「これは……!?」
「封印魔術だ。諦めろ、“魔獣王”」
魔術師の声を合図に、銀色の鱗を持ったドラゴンの足元で紫色の魔法陣が光輝く。
その瞬間、ドラゴンは動きを止めた。
否、動きを止めざるを得なかった。
「人間ごときが我を倒すことなど出来るものか!」
「その通りだ。だから倒すのではなく、封印する。お前を倒す方法を見つけるまでの時間稼ぎだが、今はそれで十分だ」
「フン。そのような封印など、すぐに破ってやる!」
「不可能だ。お前を封印する場所は、海の底でも地の果てでもない。人間の身体の中だ」
ドラゴンが魔術師の指差した先に目を向けると、地面に赤ん坊が寝かされていた。
赤ん坊の周りには、魔術に使用する素材が敷き詰められている。そして地面にはドラゴンの足元に描かれたものと似た魔法陣が描かれていた。
「お前が封印を破る力に、人間の身体は耐えられない。封印を破った途端にお前を封印していた身体は壊れる。人間の身体を壊した際にお前が自由になるのか、それとも人間もろとも死ぬことになるのかは、五分の賭けだ」
「五分も可能性があるなら十分だ」
「……嘘だな。お前は勝率の高くない賭けには出られない」
「勝手なことを言うな! 人間の身体から出た途端にお前の喉笛を噛みちぎってやるわ!」
ドラゴンが凄んで見せたが、魔術師は動じなかった。
「お前が死んだと分かれば、人間側は大胆な魔獣討伐を行なえる。誰よりも強いお前は、抑止力となるために万が一にも死ぬわけにはいかない。封印されているだけの不安定な状態なら、人間側もお前の仇討ちを恐れて魔獣の住む“神秘の森”を焼くことは出来ない」
「……やはり人間は、滅ぶべき悪しき生物よ」
魔法陣がドラゴンの力を奪っているのだろう。ドラゴンの姿勢が崩れていき、ついには身体を横たえた。
あたりにはドラゴンが倒れた際の大きな音が轟いた。
「人間は悪しき生物、か……同感だよ」
魔術師が呪文を唱えると、ドラゴンと赤子の両方の身体が光り輝き、ドラゴンの身体が赤子に吸い込まれて消えた。
* * *
ブリュエット・ポミエは、ほとんど何の不自由もなく暮らしていた。
怪我や病気は一つも無く、月を連想させる銀髪も澄んだ湖のような蒼い目も、大人たちから器量良しと褒められる。
それに男爵家の長女として、毎日お腹いっぱいご飯を食べられるし綺麗な服だって着ている。
幼いブリュエットには、親が何の仕事をしていてどこから金が湧いてくるのかは分からなかったが、自分が平民の子どもよりも恵まれていることだけは理解していた。
しかし一方で、平民の子どもにはないであろう不自由さを抱えていた。
「ごえいなんかいらないってば。わたし、もう六歳だよ!?」
「まだ六歳です、お嬢様」
「この前、町でわたしより小さい子どもが一人で歩いてるところを見たよ!?」
「よそはよそ、うちはうちです」
ブリュエットがいくら文句を言おうとも、護衛はブリュエットの傍を離れようとはしなかった。
そんな護衛をブリュエットは日頃から鬱陶しいと感じている。
「人さらいがいるから、きぞくは一人で、ろじうらを歩いちゃいけないっていうのは分かったよ。でも、わたしが行きたいのは、ひろばだよ?」
「広場に人さらいがいないとは限りません」
「わたしは一人になりたいの。ごえいがいると、他の子がいっしょに遊んでくれないんだもん」
「お嬢様は貴族であり、広場にいる子どもの多くは平民です。仕方のないことです」
貴族と平民の違いは何度も教わっているが、それでもブリュエットは広場にいる子どもたちと一緒に駆け回りたかった。
護衛のいない状態で近付けば、ブリュエットのことを平民だと思った子どもたちが一緒に遊んでくれるはずだとブリュエットは考えている。
「分かった。じゃあ、ごえい付きでいいから町に行かせて」
「それならば問題ございません」
ブリュエットは持っている中で一番地味な外出着を着ると、護衛とともに町へと向かった。
* * *
「お父さまとお母さまは、またえんげきに行ってるの?」
「ええ。演劇鑑賞がお仕事で必要なのでしょう」
「お父さまのお仕事ってなあに? お父さまはえんげきのお仕事をしてるの?」
「私はただの護衛ですので、分かりかねます」
馬車の中でブリュエットが護衛に質問したが、護衛はブリュエットの欲した答えを返してはくれなかった。
「ほうせきもドレスも絵もいっぱい買ってるけど、えんげきってそんなにもうかるの?」
「護衛には何とも」
「それも! だんしゃく家にはどこもごえいがこんなにいるの?」
「よそはよそ、うちはうちです」
「またそれ!?」
ブリュエットには複数人の護衛が交代しつつ二十四時間体制で付いている。そのため護衛の人数が多く、ブリュエットは全員の顔と名前を憶えてはいない。
しかしどの護衛も呪文のように「よそはよそ、うちはうち」と繰り返す。
その言葉を聞くたびに、ブリュエットは自分が適当に誤魔化されていると感じるのだった。
「さあ、着きましたよ。お嬢様」
「わあ! ここがわだいのおかし屋さんなのね!」
常に護衛のいる不自由さに不満を漏らすブリュエットも、まだほんの幼い子どもだ。
菓子店の甘い匂いを嗅いだ途端、上機嫌な声を上げた。
「クッキーがいっぱい! いろんな形のクッキーがある!」
「お好きな物を購入して構わないとのことです」
「えへへ、迷っちゃうな」
ブリュエットは菓子店の中に入ると、目を輝かせながらクッキーを選び始めた。
そのとき。
大きな音がして菓子店の前の通りが騒がしくなった。
「どうしたの?」
「お嬢様はお気になさらず。クッキーをお選びください」
護衛はブリュエットに道を見せたくないようだったが、止められるとかえって見たくなるのが人の常。
護衛の足の隙間を抜けてブリュエットは通りに飛び出した。
「お待ちください、お嬢様!」
「いったい、なにが…………じこ?」
店の外に広がっていたのは、ブリュエットにも一目で分かる惨状だった。
荷車を引いていた少年が馬車と衝突したのだろう。
少年が通りに倒れ、荷車に積まれていた果実がいくつも転がっていた。
そして地面には、真っ赤な血が大きな水たまりを作っている。
「うっ……ううっ…………」
幸いにも少年は生きているようだが、怪我をして立ち上がれないようだった。
しかし流した血の量から考えても、あと少しの命だろう。
野次馬たちが少年の様子を見守っていると、馬車から一人の女性が降りてきた。
「ごめんね。少しだけ我慢してね」
馬車から降りた女性が少年に手をかざしながら呪文を唱えると、淡い光が少年を包んだ。
そして少年の浮かべていた苦悶の表情が和らいでいく。
「回復魔術だ。初めて見たよ」
「回復魔術ってあれほどの怪我を治せるものなの?」
「並の魔術師では無理だろう。つまり……」
「あの人は“王宮魔術師”なのね」
ブリュエットは少年と王宮魔術師の女性から目を離さず、周囲の声に耳を澄ませた。
(女の人が使っているのが、かいふくまほうで、女の人はおうきゅうまじゅつし。ふむふむ)
回復魔術という単語はブリュエットも聞いたことがあるが、王宮魔術師は初めて耳にする単語だった。
(きっと、おうきゅうまじゅつしっていうのは、とってもすごい人、って意味だ。おぼえておこう)
ブリュエットは雑な解釈をしながら、少年を見守っている。
王宮魔術師がハンカチで少年の額の血を拭くと、血の下にあったであろう額の傷は、きれいさっぱり無くなっていた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ悪かったわ。あとね、怪我は治ったけれど君はたくさんの血を流したわ。すぐには動き回らないようにしてね」
「ですが、働かないと食べる物が……」
「少ないけれど、これは迷惑料よ」
すっかり怪我が治って立ち上がった少年に、王宮魔術師は金貨の入っているのだろう小さな巾着を手渡した。
少年はその場で中身を確認し、目をキラキラとさせている。
(すごかった……って、待って。今、大チャンスかも!)
少年が回復したことに安堵したブリュエットは、今が自分にとって都合の良い状況だと気付いた。
通りは野次馬で溢れている。
そして平民の子どもに混ざって遊びたいと思っていたブリュエットは、万が一を考えて地味な服を着ている。
今がその、万が一だ。
人ごみに紛れて護衛をまき、平民の子どもと遊ぶ絶好のチャンスだ。
「近隣住民にも事故で迷惑をかけて申し訳ありませんでした。これから通りを綺麗にする魔術を使うので、そのパフォーマンスを迷惑料としてください」
王宮魔術師の言葉に、野次馬は沸き立った。
町にも魔術を使える者はいるが、王宮魔術師レベルの強い魔術を使える者はいないからだ。
ブリュエットは魔術をよく見ようと人々の足の間を抜けて前に進んだ……ように見せかけた。
そうやって護衛の目を欺くと、通りの反対側の道に出て、こっそり通りを離れた。
「やった! ついにやったわ! わたしは自由よ!」
護衛から解放された解放感に喜んだのも束の間、ブリュエットは自分がどこにいるのかよく分からなかった。
しかしそんなことはブリュエットにとって何でもない。
「いっしょに遊んでくれる子がいるなら、どこでもいっか!」
ブリュエットは通りを歩き回って同じ年頃の子どもを探した。
しかしどこにも子どもの姿は見えない。
このあたりにいた子どもは、王宮魔術師の魔術を見に行ってしまったのだ。
(せっかく一人になれたのに。だれもいないんじゃ、つまんないよ)
それでもブリュエットが諦めずに歩き続けていると、子どもではなく不思議な生き物が目に入った。
「あっ! ウサギさん……じゃない!?」
その生き物は、姿形も大きさもウサギのように見えたが、額の真ん中に小さなツノがあった。
ツノのあるウサギがいるなど、ブリュエットは聞いたことがなかった。
「いたい、こわい……たすけて……」
「ウサギさんがしゃべった!? って、足が……」
見るとウサギのような生き物は、足に怪我をしているようだった。
可哀想だけど自分にはどうすることも出来ないと思ったブリュエットだったが、すぐに思い直した。
「さっきの、おうきゅうまじゅつしさんにたのんだら、治してもらえるかも!」
どうしてウサギが喋るのか、そもそもこの生き物はウサギなのか、謎はたくさんあるが、早くしないと王宮魔術師はいなくなってしまうかもしれない。
ブリュエットはウサギのような生き物を抱きかかえると、元来た道を戻って王宮魔術師の元へと向かった。
「ごえいをまくのはまた出来るかもしれないけど、この子を治すのは、今しか出来ないもんね!」
王宮魔術師の元へいく途中で、ブリュエットを探している護衛に出会った。
護衛はブリュエットを見つけると、焦った様子で走ってきた。
「ごえいさん。あのね、この子がけがをしてて、さっきのおうきゅうまじゅつしさんに、治してもらおうと思って」
「危ない!」
護衛はブリュエットの元に着くなり、彼女が抱えているウサギのような生き物を奪い取ると、彼女から見えないように背を向けて…………ウサギのような生き物を、刺し殺した。