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東京にて 一

 地球、東京、セレモニーホール。各国要人が集まるこの場所は、厳重な警備体制が敷かれていた。ヨウマもその中に組み込まれ、今は正門の警備をしていた。


 茹だるような熱の中、喪服を着こんでいるのはあまりに辛い。騒がしい蝉の声から、常に神経を尖らせなければならない。その上、愛刀には不格好なバーコード入りのステッカーが貼られてしまっている。軽い気持ちで来たことを、少し後悔しはじめていた。


「坊やは帰りな」


 追加の警備員が、高い所からヨウマにそう言った。腰のホルスターには拳銃が納められている。


「おじさんが拳銃を抜くより、僕が刀を抜く方が速いと思うけど、どうする?」

「随分自信があるじゃないか。どこから来た」

「アーデーンのユーグラスから」

「なるほど、そりゃ実戦経験が豊富なわけだ。殺しの数じゃ、坊やに負けているかもな」


 男は視線をサングラスで隠している。縦にも横にも大きな体が、威圧感を振りまいていた。


「わかる?」

「殺気を感じるよ。守るため、というより殺すためにここにいるようでさえある」

「褒めてくれてありがとね」


 ヨウマは視線を外して会話を打ち切った。


 車が来る。喪服に身を包んだ地球人の男女と、それに続いて護衛が降りてくる。神妙な面持ちだ。ハイエナのようなマスメディアのカメラがそれを追う。


(そっとしてやるべきなんじゃないかなあ)


 門を挟んで反対側にいる警備員が、顔認証と指紋認証を併用して、客がリストにいるか確かめていた。どうやらOKらしい。そのまま通される。


 その姿を目で追っていたヨウマは、ホールの中から一人の職員が来るのを認めた。彼は近づいてきている。


「ヨウマさん、少しよろしいですか」

「トラブル?」

「優香様が、来てほしいと」


 職員の後ろを歩く。扉一つ通ればすっと静かになり、涼やかな空気が肺を満たす。ホールはビュッフェスタイルの会場となっており、声を潜めながら故人との思い出を語り合う者たちの姿があった。


 静謐な空間を通り抜けながら、彼は視線を感じる。自分がイレギュラーな存在であることは承知の上だったが、じろじろと刀を見られるのは不快だ。献花台の前を横切り、裏側に入る。


「それで、優香はなんて?」

「わたくしも詳しいことは聞かされていませんが、随分と緊張されたご様子です」


 無機質な白い廊下を行き、『出渕優香様』と電子ペーパーで表示されている個室の前に着いた。キジマと冬治が扉の横で安めの姿勢をとっている。アイコンタクトをしてから、二回ノック。


「どなたです?」

「ヨウマ。入っていい?」

「……うん」


 妙な空白が気になったが、彼はともかくドアノブを回した。中では、顔面蒼白と言った具合で、黒ワンピースを着た優香が鏡台の前に座っていた。黒い塊のように小さくなって、俯いたまま震える右手を左手で押さえつけている。


 ヨウマが入ってきても、彼女はそれに気づいていないとさえ思える態度で、床をじっと見つめていた。彼は相手と鏡の間に封筒があるのに気づくが、その内容を察する前に、


「手、握ってもらっていい?」


 と言葉が絞り出された。


「……いいけど、どうしたの?」

「怖くて」


 彼は部屋の隅にあるパイプ椅子を引っ張ってきて、彼女の手を取った。冷たい。それをゆっくりと揉む。


「大丈夫、なんて無責任なことは言えないけど」


 少しずつ熱を持ってきているのを感じながら、彼は口を開いた。


「親父が言ってた。かんなん……なん……たまになんとか、って」

「『艱難汝を玉にす』?」

「多分それ。苦しいことがないと人は成長しない、って意味だったと思う。だから、負けちゃだめだ」


 血の通っていなかった彼女の顔に、赤みが戻ってくる。


「ヨウマ、立って」


 促されるままに。恥じらいと安心の混じった顔が微笑むのを見て、彼は言い知れぬ感情で心を満たされる。


 何を、と思った。だが、優香は深呼吸を繰り返すばかり。じれったくなって口を開こうとした刹那、とすん、と小さな体を胸に預けられた。


「私ね、ちょっとヨウマのこと怖いの」

「人を殺すから?」

「うん。でも、殺したいから殺してるわけじゃない。そんな人じゃないって、信じてる」


 深雪を相手にしているのとは異質な熱が、彼の心臓から出て頭に上る。抱きしめたくても、妙な気恥ずかしさがそれを止めてしまう。


「これから、どうするの?」


 どうにかこうにか引っ張り出した声で、彼は問う。


「遺産の整理はもうすぐ終わるみたいだけれど……多分、今の状態じゃ一人暮らしなんてできないよね。だから、もうしばらく、一緒にいさせて」

「わかった。でも、頑張るのは深雪だけど」

「そうね」


 と彼女は笑いながら言った。


 それからは、静かだった。体を預けられるということ。体温の交わり、心の交わり。胸元から聞こえる呼吸の音。心地よさに浸っているヨウマは、何も言わなかった。


 だが、扉が叩かれる。優香は慌てて離れた。


「優香様、お時間です」


 冬治の低いトーンの声がそう告げた。


「あのね」


 兄弟の上に手袋と封筒を取りながら、彼女は言う。


「見ててほしいの、読むところ」


 頷きで返す。そして部屋を出る。人々の前に出るのは、優香だけだ。大きな写真の前に立ち、封筒から紙を取り出す。息を吸う薄い唇が震えているのを、ヨウマは見た。





 一人残された深雪は、慣れた手つきで茶を淹れて、夕方の街を見渡していた。


 フロンティアセブンは、半径十二キロの円形の街だ。中心部に総督府が置かれ、そこから外に行くにつれて価値の低いものが並ぶように作られている。


 なら、ニェーズたちが暮らす居住区と呼ばれる場所は、不要な存在なのだろうか。少なくとも、入植したばかりの頃はそういう考えが少なからずあったが、今ではニェーズなしで生活を維持できはしないだろう。


 その背景には、主要産業たるクリムゾニウムの採掘にある。クリムゾニウムは、越境型鉱石と呼ばれている。地球を中心とした時、現代の魔法によって観測可能な異世界の四十二パーセントに存在しているからだ。


 魔力を蓄積し、マギ=エレクトリカル変換機によって電気を生み出すことが可能として文明の基盤となっているが、アーデーンのものは少々性質が異なり、採掘にニェーズの生み出す特殊な道具が必要なのだ。


 深雪も、そうした技術の恩恵を包丁などのキッチン道具として受けていた。職人たちは特殊な魔法で生み出した、それらの道具類をカジンと呼んで区別している。


(ああ、ジクーレンさんの所で包丁研いでもらわなくちゃ……)


 ヨウマのいない時間が、これから減っていくのではないか、と希望を抱く。しかし、同時に、優香という存在がその隣にピタリと張り付いていることに、恐怖も抱く。


 彼は自分を捨てはしないだろう、と信じていた。闇金に手を出した父は、彼女を犯すだけ犯した後蒸発した。毎日来る取り立てでは母は精神に異常をきたし自殺した。母の首から出た血で真っ赤に染まった部屋から連れ出してくれたのは、ヨウマだった。


 だから、もし、ヨウマに突き放された時、最早彼女を受け入れてくれる場所などないと思っていた。だから、それを理解してヨウマは自分を傍に置いてくれるのだと思っていた。


 だが、現実はどうだ? その彼は今、優香のために東京まで行った。そのまま帰って来ないかもしれない。いやそんなことはない。その二つの間で行き来して、茶を飲むどころではなくなってきた。


(大丈夫、大丈夫……)


 目を閉じて言い聞かせる。早く夜になってほしかった。そうすれば、闇の中に自分を溶けさせることができるから……。

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