目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第7話 バカと相棒と反復横跳び

教科書のページをめくる音が、静かな部屋に響いていた。


机に肘をつきながら、魔法理論の教科書をじっと読み込んでいる。それは今さらながらの復習だった。だが、ふとした瞬間、脳内に響く声が割って入る。


≪……この圧縮術式というのは、なかなか合理的だな≫


(……え? 教科書、読んでんのか?)


驚いて目を細める。ネロの声は続いた。


≪当然だ。吸収魔術式──マナドームの技術。あれは現代術式の応用の集大成だ≫


いつになく饒舌だった。

頭の中で、論理と言語が絡み合う講義が始まっていた。


≪現代魔術は、かつての破壊魔法とは異なる。削ぎ落としの美学だ。複雑な詠唱を簡略化し、燃費と再現性を重視している≫


≪この循環魔力論──なるほど、魔力を一度外に出すのではなく、内部で回すことで効率を最大化しているのか……!≫


その声には、確かな熱があった。

思わず眉を上げる。


(めちゃくちゃ興奮してる……AIなのに……)


しかし、ネロの関心はそこで終わらなかった。


≪……だが。お前の魔力は、この理論には乗らない。むしろ、対極だ≫


(知ってる。俺の魔法は……雑で、暴力的で……燃費も最悪だ)


自嘲気味に笑った。


だが返答は、意外なものだった。


≪だが、それがこの時代の魔法と混ざると、どうなるか。──混成が起こるぞ。可能性は、ここにある≫


その言葉に、指が止まる。


古代と現代。相反する魔法の融合。


それは、これまで誰も想像しなかった接合の発想だった。


(……だったら、お前も現代魔法を知っといてくれ)


机の上に広げた教科書を見つめながら言った。


(俺だけじゃ、無理だ)


いつになく素直なその声に、ネロはわずかに沈黙する。


≪ふん……助けを乞うたな≫


(違ぇよ)


微かに笑った。


(相棒だろ。なら、一緒にやるしかねぇ)


短い沈黙の後、静かに応じる声が響く。


≪……ふん、ようやく理解したか。己の無知と、私の価値を≫

≪仕方ない。お前の成長のために、妥協してやろう。この時代の魔法もな≫


その言葉に、口元を緩めた。

それは、2人の新たな出発点だった。


昼休みの教室。


机の上に教科書を広げ、眉間に皺を寄せながらページをめくっていた。


その脳内に、静かな声が割って入る。


≪この情報量では不十分だ。書物をもっと見せろ。この時代の魔法を学ぶ必要がある≫


≪黒炎だけではない。私の中には、未だ封じられた”古代の術式”がある。今のお前には扱えぬが──いずれ、そのすべてを引き出してもらう≫


静かに放たれたその言葉に、手が止まる。


(……封じられた、術式……?)


いったいどれほどの力が、まだネロの奥に眠っているのか。想像もつかない。


≪私が判断した。学ぶ価値はある。現代魔術も、私の手中に収める≫


その静かな宣言に、ため息をついた。


(……わかったよ。じゃあ、図書室に行くか)


重厚な扉を開けると、柔らかな光と、静かなページをめくる音が迎えてくれた。


中ほどの机には、すでにユナが座っていた。


「……あ、バクくんも来てたんだ。授業の復習?」


「いや……まあ、いろいろと勉強な」


軽く受け流し、空いている席に腰を下ろす。2人並んで、静かにページをめくる時間が始まった。


現代魔法の基礎書を手に取り、次々と読み進めていく。


そのたびに、ネロの声が脳内に響く。


≪……この術式は、簡略化の極みだな。だが、その合理性は評価できる≫


(減点方式かよ……)


黙々とページを追いながら、相棒の変化を感じていた。


かつて見下していた現代魔術に、彼は少しずつ敬意を持ち始めている。

それは、どこか誇らしくもあった。


別の資料を探しに、本棚の奥へと歩いていく。


静まり返った通路に、一瞬、空気の重さを感じる。


何かが──歪んでいる。


ふと視線を向けると、そこにいた。


背の高い青年だった。

短く整えられた黒髪に、鋭い目つき。

ただ座っているだけで、空間が圧迫されるような異質な存在感があった。


椅子に腰かけ、周囲に浮かぶ分厚い魔術書を自在に操っている。

ページが自動でめくられ、重力の流れに沿って本が回転していた。


その姿はまるで、重力の中心に在る静寂だった。


立ち止まった瞬間、青年の顔が上がる。


視線がぶつかる。

敵意も興味もない。

ただそこにあったのは、圧倒的な完成された力の気配。


言葉を発するより早く、ゼアは再び本に目を落とした。


一瞬、空間が軋んだ気がした。

重力が、空気ごと揺らいだ。


(……ああいうのが、完成された魔法ってやつなのかな)


呟きながら、席に戻る。


ユナが小さく声をかけてきた。


「あの人、ゼア・ノクティスくん。──この学年に、3人だけいるSランクの1人だよ」


「……ふーん」


それ以上、ユナは何も語らなかった。

深くは訊かなかった。


リナと今見た青年──そしてもう1人。

Sランクの存在が、静かに脳裏に刻まれる。


再び教科書に目を落とすと、ネロがぽつりと呟いた。


≪重力魔法──理論と意志の一致。完成された構築式だ。……私は嫌いだ≫


(へぇ、やけに素直じゃん)


≪嫌いだからこそ、学ぶ価値がある。真似では、超えられんからな≫


ふっと笑い、ページを、もう一枚めくった。



昼休みが終わると、全員が訓練室へと移動した。


ガクが前に立ち、簡潔に告げる。


「今日は模擬戦をやる。ルールは一つ、魔法は禁止だ。身体強化だけでやり合え。倒すか、ギブアップさせた方の勝ち。実戦想定だ、気を抜くな」


生徒たちの間にざわつきが走る。

その中で、無造作に名前を読み上げた。


「まずは……ゼア・ノクティス」


一瞬で場の空気が凍りつく。


誰もが目を伏せた。


前に出ようとした、その瞬間。


「バク、お前ダメだ。お前をあいつの相手にはさせられねえ」


「……なんで」


「今のお前じゃ、ぶっ壊されるだけだ」


「……は?」


「文句があるなら、あっちの壁の前で、一生反復横跳びでもしてろ。身体強化だけ使ってな」


内心の理不尽さを噛み締めながら、渋々と壁際に向かった。


「くそ……」


そう呟きながら、1人黙々と横跳びを始める。


その間にも、ガクは静かに視線を走らせたが、誰もゼアの相手には名乗り出ない。


沈黙が流れた。


「先生ー! 俺、やりたいっす!」


その静けさを打ち破るように、アキが手を挙げた。


「……アキか。お前で持つかどうかは知らんぞ」


「やってみなきゃわかんないっしょ! そもそも誰もやんないんじゃ意味ないし」


「あいつ、Dランクのくせに無謀だろ……」「マジかよ……」


ざわめきが広がる。


ガクは溜息混じりに頷いた。


「……まあ、アキなら潰れはしねえか。ゼア、いいか?」


ゼアは静かに頷き、無言のまま前に出る。


自然と、周囲に緊張が走る。


アキは笑顔でガクに手を振った。


「本気で行っていいっすかー!?」


「ルール守れ。魔法は禁止だぞ」


「了解っす!」


その声が合図となった。


アキが身体強化で膨れ上がった脚力で踏み込み、力任せの拳を次々と振るう。


だが、ゼアは微動だにしない。


すべての攻撃を無駄なく受け流し、いなし、捌いていく。


まるで攻撃の流れそのものを先読みしているかのようだった。


「うわ、全部さばいてる……!」

「でもアキのスピードもヤバい!」


観客の声が飛ぶ。


数発のカウンターが入り、アキの脇腹と肩に衝撃が走る。


それでもアキは倒れない。


壁際で横跳びを続けていたバクは、遠目にその光景を睨んだ。


──ゼアの動きは異質だった。


アキが歯を食いしばる。


「だったら──ぶっ飛ばすまでだ!!」


土の魔力がアキの拳に集中する。

足元が盛り上がり、岩を纏った拳が地面を割る勢いで前に突き出される。


「ゴーレム拳ッ!!」


土の魔力が拳に集中し、地面が盛り上がる。

砕けるような踏み込みとともに、拳が突き出された──その瞬間。


ゼアの瞳が、わずかに細まる。


空気が止まり、視界の奥が“歪む”。

重力が圧縮されるように──空間そのものが、ぬるりと折れ曲がった。


ゼアの掌がわずかに持ち上がる。


その瞬間、拳の魔力が“ねじれて”崩れた。


放たれるはずだった一撃が、まるで見えない深層へと引きずり込まれるように、力を失って消滅する。


衝撃波も破片も──空間に吸われたように、跡形もなく掻き消えた。


それは封殺だった。圧倒的なまでの、魔法の完成度による無力化。


アキの放った魔力が空中で止まり、

まるで見えない何かに押し潰されるように、砕け散った。



沈黙。


「てめえ魔法使うなって言っただろうが!!!」


ガクの怒声が響き渡る。


試合は即座に終了。


ゼアは無言で背を向け、歩き去っていった。


アキは肩を落とし、「は、はは……やべ……」と苦笑い。


「放課後まで反復横跳びしてろ馬鹿野郎!!」


「ええっ!? マジっすか……!」


「バク、てめえも付き合え。2人でやってろ!!」


「……なんで?」


夕方、訓練室の隅。


バクとアキが、黙々と横跳びを続けていた。


「はぁ……はぁ……マジで地味すぎる……」


「お前が魔法使うからだろ……」


「ゼア、強かったな……あれ、ガチでヤバいやつだな……」


「……だな」


反復横跳びのリズムが、どこか心地よく感じられた。最初はただの罰ゲームだった。

だが、いつの間にか互いにヒートアップしていた。


「どっちが長く早くできるか勝負だ、バク!」


「上等だ!負けねえからな!」


2人は汗だくになりながら、真顔で横に跳び続ける。


そのとき──


≪……お前はいつまでやっているんだ。もう18時だぞ≫


「……やばい! マナドームでガク先生とトレーニングするんだった!」


「は!? やっべえ!!」


バクとアキは同時に叫び、全力で走り出す。

訓練服のまま、ドタバタと駆けていった。


マナドームに到着すると、すでに仲間たちが訓練を始めていた。


エマが腕を組んで怒っている。


「おそーい!いつまでやってたのよ!」


ユナが戸惑いながら小声で呟く。


「ま、まさか本当に……反復横跳びを……?」


リナは呆れたようにため息をついた。


「本当にバカね、あなたたち……」


ケイは穏やかに笑う。


「さすがバクくんとアキくん」


それぞれが、彼ららしいリアクションで迎え入れる。


場が一気に賑やかになる中──


「てめーら、何してたんだ馬鹿野郎!!」


背後から、怒号が飛んだ。


ガクだった。


バカ2人はビシッと背筋を伸ばし、同時に叫ぶ。


「すみませんっ!!」


その一言で、再び場が引き締まった。


「アキはケイに揉んでもらっとけ。バクは俺とやるぞ」


ガクが命じる。


ケイが軽く笑いながら言う。


「手加減しないよ、アキくん」


アキも意気込んで拳を握る。


「1日でSランクとAランク相手にできるなんて、ラッキーだぜ!」


場の空気は、再び戦いの気配に包まれる。


一方、リナはエマとユナに魔法の扱い方を教えていた。


「詠唱の流れ、焦っちゃダメ。魔力の線を結ぶ感覚で」


丁寧に説明する。


「うーん……なんとなく、わかった気がする!」


エマが明るく頷き、ユナも続いた。


「わ、私もやってみる!」


3人の距離が、少しずつ縮まっていく。


そして──


「構えろ、バク」


ガクの声が響く。


「……行きます!」


足に魔力を集中し、猛スピードで斜めから突っ込む。だが、攻撃はあっさりといなされた。


重心のズレを、ガクは完全に読んでいた。拳は空を切り、逆に胴へ軽くカウンターが入る。


「……やっぱ強えな、ガク先生」


悔しさを噛み締めながら吐き出す。


「当たり前だ。俺がお前らの壁だ」


ガクの声は、重く、熱かった。


「行くぞ!」


地を蹴った。足に集中させた魔力が、一気に爆発する。その身体は、風を裂くような速度でガクに迫る。


だが──


「遅ぇ」


ガクは微動だにせず、そのままの姿勢で突撃をいなした。


脇腹に鋭いカウンター。


「ぐっ……!」


身体が半回転しながら吹き飛ぶ。

倒れ込みながら、悔しげに歯を食いしばった。


「スピードは一級品だ。なんで読まれるのか、自分で考えてみろ」


ガクの声が鋭く響く。

すかさず、ネロの声も脳内に落ちてくる。


≪直線的すぎる。お前はそれだけではないはずだ≫


「だったら──!」


再び立ち上がり、今度は突進せず、円を描くようにガクの周囲を高速で走り出す。


──ぐるぐると、ひたすらに。


左右から、斜めから、後方から──位置を変え続け、タイミングを狙う。


移動精度は、横跳びの成果か昨日より格段に上がっていた。


だが──


「やると思った……」


ガクはぼそりと呟く。


真後ろに回った瞬間、ガクが振り返りざまに肘を突き出す。

拳は、わずかに届かず止まった。


「それ、やめとけ。バカにしか通用しねーから」


「くそ……!」


苦悶と悔しさが交じる。

だが、ここで終わらせたくはなかった。


「埒があかねーな」


そう言ったガクが、今度は自ら動く。

踏み込みと同時に、鋭い拳が迫る。


──速い。


なんとか数発をガードし、足でいなすが──


「っぐあ!!」


腹に一発、強烈な拳を受け、地面を転がった。


「おら、さっさと立て。そんなもんか?」


「まだまだ!」


気合とともに立ち上がる。


次の瞬間、再び飛び込んでくるガク。


咄嗟に、全魔力を腕に叩き込んだ。


「……っらあああああっ!!」


踏み込みと同時に放たれた拳が、空気を震わせる。


風圧が周囲を押し返し、鈍く低い音が空間を貫いた。


ガクは正面から受け止める構えだった。


──だがその瞬間、重心が揺らいだ。


その場に踏み留まっていたはずの体が、大きく弾き飛ばされる。


ガクの足元が削れ、靴底が床を抉りながら数歩も後退した。


ガクが小さく笑った。


「……やるじゃねえか」


肩を軽く回しながら、見据える。


「破壊力もスピードも申し分ねぇ。あとは実戦と制御だ」


「はいっ……!」


「続けるぞ、バカ野郎!」


その一言に、口元がわずかに緩んだ。


マナドームの天井に差し込む夕日が、柔らかな金色を帯びていた。


喧騒と熱気に包まれていた訓練場も、次第に静けさを取り戻していく。


「リナ!ありがとう!めっちゃわかりやすかった〜!明日もよろしく!」


エマが満面の笑顔で手を振る。


「私も……また教えてもらえると嬉しいな」


ユナも控えめに微笑みながら、リナへと小さく頭を下げた。


「……え、明日も?」


少し戸惑ったように眉を上げたリナに、横からケイが茶々を入れる。


「満更でもないくせに」


「うるさいわね!」


リナは赤くなってぷいとそっぽを向いたが、その頬には、うっすらと笑みが浮かんでいた。


いつの間にか、その輪の中に溶け込んでいる。


──その事実が、何よりも自然だった。


「ケイ……明日はけちょんけちょんにしてやるからな……!」


髪をぐしゃぐしゃにしながら、アキがふらふらと歩いてくる。


「明日も楽しくなりそうだね」


ケイは涼しい顔で、タオルを首にかけたまま笑っている。


「くそ……あのスカした顔……明日は泣かす!」


吠えるアキだったが、その顔にはどこか満足げな悔しさがにじんでいた。


「……はぁ」


息を吐き、地面に座り込んだ。


一連の訓練を終えた身体には疲労が残っていたが、心は妙に静かだった。


その背後から、声が飛んできた。


「バク」


振り返ると、ガクが腕を組んで立っていた。


「今日の動きは悪くなかった。だが……まだ足りねぇ」


「……はい」


まっすぐに頷く。


「選抜戦まで、付き合ってやる。覚悟しとけよ」


「お願いします!」


拳を握って立ち上がる姿に、ガクが満足げに目を細めた。


脳内に、静かな声が響く。


≪体の動きは悪くない。黒炎の制御に繋げるなら、いい訓練だった。だが──まだ鈍い≫


「……まだまだだ」


拳を見つめながら、呟いた。


その言葉は、未来への誓いのようにも響いた。


やがて、ガクが全体に向かって声を張る。


「来週からは、選抜戦の予選が始まる」


声に、仲間たちの動きが止まった。


「騎士団への道は、ここからが本当の始まりだ。……生き残れるかは、お前ら次第だ」


誰も言葉を返さなかった。


アキも、ユナも、エマも、ケイも、リナも──その場の空気が緊張を帯びる。


──静かに思った。


(やるしかねえ。ここで、置いていかれるわけにはいかねえ)


訓練を終えた仲間たちが、並んで歩き始める。

西の空には、夕陽が朱に染まりながら落ちかけていた。


「明日も頑張ろー!」


エマの明るい声が響く。


「うん……!」


ユナが微笑んでうなずく。


「もう反復横跳びは勘弁だな……」


アキがげんなりと呟いた。


「……同感だ」


笑いながら返す。


それぞれの訓練で得たものを、胸に抱きながら──仲間たちは、夕暮れの道をゆっくりと歩いていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?