銀の遮光器土偶――そんな冗談のような存在が、ゆるりと身を起こし、手にみえる位置にあるなにかに保持している銃口を。
いや、それは単に人類がもつ銃という武器に相似しているだけのことか。
無防備に「銃に似た何か」の開口部に淡い銀の光が躍りはじめるのを見返して。
エイリアン――内部構造は不明だが、その正体も何もかもわからないままに対峙する対象を前に榛色の瞳でどこか冷徹なまでに見据えて動かずにいるアレックスと。
対する本多もまた何も動こうとはしない。
よろめきながら地に降り立つエイリアンと仮定されている存在の背後で、貝殻がくちを閉じるように、不規則な開口部を持つ機体が閉じられようとしている。
波打つような振動が二人に伝わり、そして。
微かに本多が天を仰いだ。
暗く突然に翳る陽射しは、山奥に特有の揺れて不安定な大気の為か。
否、ハワイの山は火山として有名ではあるが、高度差をそれほど海岸部とくらべてもっていない。山に特徴的な天候の急変などもまったくないわけではないが、此処までの急変は有り得なかったろう。
闇だ。
突然の急変は、湧き上がる黒雲と同時に暗黒とも呼べるほどの視界を奪う闇を連れて来ていた。
漆黒に覆われた空間が、何処か沈黙の気配を連れて来ていることを二人は同時に知っていた。
「へえー」
アレックスが微笑む、あまり性質のよくない笑みで。
本多がそれをちら、とみてあきれたように視線を対するエイリアンの持つ銃口ともみえる装置へと運ぶ。
それは、確かに何かを連れて来たのだろう。
この場合は、周囲と隔絶する漆黒だろうか?
突然の暗黒に、時間が引き延ばされるような妙な感覚をおぼえて、本多が眉を微かに寄せる。白い容貌に、冷淡な本多の眸に感情は乗りはしないが。
アレックスがふわりと微笑む。
「…ホンダ、こちらは後方との通信が切断された。そっちは?」
滑らかな英語で問い掛けるアレックスに肩を竦める。
「同じだ」
「では、此処は何らかの方法で切り離されたと考えていいね。…――亜空間処理は異星から宇宙を渡るときには検討されている手法だよね?」
「いまだ架空の科学などどうでもいいが」
アレックスの問い掛けを一刀両断で切り捨てると。
「くるぞ」
端的にその事実を告げる本多にアレックスもまた銀色の遮光器土偶に似たエイリアンの手が持つ装置が、何かを放出するものを認識する前に地に転がる。
それまで二人が立っていた箇所を薙ぎ払うように白光が帯となって流れ出し円を描いて流れついた先に立っていた樹々を輪切りにして倒していく。
人の身体がそこにあれば、確実に胴を両断でもされていたろう。
地に転がり、手にした銃でエイリアンを狙おうとしていたアレックスが目を見張る。
…ホンダ、――!?
それは、静かな背だ。
地を蹴り、軽々と跳躍する。
その動きに、手にしていた銃の重さをアレックスが計り直す。
銀に鈍く光る遮光器土偶に似たエイリアン。
その背後に漸くくちを閉めようとしている機体。
息が止まるようだと。静かな背を見つめて思う。
本多が跳躍しエイリアンを越え、その背後にある機体へと跳ぶ。
援護に、初弾を銃倉から送り込み敵のセンサーだと判断した箇所へ撃ち込みながら。
アレックスは、みていた。
銃の初速は考えられないほど遅く、エイリアンの持つ装置へと弾丸が飛ぶ軌道さえ、アレックスにはみえていた。
銀の遮光器土偶似のエイリアンは、アレックスに応じようとして意識を完全に向けてきている。その装置が、向きを変えてアレックスへと向けられ、白光が丸く幾つも踊るように、銃口ともみえる装置の開口部に集まり始める。
地に転がり、援護の銃弾を撃ち、次に逃げようとしていたアレックスを。
本多が微かに振り向いて、僅かに微笑んだのをみる。
「…ホンダ?」
思わずもくちにする。
黒雲と敵の小型艇が生み出した闇と。
それらに紛れて見えていなかった、本多が手にしているものにアレックスの瞳が見開かれる。
何故かとてもゆっくりエイリアンに接近していくアレックスの撃った初弾がエイリアンの縄文土器に似た模様の装甲に弾かれ、微かに跳弾の響く音がして。
それに、薄く本多が微笑むのを。
手に握る細い、―――その何かを手に。
山肌を滑るように落ちる小型艇に、軽く笑んで本多が。
開口部を閉じながら、背後の山の斜面に落ちていく機体に、本多が軽々と跳び移り、足下として。
アレックスが目を見張る前で、あざやかに。
銃を手に茫然と見あげる。
地を蹴る動作は僅か。山肌を滑り落ちていくエイリアンの小型機に、落ちていくその動きに逆らわずに乗るように。
流れるような動きで本多がその装甲に覆われた小型艇の背に移る。
そして、閉じかけたその開口部に。
「…ホンダっ!」
アレックスが駆け寄る前で、地に滑り落ちていく小型艇の背に乗り。
本多が手にしたその細い黒杖を振り被り、斬り下ろすように装甲の境目に刺す。
遮光器土偶を思わせるエイリアンの動きは鈍く、振り向こうとする途中で。
「…ホンダ!」
「撃て!」
「…――――!」
まるで脆い急所を突かれたように、
黒杖を突き立てられた箇所から小型機の開口部が割れて地に落ちるのにアレックスが視線を据えて腰矯めに銃を構え連射する。
鋭い音が響き、装甲の中に開いたくちへとアレックスの銃撃が集中していく。
同時に、暗雲が割れ光が覗いた。
「――――――――!」
地に崩れ落ちる小型機。
樹々を薙ぎ倒しながら、機体が割れ目を閉じられないまま滑り落ちていく。
その銀の機体を軽く押すように蹴り、本多が落ちる機体を見送り地に降り立つ。
ゆらりと振り向こうという遮光器土偶の動きが、冗談のように重くみえた。
滑り落ちる音、薙ぎ倒す樹々が生み出す破壊音。
軽く地に立ち、背を向けたまま本多が軽く手にもつ黒い棒を振る。
そして、次に漸くとてつもなく重い重力に逆らうようにのろい動きでこちらを向いたエイリアンに、本多が薄く笑む。
地を滑り落ちていった機体が姿を樹々の向こうに見えなくなっていった途端。
銀の光が薄れて、遮光器土偶に似た何かを纏ったエイリアンの動きが止まった。
まるで、地球の重力に耐えられないように地に伏せて。
僅かに腕を動かそうとしてか、装置の向きを変えようとしているのか。
それもできずに地に倒れ伏す銀光が薄れた遮光器土偶似のエイリアンを本多が冷たい視線で見おろす。
動きを止めたエイリアンにアレックスが銃撃を続けようと保持した銃口を倒れたエイリアンに向けたまま本多に走り寄る。
「…大丈夫か?一体、どうやって、…」
ホンダ、と訊ねるアレックスに本多が黒い杖を一部仕舞いながらいう。
服の内側に仕舞える程に小さくなる細い黒杖は警護や何かに使う殆ど武器といっていいのか判断に迷うようなものだが。
「まあ、ないよりましだったな」
「一体、何、…――それってまさか?」
訊ねるアレックスに、まだ手にしている黒い棒状の何かをエイリアンに向けて返答しない本多に眉を寄せる。
信じられない思いで、近くまで寄ってみて。
「まさかそれ、…――警棒?」
額に手を置いて信じられない、という風にあきれてみるアレックスに、本多が視線を動けないらしい遮光器土偶似のエイリアンに置いたままいう。
かるくあきれた感情が乗るのも当然だろうか?
「銃の携帯を許されないかわりに、気休めに持たされる警棒だが、効いたようだな。しかし、いかにカーボンファイバー製とはいえ、杖術は確かに訓練したが、それが突き刺さる装甲の機体など、地球人製でもないだろう」
地を滑り落ちていった機体が遙か下で煙をあげるのをアレックスも崖下を覗き込んで確認する。
「どうやって破壊したって、――それ、で?」
「だからいったろう、一応これでもカーボンファイバー製だ。丈夫ではあるが」
「カーボンファイバーなのか?それ?」
本多が手にしているのは黒杖。
警棒に似た、アメリカでは警官が銃以外に護身用として持つ杖とおそらく同じものだろう。それを、いまは長く伸ばした形から小さくしたものを軽く手に持ち、その先端にはいまだエイリアンを指したままいうのにきく。
「まさか、それでいま、――機体に何を?刺したようにみえたけど?それが効いた?」
「さてな、いずれにしろ、武器はこれしかないが」
その本多の言葉に思わず眉を寄せて、何かいいそうになるローズに。
さらり、と本多がいう。
視線はエイリアンから外さないままで。
「いうなよ?自衛官は専守防衛だから、銃を持たせてもらえずに本当に警護用にこうした杖を持たされて戦地の調停に派遣されたりするんだ。殆ど無駄とも思えるが、…。使えるように鍛えておいたお陰で、実際こうして役に立ったわけだが」
つい、その本多の言葉にアレックスが同情を禁じ得ない視線でみて。
やはり、くちにしてしまう。
「…拳銃くらいもってたっていいのに。許可取ろうよ、…派遣するなら、重火器じゃなくても普通に拳銃くらいもつのが当り前じゃないの?ホンダ、…」
無言で本多が肩を竦めて。
「しかしさー、それで、落とす?どーやったの?」
「見たとおりだ」
「ええっ、解説プリーズ、…何かその黒杖でしたのはわかったけどさー。でもそもそも、その黒杖で突いたかなにかしただけで落ちるの?何が起きたの?なんでホンダ、そんなことしたの?それでエイリアンの機体を落としちゃったの?イッタイ、ナニガドーシテ?」
最後の方でまた片言のあやしい日本語もどきになるアレックスを一瞥もせず、本多がくちにする。
「みろ」
「…死んだ、かな?」
銀の光が完全に消え、鈍灰色の遮光器土偶似のなにかを纏うエイリアン――という中身があればの話だが――は、動きを完全に止めていた。
死魚のように、陸に打ち上げられて動かなくなったともみえる姿に。
「あちらが本体か?」
ちら、と初めて本多が倒れたエイリアンから視線を外し、崖下をみる。
「どうだろーね?…しかし、なにしたの、ホンダ?やっぱりそこ、きーておきたいんだけど?」
あきれていってから。
アレックスが天を仰ぐ。
青空が白く雲を連れてそこに蘇っていた。
先程かれらを取り囲んでいた黒雲の影もそこには見えない。
「黒雲、――がにわか雨降らせて消えた、…わけじゃなさそーだね?」
黒雲も暗黒もそこからは消えていた。
変りもしないといえば。
「でも、コレハイッショかー」
「途中でヘンな日本語に戻るな。英語を喋れ、英語を」
本多があきれたようにアレックスにいう。
それに天を仰いで消えた黒雲を探すようにみながら。
「えー?デモ、ボクのシンカ、言語学者って処だしー」
器用に途中で片言の日本語から英語に切り替えて、アレックスが天を見つめていう。
「…――太陽の位置がちがう」
「アレックス?」
本多が目を細めて、腕時計を確認する。
「約2時間経過か?」
「そだねー、約1時間52分3秒くらい?」
「その細かい性格を直せ」
「ええっ、…!数少ないぼくの取柄なのにー!」
「…取柄なのか?」
「処で、完全にこれ死んだかな?」
本多の問いを無視して、アレックスが地に動かないエイリアンらしきものをみて。
「生きているだろう。我々が知る生命体と同じ物だとしてだが」
「…―――――そだねえ、…。そして、あの暗雲に包まれてた間の時間経過は、おれたちの知る時間の体感と、此処へ戻ってきてから、は違うみたいだね」
にっこりと笑んでいうアレックスを冷たい視線で本多がみる。
地に転がる遮光器土偶似のエイリアンは、中身がそもそも生命体なのかから疑問なわけだが。
そこに転がる「何か」をみて本多が薄く笑む。
「ええっと?ホンダ、コワインデスケド?」
「急に片言になるな」
「エーッ、デモ!ココハソノ場面カト?」
「どうしてそうなる」
「ダッテ、ホンダコワソウナンダモン!」
「日本語で無理に話すな、英語で話せ。――――…消えたな」
「確かに」
本多の視線が指す先をアレックスも真面目な視線でみていう。
少なくとも遮光器土偶似であれ、人型であり人程の大きさがあったはずのそれは消えて。
残されたのは、遮光器土偶でいえば、その片目部分。
金属光沢のある遮光器土偶の片目が、そこに欠け落ちたようにして地に転がっていた。
そして、変わらないことがひとつだけある。
「それなのに、この天気は変わらないねー、ホンダ?」
無言で本多もまたアレックスのみる空を振り仰ぐ。
そこにあるのは青空。
とてもハワイらしい明るい光が満ちてみえるが。
陽光はある。
だが、世界に。
「日が射してるのに、暑くないなんてねー?ハワイなのに?」
「…――――」
無言で本多が足下に落ちたままの片眼をみる。
鈍い銀に似た光を返す、遮光器土偶の片眼。
無言で佇む本多の着る白い外套。
まるでそれは冬の装備だ。
同じく、アレックスの着るチャコール・グレイの外套もまた。
冬に出歩くなら、丁度良い服装だろう。
外套も、履くブーツもまた冬の装備。
二人の視線が、同時に建物のある方へと向かう。
いま漸く、かれらのことに気付いたのか。
警備兵達が、漸く気付いたようにかれらのもとへと向かってくる。
いまだ人類は、何が起こっているのかさえ理解していない。
本多とアレックスが黒雲の影から帰還したとき。
残り時間、地球崩壊まで70時間0分5秒前。
人がこの事態を果たして理解することができるのか?
崖下に落ちたエイリアンの機体に突き刺さっているのは、本多の黒杖。
そして、さらに崖下に、予備の黒杖をエイリアンの機体に突き刺し機能停止に陥らせた本多とアレックスが歩を進めある事実を理解するまで、後15分28秒。
黒雲から開放されたときから数えれば、35分48秒。
つまり、既に残り時間は70時間を切った。
地球崩壊まで70時間0分5秒前―――――
さらに、カウントダウンは進み残り時間は、