずに唐突にあらわれて消えた立体映像とメッセージ。
無論、そんなことの出来る立場の者は特定できる。
帝国旗艦藍氷の通信領域に断りなく割り込めるなど。
「ああ、そうそう。愛してるよ、リ・クィア」
いいわすれてた、と。
また唐突に空に立体通信を出現させていうと。
銀髪の美貌が唐突に消えて。
「…――――な、に、が、…!」
リ・クィア――つまり、それは艦長の名であるわけだが、―――が、叫ぶ。
「…愛してるだっ、…――――!金輪際、いらんっ、…!おまえのうっとおしい愛を寄越すなっ、…!」
だれがドレスだ!誰が着るかっ、…―――!と。
叫ぶリ・クィア――艦長に。
艦橋に傷がつかないようにシールドを張り、ジャクルの雷光と艦長の繰り出す技から守っていたシーマスが装置を切る。
「…――――」
艦長のストレスのもと。
慎重に幾重にも守られた帝国中枢へと至る宙域が暇で平和な以上に、艦長のストレス源であるのは。
つまりは。――――
「…いい加減、あきらめればいいんです。おれの見合いにくちだしてるひまがあったら、御自分の婚約者を大切になさったらいかがなんですか?」
雷光をおさめて、艦長が管制席においていた自身の個別通信ビューワーを懐にしまうというジャクルに。
「…きさまな」
艦長が、剣呑な視線で振り向く。
「…だ、れが婚約者だ。…誰がいつ、誰と婚約した?いってみろ、…―――」
低くおどろおどろしい声でいう艦長に。
平然と、ジャクルが向き合って。
「艦長が、あの、いま通信領域に割り込んで突然通信してきた帝国皇帝―――」
「ぐっ、…」
「艦長が、いけないんですよ?いくら戯れだとおもったとはいえ、…――-」
「ぐ、っ、…ううむ、…」
「艦長にして、帝国艦を一隻くれるといわれたからといって、婚約にうなずいたのは艦長でしょうに。―――もう帝国童話に載るくらいなんですよ?おれ、妹にいわれましたからね。…童話のおひめさまがかんちょうのふねにのるの?って、…―――」
―――ああ、そういえば、おれ。妹ががっかりするのが思い浮かぶから、…――この艦から離艦して転属願出す寸前でいつも思いとどまってしまってるんだった、―――と。…
己が何故この艦から離れる為に転属願を出していないのかをあらためて思い出してジャクルが肩を落とす。
「…う、う、…あいつには、もっと、まっとうな、…お嫁さんになるひとがいるだろう!いくらでも!」
名家とか、重鎮の娘とか!と続けている艦長に、背後からあきれた声がかかる。
「あきらめてください。…いまとなっては、帝国皇帝の許嫁として、無敵の不敗将軍、常勝将軍である帝国の女神以上の価値をもつ婚約者など、作ろうとおもっても作れませんからね、…」
背後から声を掛けてきた副官に、必死な顔をして艦長が振り向いて云う。
「…――――だからってな?いいか?わたしは、当時、無名の小娘だったんだぞ?!おかしいとおもわないか?後ろ盾もひとつもない、財産も頼れる親戚もひとつもない小娘だったんだぞ?…それに、艦をあげるかわりに婚約してくれ、なんて、―――本気とは誰もおもわないだろうっ、…!」
力説する艦長を軽くながして、副官が艦橋を見渡す。
「というわけだ。…帝国帰還航路に修正をいれる。母星帰還の際に、最終航路を調整して帝の乳母であられる護り手の星へとボートを出せる軌道に修正してくれ。艦長を放出して衛星に降下してもらった後、この艦はドックへ入る」
指示していく副官を、なにかいいたそうにしながら、とんでもない抗議をのみこんだ顔で艦長がみている。
「…わたしはな、…?」
いかずにすまないのか、…?と小声でたずねる艦長に、背を向けたまま副官がさらりという。
「帝はともかく、ミッチェル様の御意志を無視できる命知らずはこの世界にはいないかと」
「…――――」
艦長が沈黙しておとなしくなる。
帝国皇帝の乳母――ミルドレッド・ミッチェル。
確かに、その意志を無視して行動する猛者は。
がっくり、と艦長が肩を落としておとなしく背を丸める。
そして、すごすごとおとなしく艦橋を出ていくのを。
しばし、沈黙してシーマス・リゲルとジャクルが見送って。
「…―――ジャクル」
「わかりました」
そして、艦長の姿が完全に艦橋から見える廊下の範囲にもいなくなったのをみてとり、シーマスがいう。
「準備できました」
ジャクルが管制席に着き、宣言する。
「本艦はこれより、一切の艦内離脱を禁止します。制限を破ろうとするものがあれば、砲撃します。この宣言は帝国母星アトランタの支配宙域に到着し当艦がドックに着艦するまで有効とされます」
ジャクルの宣言に副官シーマスがうなずく。
しおしおと逃げ出して。
いまにも、艦離脱の為に小型ボートへと乗ろうとしていた艦長がしまった、と宙を仰ぐ。
「…ひどいじゃないか、シーマス!ジャクル!」
艦のナンバー2と3の反乱に。
帝国母星へ着き、その衛星でドレスの採寸をするという事態から逃れようと。
おとなしいふりをして艦橋を出て逃げだそうとしていたのを完全に読まれていた艦長が叫ぶ。
無論、艦長権限で無理に突破して離脱することができないではない。
しかし、そんなことをしたら。
「…――――ひどいぞっ、ジャクル、…!」
艦長がくやしそうにくちをおおきく結ぶ。
「そんなことをして、ボートを爆破されたら、…こんな至近距離で砲撃したら、破片で蘭氷が傷付くじゃないかっ、…!」
いや、爆破されたら本人――ヒトであるのかどうかは謎だが、―――艦長も無事ではないのではないか、とか。
艦が傷つく心配をする以前の問題はないのか、とかなんとか。
いや、それはともかく。
艦橋では、艦長の反応を読み切った副官と砲撃管制官の二人が沈黙して。
そして、砲撃管制官が肩を落としている。
「…しかし、こんな気苦労ばっかりしてたら、おれ、…若禿クライシスですよ、…。」
深刻に俯いていう砲撃管制官ジャクルに。
しみじみと同意の、いや同情の視線を副官シーマス・リゲルがながす。
無言で、そして果てない宇宙の深淵をみつめる。
漆黒の宇宙――帝国領域中枢域。
その領域に近づくにつれ、美しく真珠色に輝く星雲が視野に入ってくる。
真珠の星雲。
美しくも儚く淡く輝く星雲は、かれらの帝国が誕生した星を抱く雲だ。
漆黒に浮かぶ真珠星雲。
帝国中枢域へと、帝国旗艦藍氷はしずかに進んでいく。――――