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第3話「雨傘製薬襲撃事件」

 翌日。


 大学の退屈な講義をなんとか乗り切り、夜は居酒屋でバイト。皿洗いと注文取りに追われて、気づけば終電ギリギリ。くたびれた身体を引きずるようにして、俺は独り暮らしのマンションへと帰還した。


 ……現実って、ほんとクソだ。金がなきゃ生きていけないし、働かなきゃ金は手に入らない。できることなら、ずっとAAOの世界にログインしていたい。あっちの方がよっぽどマシだ。現実がゲームになればいいのに……そんな妄想を、俺は何度繰り返しただろうか。


 マンションのエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。コンソールに自室の階を押すと、静かな振動が身体を包み込んだ。


 ……ああ、眠い。このまま夢の世界に落ちてしまいたい。


 エレベーターを降りた瞬間、同じフロアの住人と思しき二人組とすれ違った。一人は青年、もう一人は赤いフードを被った少女。コスプレか? 


 軽く会釈して通り過ぎる。が、視線はつい彼らに向いてしまう。こんな時間に少女連れって……どういう関係だよ。年齢差もそれなりにあるし、赤いフードって。ご丁寧にキャラ付けまでしてるあたり、何かのプレイか? いや、犯罪臭がしなくもない。


 まあ、俺には関係ない。あいつらがどんな関係だろうと、俺の物語には一切関係ない。……些事だ。ノイズだ。俺の世界には不要な情報だ。


 自室の前にたどり着き、重い身体に鞭打って鞄から鍵を取り出す。鍵穴に差し込み、がちゃりと鈍い音が響く。


 そのままのそのそと部屋に入る。今日はもう限界だ。風呂も飯も後回しでいい。寝るか……。


 いや、違う。AAOにログインしなきゃ。俺の居場所は『こちら』じゃない。『あちら』だ。この世界は仮初めの現世。俺にとっての現実は、AAOの中にある。理不尽で、不条理で、息苦しいこの世界なんて、認める気はさらさらない。


 ごそごそと鞄を漁り、PCの前に携帯端末をぽんと置く。その端が、ピコピコと光っていた。『メッセージ』の着信通知だ。


 そういえば今日は、講義もバイトも忙しくて、携帯なんて一度も触ってなかった。連絡してくるのなんて、親か旅団『ベイオウルフ』の誰かくらいだろう。


 俺は一度置いた端末を手に取り、画面をタップする。案の定、送り主は団長・フロスガル。また会議の連絡か? と、軽い気持ちで画面を覗き込む。だが、次の瞬間。俺の目は、思わず見開かれた。


 昼間から断続的に届いていたらしいメッセージの数。その件数、五十を超えていた。


 ……何か、やらかしたか?


 俺は記憶を手繰る。最近、旅団で何かミスったか? 迷惑かけた覚えは……ない。


 恐る恐る『メッセージ』を開く。そこに並んでいたのは、意外にも、いや、逆に不気味なほど素っ気ない一文だった。


『至急ニュースを見ろ! 連絡を待つ』


 ……ニュース?


 現実世界のニュースが、俺たちに何の関係があるっていうんだ? AAOの中で起きることならともかく、こっちの世界の出来事なんて、俺にとってはただの背景だ。それをわざわざ『至急』と言ってくるって……どういうことだよ、フロスガル。


 携帯の時刻を確認する。深夜二時過ぎ。この時間なら、まだ夜のニュースが流れてるはずだ。俺はテーブルに転がっていたリモコンを手に取り、雑にテレビをつける。チャンネルをパパッと回していくと、画面がニュース番組に切り替わった。


 ……で、ニュースを見てどうしろって言うんだよ。


 フロスガルの言葉を思い出しながら、ぼんやりと画面を見つめる。どうやら、緊急特番らしい。


「昨日、深夜に起きました『雨傘製薬』の『薬品製造工場』が武装集団に襲撃された事件につきましてですが、未だ犯人は特定できておりません。その武装集団の攻撃により、工場は大規模な火災が発生しており、一日経とうとしている現在もまだ消防による鎮火作業が続いています。また、工場内で作業中だった従業員百余名の安否状況も判別しておりません。現場から加藤アナがお伝えします。加藤さーん!」


 アナウンサーの声が、部屋に響く。画面には、黒煙を上げる工場。炎が轟々と燃え盛り、消防隊員たちが消火剤を撒きながら必死に鎮火作業を続けている。武装集団による襲撃。従業員百余名の安否不明。


 ……は? 何それ?


 こんな平和ボケした日本で、武装集団? 襲撃? 火災? 工場? 製薬会社?


 物騒な世の中になったもんだな。俺はただ、それだけを思った。まるで、他人事のように。


 その時、携帯が突然、着信アラームを鳴らし始めた。けたたましい音が、静かな部屋に響き渡る。画面を見ると、表示されていたのは「フロスガル」の名前。


 ……辛抱たまらず、ついに電話してきたか。


 俺は着信ボタンを押し、携帯を耳に当てる。


「はいはい、もしもーし。メッセージ送りすぎだぞ、団長さん」

「ニュースは見たか?」


 開口一番、フロスガルの声は低く、焦りを滲ませていた。内容は、メッセージに書かれていた通りニュースの確認。


「あー、うん。今見た。薬品工場の火災のやつだろ?」

「そうだ。それについて緊急でトップ会議を開く。すまないが、すぐにログインしてくれ」


 トップ会議。それは団長、副長、各小隊の隊長格が集まって、旅団の運営方針を話し合う場。つまり、このニュースは、旅団の運営に関わる重大な案件ってことになる。


 ……は? 何で?


「待て待て待て。意味が分からん。説明しろよ! 現実世界の薬品会社の工場が燃えてるってだけだろ? それがAAOの旅団と、何の関係があるってんだよ?」

「……ユウジ。昨日の任務、覚えてるか?」


 昨日の任務……。ああ、フロスガルとカオモジと一緒に行った、あの『医薬品製造プラント』への襲撃か。それが何だっていうんだ?


「覚えてるよ。お前とカオモジと一緒に行った、あの『医薬品製造プラント』への襲撃任務だろ? ……まさかさ。現実世界の薬品工場を襲ったんだった! とか言い出すんじゃねぇよな? それ、さすがにゲームと現実の区別ついてなさすぎだぞ、団長さん」

「そうだな……。あの『医薬品製造プラント』のスポンサー企業がどこだったか、知ってるか?」

「スポンサー企業?」


 AAOの世界では、あらゆる施設やアイテムにスポンサーがついている。たとえば、アバターの服。有名ブランドがデザインを提供し、新商品の広告としてゲーム内で販売される。武装やパーツにも、企業ロゴ入りのものがあり、それを装備することでプレイヤー側にも広告収益が入る仕組みだ。施設も例外ではない。有名ハンバーガーチェーンが敵対企業の拠点を襲撃させる……なんて、現実の企業戦争をゲーム内で昇華させることもある。


「……実はな。あの『医薬品製造プラント』。あれは、ニュースで報道されてる薬品工場の持ち主、『雨傘製薬』がスポンサーだった施設なんだ」


 つまり、俺たちがAAOで襲撃した『雨傘製薬』のスポンサー施設と、現実世界で襲撃された薬品工場は、同じ企業のものだった。しかも、同じ日。……確かに、気味が悪い一致だ。


「おいおい! いくらスポンサーが同じだったって、俺らが襲ったのはゲーム内の施設だぞ! AAOの中の話だ! 現実世界と関係あるわけ……いや、まさか。お前、現実じゃテロリストで、ゲームの動きに合わせて襲撃しました! とか言い出すつもりか?」

「そんなわけないだろ。俺たちはただ、ゲームをしていただけだ。だが、そう思うのは俺たちだけだ。警察がそう思うかは、また別の話だ」


 フロスガルの声は、冷静だった。それが逆に、事態の深刻さを物語っていた。


「偶然の一致……そう言い切れるかどうかを調べるのが、あいつらの仕事だ。さすがに疑われることはないと思うが、話を聞きに来る可能性はある。だから、旅団全員に情報共有と注意喚起をしておきたい」

「……そうか。わかった。すぐに準備する」

「基地で待つ。よろしく頼む」


 通話が切れた。部屋に、再び静寂が戻る。だが、俺の胸の中には、妙なざわつきが残っていた。


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