「あの、イルケさん」
ヨウマを肩に担いだキジマが、階段を下りる中で口を開いた。
「あいつと知り合いみたいっすけど、何があったんすか?」
「五年くらい前かしら。一度戦ったのよ。成長したのは逃げ足だけみたいね」
アパートの駐車場には、バイクが停まっていた。イルケはそれに跨り、ヘルメットも被らずに電源を入れる。
「バイク乗るんすね」
「借りたのよ。だから返しに行かないと」
「ああ、じゃ」
走り去るイルケの背中を見ながら、キジマは足のことを考えた。
「この状態でバス、ってのもなあ」
「僕は全然いいよ」
話していると、白黒の車が三台やってくる。そこから、地球人とニェーズの混じった集団が降りてきた。捜査部の人間だ。
「俺の世間体の話だよ。ただでさえお前を攫ったって思われがちだってのに、こんな状態じゃ余計誘拐らしいだろ」
「確かにそうだ」
「お前なあ……」
何はともあれ、会社に顔を出さなくてはならない。ならば、と思ってパトカーに同乗することにするのだった。
◆
「東京?」
フランケとの戦いから一日が過ぎた、夜のこと。ヨウマは気の抜けた声を出した。赤黒いミートソースの残滓が残った皿が、テーブルの上に並んでいる。
「うん。パパのことで式典があるから、東京に行かないといけないの」
「ふーん……」
護衛に行かないといけないのが面倒、という心境を抑え込み、ヨウマは呟くように応えた。
優香が家に来てから、色々なことを共有し合った。親のこと、友達のこと、これからのこと。母方の祖父祖母は既に亡くなっており、父方の方は父と不仲であることから引き取ってはくれないらしい。後見人の弁護士も、独身故に養子縁組を組めない。
「もう、ヨウマも来るんだよ? 護衛任務は続いてるんだから」
「わかってるよ。ただ、行ったことがないから不安なんだ」
彼は空のコップを深雪に渡す。彼女はピッチャーから水を注いで、返した。
「ありがとね」
そう言って、一口飲む。
「でも、葬式も終わったんでしょ? まだ何かすることがあるの?」
「海外の人向けにお別れ会をするんだけど、その挨拶に私がいるんだって」
「お別れ会、ね」
ヨウマに、それがどのようなものであるかは想像できない。だが、わざわざ死人を想起させる行為というのは、傷口に塩を塗り込むようなものなのではないだろうか、とぼんやりと考えていた。
「思い出したいわけじゃないけど、私だから言えることって、あると思うから」
憐憫、同情。そういう言葉で表現される感情を、ヨウマは抱いた。
「出発は?」
「ちょうど来週。ヨウマも色々申請とかいるんじゃない?」
「確かにそうだ。あっちの世界じゃ、ユーグラスってだけで自由に武器を持ち歩けるわけじゃないみたいだし」
深雪が立ち上がって、食器を片付け始める。
「キジマにも連絡しなきゃな。ちょっとごめん」
ヨウマはスマートフォンを取り出して、キジマにメッセージを送る。本土では警察も使っている専用のメッセージアプリだ。
『東京行くけど来る?』
『護衛か? それなら行くしかねえだろ』
『そ。細かい日程は後で送る』
『おう 任せたぞ』
ポコン、という通知恩。送信元はジクーレンだ。
『お別れ会の警備計画書。送っておく』
『ありがと』
添付ファイルをダウンロードし、軽く目を通す。なるほど、参加者に威圧感を与えないために、会場内部へヨウマは入れないらしい。代わりに、拳銃を隠し持った警官が目を光らせるそうだ。ニェーズの甲殻を貫通できない銃弾に、ヨウマは信頼を寄せてはいないが。
『これ キジマにも送った?』
『送った』
ジクーレンからのメッセージは基本的に短文だ。
『地球に刀持っていくとき 書類いる?』
『総督府の許可証。明日本部に来い』
『センキュ』
そう送った時、更にもう一件メッセージが飛んできた。
『シェーンだよ。ヨウマくん、今度腕を貸してくれないか。そろそろ君の腕を作りたい頃なんだ』
義肢の研究をしている、七幹部の一人だ。医療系魔法の腕は、ユーグラスの中でトップ。警備会社が頼る病院も、彼が経営している。だが、時折人を呼んで手足の型を取り、義肢を作る趣味があるのだ。
『わかった 明日行くよ』
ヨウマは電話をポケットにしまった。
「連絡、取れた?」
「うん。明日ちょっと用事ができちゃったけど」
「キジマさんも一緒?」
「んー、キジマには家にいてもらうよ。武器の持ち込みで色々あるだけだから、あいつには関係ないしね」
食器を流しに置いた深雪が戻ってくる。
「よ、ヨウマさんも大変ですね。私も、一回くらい地球に行ってみたいなあ、なんて……」
「じゃあ来る?」
そう問われた彼女は、嬉しいような困ったような、相反する二つの感情を同時に抱いて混乱していまった。
「お仕事の邪魔になっちゃうので、今回は……」
「ホテルの都合もあるわ。今回は連れていけないと思う」
「じゃ、また今度だ。この仕事が一段落したら、旅行に行こう」
「は、はい。そうですね、落ち着いたら、いつか……」
顔を赤くさせて、深雪は小さく俯いてしまう。
「しっかし、東京かあ」
背凭れに体を預けながら、ヨウマが言う。
「ここと大して変わらなかったりして」
「昔行ったけれど、特別すごい所ってわけじゃないかな。どこに行っても人は多い、っていうのはあったかも」
「なんだか疲れそうだね」
「疲れるよ~」
優香は机に突っ伏し、向かいにいるヨウマの顔を見上げた。
「今回は観光なんてしてられないけど、四人で行きたいね」
柔らかい笑顔で、彼女は言った。
「キジマ、来たがるかなあ。地球だとニェーズってどれくらい受け入れられるんだろう」
「私が行ったときは見なかったかな。やっぱり、その……」
「がが、学校も、ニェーズのヒトは完全に別でしたから……東京なんて猶更じゃないですかね」
会話は弾み、夜は更けていく。目の前の少女が式典の場でどんな言葉を口にするのか、ヨウマは静かに考えていた。
◆
明くる日。武器持ち込みの手続きを終えたヨウマは、ピンクの壁に『シェーン義肢研究所』と書かれた建物の前に入っていった。
「今日はどうなさいましたか?」
受付の女ニェーズが言う。
「ヨウマだよ。いつもの」
「はい、畏まりました」
すぐに話が所長に伝わる。待合室のソファに腰掛けた彼は、周りを見渡した。新聞を読む者、退屈そうにテレビを見る者。それだけだが、二人とも義足だった。鋼のような鈍い光沢を放つそれは、特別な魔法で鍛えられた金属でできている。
十五分ほどして、ヨウマが呼び出される。
「よく来てくれたね」
壁にずらりと義手義足が並んだ空間で、シェーンが待っていた。スキンヘッドに白衣の、威圧感の欠片もない男だ。お得意先を椅子に座らせ、腕一本分の穴が開いた、大きな機械を運んできた。
「いやあ、君の腕はいい形をしているからね。程よく筋肉があり、しなやかで、まさに私が理想とする腕だ……」
あれやこれやとヨウマの腕を褒め称え、両腕のデータを取る。シェーンが独力で開発した魔導構造分析機は、九十八パーセントの精度で、スキャンした物体のスリーディーモデルを生成できる。
ヨウマと向かい合う場所にある椅子に座ったシェーンは、机の上のディスプレイにタッチペンで触る。時折被検体の腕を揉み、形状を適宜調整しているのだ。
三十分もした頃。
「よし、これで作らせてもらう。報酬は、いつもの口座から振り込んでおくよ」
「いいけど……何が楽しいの?」
「優秀な人間が手足を失った際、素早く対応できるように──いや、そんな建前は建前だとバレているか。僕はね、メタリックなメカが好きでねえ。興奮が止まらないのさ。見るかい? 僕のペニス」
「見ない」
冷徹にそう答えたヨウマの肩を叩き、シェーンは起立を促す。
「それじゃあ、またお願いすることがあると思う。ではね」
外に出された彼は、少し後悔を始める。関わってはいけない気が、するのだった。