「その謎、今世紀最高の
思わず、わたくし、エレオノーラ・ノクティアは立ち上がりました。自信たっぷりに腕を伸ばし、親指と人差し指でL字に形作ります。
勢いで愛用のペンがカタタンと落ちましたが、そんな些細なことなど今のわたくしにはまるで気になりません。帳簿などあとでつければよろしいのです。
なにせ――妖精と聞いては、黙ってはいられませんわ。
事務所の視線が、わたくしに集まりました。
今回の依頼人は、田舎の屋敷に仕える古参の使用人、ターグ氏。いかにもおどおどとした様子、やつれた顔に不安げな瞳。
きっと、大変困ってらっしゃるのでしょう。だからこそ、わたくしのような才色兼備の
「詳しくお聞かせくださいませ。――バンシーが出没する、とは?」
できるだけ落ち着いた声を掛けましたが、使用人のターグ氏はびくりと肩を震わせ、ますます不安そうな表情を浮かべました。
あらあら、少しばかり声が大きすぎましたかしら。
でも、このくらいの覇気がなければ、難事件など解決できるはずもありませんものね。
すると、ターグ氏が顔を手の甲で何度も拭いながら、おずおずと口を開きました。
「はあ。あのこちらのお嬢さんは? その、事務員の方ではなかったのですか?」
対面する
煙をくゆらせながら、微笑みます。
「フム、お気になさらず。彼女、エリーは……普段は事務職をしているが、実は妖精事件専門のスタッフでして。そう、こう見えて専門家なのですよ」
「ほほう、そうなのですか。なんとお若く見えますのに」
「こと妖精を扱う事件には、才能というものが必要不可欠ですからね。我が事務所は、とても幅広い才能ある人材を抱えているのです。この通り、妖精使いまでも」
しかし、所長の隣に座っている冒険者ネロは「幅広い才能のある人材とか」と、わざとわたくしに聞こえるようにせせら笑いました。
彼は、浅黒い肌に黒髪、頬に傷がある粗暴な外見の青年です。
そうわたくしと年齢は変わりませんが、腕を組み、足を投げ出して椅子に深く腰掛ける態度は、がさつそのもの。獲物を狙う狼のような眼光が、今は退屈そうに天井を見上げていました。
ええ、しかし。そんなネロの陰険な言葉など、耳に入りませんわ。よしんば耳に入ったとしても、今のわたくしにはどうでもいいことです。
目の前の困っている依頼人を助けること。妖精事件を1つでも多く解決することこそが、わたくしが
「して、バンシーが出没すると仰いましたが、具体的にはどのような状況なのでしょうか?」
改めて、できるだけ優しく尋ねました。今度は声のトーンも完璧ですわ。
ターグ氏は、ネロの言葉に気づかなかったのか、あるいは気にする余裕がないのか、再び口を開きました。
「はい……実は、一ヵ月半ほど前からなんです。夜になると、屋敷の周辺のどこからか、女の悲鳴のような声が聞こえてくるんです」
「悲鳴、ですか?」
「ええ。最初は、
語るターグ氏は恐怖に顔を歪め、喉をゴクリと鳴らしました。
「ほほう。では、その悲鳴とやらを聞いたのは、貴方だけではないのですな」
トムキンス所長が、煙を吐き出しながら問いかけました。
「もちろんですとも。ご主人様や奥様、他の使用人たちも聞いております。無論、村人もですよ」
「目撃証言とは?」
「むぅ、長い黒髪を振り乱した女が、灰色の衣をまとい叫んでいた、とか。それが燃えるような真っ赤な眼をしていただとか」
「ならば、貴方もそれをご覧になった?」
「いえ、私は見ておりませんが。何人かの村人がそのような証言をしております、屋敷のメイドにも目撃者がおりまして」
「なるほど。それで声の主がバンシーだと?」
聞き入っているわたくしは、どんどん身を乗り出していきました
バンシー……妖精の中でも、死を告げると恐れられる存在。姿かたちは様々な言い伝えがありますから、確かなことは言えませんが、それらは一般的特徴を捉えていて、真実バンシーである可能性は十分にありました。
「古くから私共の村には、不幸の前触れにバンシーが現れるという言い伝えがありまして……最近、ご主人様の体調が優れないこともあり、皆、これは呪いではないかと恐れているのです。それで、この私が代理人として、はせ参じた次第でございまして……」
「なるほど。であれば、このエリーを派遣しましょう。我が事務所のエースであるネロくんもね」
トムキンス所長がそう提案しますが、ターグ氏は不満そうでした。
「その、トムキンス様は来ていただけぬのですか?」
「フム。もちろん直接事件を解決したいのはやまやまですが、なかなか忙しい身の上でして。すでに難事件に掛かりきりなのです」
「はあ、そうなのですか。……実に残念です」
大嘘です。トムキンス所長はかなりの出不精で、特に田舎を歩くことが大嫌いなお方なのです。
これはあくまで方便。正直、あまり褒められたことではありませんが、都合が良いので口をはさみはしませんわ。
「しかし保証しましょう。我が事務所の専門家たちは、その辺の冒険者よりも妖精事件解決に向いている、とね。代わりに、もし彼女たちの手に負えなければ、この不肖の身が直接伺いしましょう」
「むむぅ」
結局のところ、ターグ氏は事件解決の依頼をわたくしたちに託しました。
依頼内容は『バンシー事件の真相』を突き止めること。場合によっては、バンシーを退治することです。
退治をすると言う点については納得が出来ませんが、そこはターグ氏に言っても仕方のないことなのでしょう。
翌日、地味なモスグリーンの事務服ではなく、動きやすい装いを選ぶことにしました。鏡を見ながら、おかしなところはないか確認。髪は邪魔にならぬよう、後ろで一つにまとめています。
以前は手入れされていた銀糸の髪も、今は少しばかり行き届いていないかもしれませんわね。艶のなさに、思わずため息をついて玄関へ向かいます。
わたくしが準備を終えるまでずっと待っていたのでしょう。玄関先に立つネロは、気だるげに伸びをして、傍まで歩み寄ってきます。
なんだか距離が近すぎて、威圧感を感じますわ。相変わらずデリカシーがない方ですわね。
「よう、遅かったな」
「それはそれは。お待たせして申し訳なかったですわ。でも、わたくし。ひとりでも十分に事件を解決できると思いますの」
「アンタみてぇな女、ひとりで外に出せるわけねえだろ」
「本っ当に失礼な殿方ですわね。わたくしの実力が不足しているとでもお思いで?」
甘く見ているのだとしたら許せない。思わず、わたくしはビシッと鼻先に指を突き付けました。
すると、フッとネロは笑ったのです。
「オレは力不足な奴なんか、一緒に行動したいとも思わねえよ。ほら行こうぜ、エリー」
わたくしは一瞬、言葉を失いました。顔の表面が熱くなった気がいたしましたが、これは気のせいです。
まさか、こんな粗野な男に認められて、照れているなんてそんなわけはありませんわ。
「そ、そうですか。でも、別にわたくしはあなたと一緒に行動したいわけじゃありませんわ。ただ、トムキンス所長の命令ですから。そう、仕方のないことでしょう?」
慌てて言い返すと、ネロは髪をかき上げて歩き出しました。
向けられた背中から、小さく「素直じゃねえな」と言われた気がしましたが、これは空耳でございましょう。
わたくしは、急いで愛用の鞄を肩に掛け、街を後にしました。