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第11話 観察眼を持つ女

 翌週。

 私は、帝都ホテルの会議室にいた。

 大理石の床、無駄のない照明、楕円形のテーブル。そこに座るのは、一条財閥の関連財団の役員たち。皆が濃紺や黒のスーツで武装し、言葉よりも沈黙の重さで場を支配していた。


「本日の進行役は私、一条 蓮です」

 御曹司の声は、静かでよく通る。


「チャリティ・ガラの企画に関して、外部協力として——美咲さんに意見を伺いたい」


 一斉に視線がこちらへ向いた。冷たく、値踏みするような眼差し。

 私は、わずかに姿勢を正した。


「初めまして。美咲と申します」

 声が震えないように、呼吸をゆっくり整える。


「私は長く“接客”の仕事をしてきました。お客様がどう振る舞えば心地よく過ごせるか——それを観察し、空気を作るのが役割でした」


 ざわめきが起こる。役員の一人が眉をひそめた。

「なるほど。で、具体的には?」


 挑むような視線。

 私は、口元に小さな笑みを浮かべて答えた。


「この場でも、既にいくつか観察しました。

——時計を三度以上確認された方。退屈している証拠です。

——ネクタイを直した方。緊張で集中力が落ちています。

——そして、書類を指でトントンと揃える方。早く終わらせたい気持ちが出ています」


 会議室の空気が一瞬固まる。

 数名の役員が無意識に動作をやめた。


「こうした小さな癖が積み重なると、会場全体に“落ち着かない空気”が伝わります。

逆に、スタッフが一つ笑顔を見せるだけで、その緊張は和らぐ。ガラに必要なのは華やかな装飾より、安心できる空気の設計です」


 沈黙。

 次の瞬間、蓮がゆっくりと拍手をした。

「その通りだ」

 彼の声が、場を切り替えた。


「我々は規模や金額に意識を取られすぎていた。けれど、美咲さんの視点は実際に参加者の心を動かす。チャリティに必要なのは数字だけではない」


 役員たちは顔を見合わせ、やがて何人かが頷いた。

「……確かに一理ある」

「観察眼は侮れませんな」


 私は内心で深く息を吐いた。



 会議が終わり、廊下に出る。

 張り詰めていた空気が消え、私は壁に背を預けた。


「緊張した」

「よくやりました」


 横に現れた蓮が、淡い笑みを浮かべる。


「あなたが言ったことは、僕にも刺さった。僕も時々、数字に囚われすぎる」

「でも、あなたは人を見てる」

「そう見えますか?」

「見えます。さっき、私の声が震えた瞬間に、すぐ水を頼んでくれた」

「気づかれたか」

「ええ」


 目が合い、二人で少し笑った。


「美咲さん」

「はい」

「前の経験は——武器だ」


 蓮は真剣な目をして言った。


「それを隠す必要はない。むしろ堂々と、今のあなたを作った力として誇ればいい」


 胸の奥が、じんと熱くなる。

 今まで“過去”は、恥じるものだと思っていた。

 でも彼は、それを肯定してくれる。


「……ありがとう」

「礼を言うのは僕のほうです」



 帰り際、蓮がエレベーターの前で立ち止まった。


「来週のリハーサルも、同席をお願いしたい」

「私でいいんですか?」

「あなたでないと。——理由は?」

「観察の結果、ですか?」

「その通り」


 二人で小さく笑う。


 エレベーターの扉が閉まる直前、彼が言った。


「次は、プライベートでも会いましょう」


 扉が閉じる。

 鏡に映った自分の顔は、少しだけ誇らしげに見えた。


——私は、もう“元夜の女”ではない。


“観察眼を持つ女”。


そう呼ばれる日が、始まったのかもしれない。

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