皇宮の庭で、あの日彼女と出逢った衝撃はいまでも鮮明に憶えている。
鮮やかな白雪を照らす光、―――。
白く輝く光が、まさか人であったとは。
眩しさに瞳を瞠り、まだ幼かったかれは唯茫然とその美しい少女を見つめていた。
輝く藍色の瞳と。
意志の強さが宿るその藍に、…―――。
かれは、幼い皇帝は恋をしたのだ。
星帝歴二八九五年―――。
先帝が星域圏を視察中に突然の病に倒れ、療養も虚しくお隠れになったと報じられた後、盛大な葬送が営まれた。
一年後。
まだ幼い帝が、服喪を終え新たな帝として帝位に就く。
星帝歴二八九六年二月、いまだ帝国本星においては冬の寒さが厳しいこの季節に、新たな帝――幼き帝はその位に就いた。
幼き帝を抱く帝国の騒乱は、他の星々を治める連邦や東方等の諸国家が虎視眈々と望むものであり。その内乱と隙に乗じて、帝国領域を少しでも削り我が物にしようと狙っていた。
厳しく冬の訪れるその季節に。
幼き帝の命はすでに風前の灯火と消えようとしているとおもわれていた。
帝国貴族院他、裕福な商人達、そして、帝国軍。
それらの権力闘争は既に目隠しをしていてもわかるといわれるほどに激しく遠慮を欠いたものへと発展してきている。
誰も、幼き帝の命を心配するものはいない。
唯、次の権力の座へと昇る際の障害とみるか、或いは利用すべき駒とみているかだけの違いで。
もはや、次の年には新たな帝が立つのではないかとまで巷間にいわれている有様で。
幼き帝は、帝国の真珠といわれる星雲の護り奥深く本星にある帝宮さらに深くに囲われ、外に出ることさえままならぬといわれていた。
厳しい冬に。
既に、次来る春を見ることはないのではないか、と。
薄桃色と薄紅にと華庭園が満ちる帝国の春。
見事な春咲き初める花の季節の咲き初めさえ、みることはないのではと。
くちさがない小雀鳥が鳴く。
白雪降る、その季節に。
奇跡は起きた。
白雪積もる帝庭。
白く淡く幾重にも積もり続ける雪をみあげて。
幼き帝は薄鈍色に薄蒼が僅かに覗く空をみあげて、歩いていたのだ。
帝宮奥深くに秘された庭園を、ひとり。
誰もこの寒さに止めることもなく。
身に纏うのは薄白の夜着に履くのは室の中を歩く為の履物だ。柔らかな布で出来た履物はすでに濡れてゆびさきを冷たくしはじめている。
だが、誰もこの幼帝の世話をするものはなく、その足指を温める為に履物を換える侍従さえない。
銀のわずかに波打つ髪を背に無造作に流して。
幼い帝はその氷青の瞳で空をみあげる。
薄青はいくらかそれまでよりも太陽の温かさをのせていたか。
無言で、氷青の瞳が四囲を見回す。
美しく白雪に埋もれた庭は、何もかもを白にかえて柔らかな曲線へと変えてしまっている。四角くもみえるのは、あれは生垣が埋もれたか。
或いは、とがり帽子とみえたのは、生垣の傍に植えられた夏飾り用の樹木だろうか。
楽しい季節の祭りも、この帝宮殿奥では随分と行われてはいない。
白雪を踏み、唯一人の足跡をつけながら、幼帝はすすむ。
降る雪にすっかり変わってしまった世界をながめるように、あたりを見回しながらすすんで。
噴水の跡が氷と雪に埋もれて何かの像を建てかけて途中で壊れたかのように、水の跡が空中に氷の刃を描きかけて、白雪に斜めに落ちている。
幼帝が足をとめたのは、唯先に行くにはもう道が雪に埋もれてしまっていたからだろう。足許は濡れて、はやくもどらなければ不調をもたらすだろうに。それを注意するものも、庇って連れ戻すものも誰もいない。
白雪が重い音を立てて、何処かで落ちた。
そちらをみて、幼帝が瞬く。
宮殿の奥宮は既に白雪に眩く埋もれて、振り返ってもなにもみえなかった。
逆光となる宮殿の柱も影に呑まれて姿がみえない。
「…―――?」
だから、それは奇跡だったのだろう。
青空に白雲が風にわずかに切れて光が強く射し込んだのは。
薄曇りに地上へと強い光を届かせて、白雪の輝きが何もかもを隠すように煌めいて視界を奪う。
瞬時、地上にいた者達は誰もが視界を奪われていたに違いない。
乱反射する白雪を輝かせる光が、強く。
だから、――そう。
「え?」
幼帝が、戸惑って氷青の瞳を瞠る。
視界が白く輝く圧倒的な光に包まれて、反対にある宮殿が影となり何もみえないほどになったそのときに。
背を、僅かに刃の重みがかすめていく。
白い夜着が、はらりと裂け。
けれど、その刻、――――。
白雪を覆う激しく強い光が。
鮮やかな白雪を照らす光、―――。
白く輝く光が。
眩しさに瞳を瞠り、幼帝は唯茫然とその美しい少女を見つめていた。
輝く藍色の瞳と。
意志の強さが宿るその藍に、…―――。
魅入られて言葉がない。
その幼帝に。
「何をしている?バカか?おまえは?」
容赦のない疑問を浴びせかけて、その美少女は幼帝を腕に庇い抱き込むといってのけていたのだ。
無言で目を瞠る幼帝を腕に抱いて。
まだ幼いとわかる美少女は。
鋭い藍色のまなざしで幼帝を見つめて。
「くそっ、…――おまえ、武器くらいもっていないのか!」
ののしると、白雪に手を入れて何かを握り。
「…―――きみは?」
おもわずも訊ねていた幼帝に答えることなく、白雪を握りしめその方角へと。
宮殿の影で鈍い音がして、何かが砕け白雪に紅が散る。
おそらくそれが、何者かの血であることは確かだった。
「ちっ、逃げるぞ!」
「え?」
美しい少女は口わるくいうと。
おどろいて声もない幼帝を腕に抱いたまま、走り出していたのだ。
白雪の積もる庭を、宮殿を背に。
白雪の髪に藍色の美しい瞳の美少女が、銀髪に夜着を着た幼帝を連れて奥宮の庭をさらに奥へと逃げ出す。
これが、彼女とかれの出逢い。
後に、銀ノ帝と帝国の女神と呼ばれることになる二人がいまだ幼き刻。
これが、二人の出逢いだったのだ。――――
白雪の庭は、襲撃者の血を僅かに残すのみで。
静寂に包まれた帝庭に、衛兵の声も護りの警笛も、幼帝を探す大人の声のひとつも響くことはなく。
誰も幼帝の味方はないという事実をこれ以上なく現しながら、静寂の庭は白雪に埋もれている。