「ああああああああああああああああああ!」
言葉にならない。言葉にできない。
悲しみなんて言葉じゃ、なんにもかたちにならない。
僕は額を地面に擦り付け、ただ叫んだ。喪失を受け入れられず、ただ。
頭の中には、まださっきの映像が残っていた。あれは、リーズさんの? でもなんで、僕が。
答えのない問いがやまない。後悔も。
僕がもっと強ければ、僕にもっと力があれば、こんなことにはならなかった。到底叶わないたらればが、涙とともに押し寄せてくる。
声がしたのは、それから少ししてのことだった。
「……私、なんで?」
未だに地面に伏している僕のそばで、聞き馴染みのある声とともに、誰かが起き上がるような物音がした。
声の方に視線をやると、そこではリーズさんが残した大きな花が枯れ果てていて、その中心に膝を抱えて座る、レアの姿があった。あの魔族の魔法が解けたのか、はたまたリーズさんの力によるものか、レアの様子に変わりはなく、体には傷ひとつついていないようだった。
「アシル……?」
「……」
何かを察してか、縋るような目で僕を見るレアに、かける言葉が見つからなかった。
「ねえ、アシル、その傷は……。その、お母さん……は……」
「……僕が、弱かったんだ」
「そうじゃなくて! そんなの、私だって……何もできなくて……でも、お母さんは無事でしょ? あんなやつらに、お母さんが……」
「レア……その、リーズさん、は、」
だめだ。
これ以上は、言えない。
再び、さっきの映像群が脳裏によぎる。
レアと僕の言い合いを眺める、あの滲んだ視界を思い出す。あれはリーズさんの見た、走馬灯みたいなものだったのだろうか。
――リーズさんの死は、悲劇か?
そんな疑問符が胸に落ちる。
いや、違う。リーズさんはやるべきことをやった。やり切ってから、僕とレアに、命を繋いだ。
それを、その覚悟を。
僕は今、悲劇にしようとしている。
「リーズさんは、最後まで……」
僕が言いかけたそのとき、レアの背後の地面から人影が飛び出た。
「終わったと思って油断してんじゃねえよ!」
そう下卑た笑みを浮かべてレアを羽交い締めにしたのは、さっきリーズさんの首筋に傷を負わせた、あの魔族だった。
生きてたのか。
リーズさんは限界だった。おそらく、絶命させる前に花束の魔法が解けてしまったのだろう。
「……!」
レアは口を塞がれながらも、きっと僕に「逃げて」と叫んでいた。聞き取れなくても、わかった。
「あの花使いの女も死んだんだ。これ以上お前にできることはねえ。こっちも二人減ったが、こいつさえ持ち帰れば目的は果たせる。気に入らねえが、痛み分けだな。ほら、今なら殺さないでいてやるからとっとと失せろ」
魔族は体格通りの重く低い声で、僕に言った。
「お前ら、何がしたいんだよ」
「ああ? お喋りする暇はねえが、いいだろう。この女はあの女と同じ……いやそれ以上の『花使い』の能力がある。花使いってのは不思議でな、太陽があるだけでほとんど無限に魔力が生み出せる。俺たちはそれを持って帰り、底なしのエネルギー……」
「そうじゃない!」
拳が自然に力む。
僕は、怒っているのか。
自分だけが生き残ってしまったあの日から、感情が少しわからなくなっていた。生き残っただけの僕が、喜んだり悲しんだりすることが、死んでいった両親や村の人たちへの侮辱になるんじゃないか。そんなことばかり、考えていたからだ。
でも、今は違う。
この怒りは、この悔しさは、誰でもない僕だけのものだ。
そしてこの、命も。
「他人の家族を奪っておいて、なんで平気そうなんだって聞いてるんだ」
「生き物としてのつくりが違うものに同情する方が傲慢だろ」
「同じ言葉を使ってる。同じように、生きてるだろ」
なぜだろう。もう立つことさえ叶わないと思っていた体が、動く。それも今までで一番、力が漲っているように感じる。
まるで何かに背中を後押しされるように、僕は一歩を踏み出す。
「同じじゃねえよ。俺たちとお前らは。いいか? 俺が今お前を見てどう思ってるか教えてやるよ。ずいぶん感傷的な虫もいたもんだなって感心し」
「もう黙れ」
頭の中で、細い糸が切れるような音がした。
それからの数瞬、自分で、自分の動きが追えなかった。
気づいたときにはもう、魔族の首から上はなくなっていて、その失われた頭部は、僕の手の中に収まっていた。
なんだ、これ。
僕がやったのか?
ズシン、という音とともに、司令塔をもがれた魔族の体が崩れ落ちる。
拘束から解かれたレアは、まるで崖下を覗くような畏怖の念を宿した瞳で、僕のことを見ていた。
「……アシ……ル?」
「よかった。君が無事で」
僕の体に何が起きてるんだろう。もちろんそういう不安はあったけれど、思うのはそれだけだった。
「私は大丈夫、だけど。……アシルは?」
「僕も平気だよ。リーズさんのおかげだ」
レアは僕の言葉で全てを悟ったのだろう。おろおろとした目で周囲を見渡し、さっきまでリーズさんがいたあたりの地面まで歩くと、何かを拾った。
「これ、お母さんの」
それはリーズさんがいつも胸に提げていた、真価の針だった。身につけていた服やらはリーズさんもろとも灰になってしまったが、それだけはそのままのかたちを保って残っていたらしい。
「リーズさんは最後まで、君のことばかり考えていた。君を、最後の最後まで、愛していた」
僕はさっきの続きを、言葉にする。
「…………お母さん……ごめん、私……ごめんね……」
真価の針を胸に抱きしめながら、肩を震わせ、レアは大粒の涙を流す。
込み上げてくる感情に、喉が詰まる。
そんな彼女を慰める大きな手がもう存在しないことが、痛々しくて、やるせなかった。
手の中の魔族の頭部が、塵になって消えていく。痛覚のない生物である魔族でも、生命活動の維持が叶わなくなると、死ぬ。
リーズさんと同じように。
気力が抜け、膝から地面に落ちる。命を奪った右手が、うっすらと痺れている気がした。
「僕は……なんなんだ」
なんで今になって、こんな芸当ができるようになるんだ。せめてもっと早くこうできていたら、目の前の光景は変わっていたはずだ。
「なんで……なんでなんで!」
なんでいつも、僕だけが生き残る。
「アシル!」
レアの驚く声がして、僕の沈みかけていた意識が引き戻される。まだ魔族がいたのか?
しかしそんな心配とはてんで違う事実が、そこには待っていた。
真価の針を手に持ったレアが、僕のことを見つめ、心底驚いたように目を見開いていた。
「……アシルの針、変だよ」