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第3話 勇者の証明

 頑丈そうな壁を未知の力で破壊したブレイドを前に、サヤの胸中は騒然としていた。目の前の光景に、今までの常識が崩れ去っていく感覚を覚える。


「こんな力、現実であるはずがない。……もしかして、本当に異世界の勇者なの?」


 彼女は震える声でつぶやき、ブレイドの顔を見上げる。思い返せば、彼は最初からこの世界の常識外の存在だった。


「……いきなりこの部屋に現れたし、霊子武器でもない剣でミノタウロスを倒した……」


 彼女の脳裏に、先ほどの戦いの記憶が鮮明に蘇る。あの力は、ハンターのものとは明らかに異質だった。


 サヤの中で、疑念が確信へと変わり始めていた。先ほどの戦い、そして彼が見せた規格外の力。常識の範囲では説明がつかない。


「……わかったわ。とりあえず、あなたが異世界の勇者だってことを今は認めてあげるわ。とりあえず、だけどね」

「とりあえずなのが少々気になるが――ようやく話が通じたようで安心した」


 満足げにうなずくブレイドに、サヤは思わず口元に笑みを浮かべた。


「じゃあ、ボスも倒したことだし、さっさと地上に戻りましょう。でも、その前に――」


 言いながら、サヤは何かを探すように床へと視線を走らせる。


「ん? どうした?」

「ミノタウロスの魔石よ!」


 すぐに目当ての物を見つけたらしく、サヤは駆け寄って拳サイズの赤く輝く魔石を拾い上げると、それをブレイドに見せるように掲げた。


「ボスを倒したなら、ちゃんと魔石を回収しておかないとね」

「魔石? ああ、あのモンスターが消えた後に残った石か」

「ええ。魔石はハンターギルドで換金できるから、忘れるわけにはいかないわ」


 サヤは魔石を手のひらで転がしながら、ちらりとブレイドを見た。


「……言っておくけど、取ったりはしないからね。倒したのはあなたなんだから。……でも、もしあなたが現れなかったら、私が倒していたかもしれないわけで……。そう考えると、ちょっとくらい私にも分け前があってもいいと思わない?」


 そんなことを言いながらも、サヤは本気でそう思っているわけではなかった。本当は、彼が現れなければ自分がやられていた可能性だってある。感謝こそすれ、分け前を要求する資格なんてない。それでも、ささやかな照れ隠しが、ついそんなセリフを口にさせた。

 だが、ブレイドは気にした様子もなく、首を横に振る。


「いらん、そんなもの。欲しければ、お前が貰っておけ」

「えっ!? ホントに!?」


 思わずサヤの顔が綻ぶ。冗談のつもりだったが、やると言われて断る理由はない。危険度Sのモンスターが落とした魔石だ。換金すれば、相当な額になることは間違いない。けれど、彼女は浮かれそうになる気持ちをぐっと抑え、すぐに表情を引き締めた。


「――って、私にもハンターとしてのプライドってものがあるのよ。はい、そうですか、って貰うわけにはいかないわ」


 少し考え込むようにして、彼女は提案する。


「……そうね、取り分は半々ってことでどう? ハンター登録をしていないのなら、あなたは正式なルートで換金する方法もないでしょ? そのあたりの手間は私のほうで担ってあげるわ。だから、その手間賃と、先に見つけたモンスターを横取りされた慰謝料を合わせて、換金額の半分を貰うわ。どう、それでいいでしょ?」

「欲しければ全部貰ってしまえばいいものを……好きにしろ」

「じゃあ、交渉成立ね!」


 嬉々として声を弾ませると、彼女は魔石をしまおうと、腰に提げたポーチを開けた。

 その様子を眺めていたブレイドは、ふと首をひねる。


「その中に入れるのか? 邪魔にならないか?」

「ん? まぁ、戦闘の時にはちょっと邪魔になるけど、もう戦う必要はないし……。それに、ダンジョンに大きなバッグを持ってくるわけにもいかないでしょ?」

「……だったら、アイテムボックスにしまえばいいじゃないか」


 その言葉を聞いた瞬間、サヤは魔石を持ったまま動きを止め、ぽかんとした顔でブレイドを見つめた。


「……はぁ? アイテムボックス? 何それ、ゲームの話? 異世界だからって、そんな都合のいい機能があるわけないでしょ?」

「いや、普通にあるぞ? 確かに、低レベルの頃ならまだアイテムボックスを手に入れてなかったが、ここ数年はカバンなど持ち歩いたこともない。むしろ、こっちの世界にアイテムボックスがないことの方が驚きだ」

「そこまで言うのなら、この魔石をアイテムボックスにしまってみてよ」


 サヤは試すような視線を向けながら、魔石を差し出した。


「うむ、任せろ」


 ブレイドは迷いもなく魔石を受け取ると、高らかに言い放つ。


「アイテムボックス、オープン!」


 ……静寂。

 ダンジョン内にもかかわらず、風でも吹き抜けたような空気が流れるが、何も起きない。魔石は彼の手のひらに乗ったままだった。


「どうしたの? 何も起こらないようだけど?」

「……なぜだ? なぜアイテムボックスが出てこない!?」

「いや、そりゃそうでしょ。そもそもアイテムボックスって、どういう原理なのよ? 異空間とでも繋がってるの? 重さはどこに行くっていうのよ? そういう都合のいい話が通じるのはラノベの中だけよ」

「理屈なんて俺も知らないが……嘘だろ? ……アイテムボックス、オープン!」


 ブレイドは先ほどよりも力強く、今度は叫ぶように同じ言葉を口にした。――しかし、やはり反応はなかった。

 サヤはため息をつき、ツインテールを揺らしながら首を振る。


「だから言ったでしょ。アイテムボックスなんて、初めから存在しないの。異世界自慢もいいけど、ないものをあるって言うのは良くないよ」


 そう言いながら、サヤは彼の手からするりと魔石を取り戻した。


「いや、嘘じゃない。アイテムボックスは、本当にあるんだ!」

「はいはい、嘘をついている人って、みんなそう言うのよ」

「……本当に……嘘じゃないんだが」


 小さくつぶやいたブレイドの声は、虚しくダンジョンの壁に吸い込まれていった。


「とにかく、少なくともこの世界にはアイテムボックスなんてないんだから、もう諦めなさいよ。それより、さっさと脱出するわよ。ボスが倒されたダンジョンは自然消滅して、中にいる人は強制的に地上に戻れるけど、消滅までには三日くらいはかかるわ。ちょうど、あなたが壊してくれた壁の穴から通路に出られるし、そこから地上を目指しましょう」


 サヤは踵を返し、壊れた壁へと向かおうとした。しかし、その背中をブレイドの低い声が呼び止める。


「……待て」


 彼の声に、サヤは足を止め、肩越しに振り返った。


「何? アイテムボックスの話はもういいわよ。それとも、今度は勇者の力で脱出ルートがわかるとでも言うの? もしそうならありがたいんだけど?」

「いや、さすがにそんなチート能力はない」

「それはそうよね。そんな都合のいいものがあったら、誰も苦労しないもんね」


 サヤは小さくため息をついた。彼が本当に異世界の勇者なら、そんな常識を超えた力もあるかもしれないと思ったが、さすがにそんなうまい話はないらしい。

 しかし、次の言葉で考えは覆される。


「その代わりと言ってはなんだが、ダンジョンから地上に戻る魔法ならある」

「……はぁ!?」


 振り返ったサヤの声が跳ね上がる。


「なによ、それ!? そっちのほうがよっぽどチートじゃないの! っていうか、またアイテムボックスみたいにあるある詐欺じゃないでしょうね?」

「安心しろ。アイテムボックスと違って、こっちは魔法だ。魔法ならさっきも使えたから問題ないはずだ」

「……そういうものなの?」

「俺も詳しくは知らんが……実際に魔法は使えた。ならば、きっとダンジョン脱出の魔法も使えるはずだ。どうする、試してみるか?」

「……そうね、お願いするわ」


 信じがたい話だったが、もし本当なら断る理由はない。サヤは肩をすくめながらうなずいた。

 すると、ブレイドは無言で右手を差し出す。


「……何よ、その手は?」

「この魔法は、手を繋いでいないと一緒に移動できない」

「……とかなんとか言って、本当は私と手を繋ぎたいって魂胆じゃないでしょうね?」


 サヤは疑わしげに目を細めた。彼女は今までに、似たような口実で近づいてくる男達を何人も見てきている。

 だが、ブレイドは心底不思議そうな顔で首を傾げた。


「ん? お前と手を繋ぐと、俺に何か得るものがあるのか?」

「……本気で言ってそうなのが、それはそれでムカつくわね」


 サヤはため息混じりにつぶやく。彼にやましい意図がないことはわかったが、それはそれで微妙な気分だった。


「いいから、早く手を繋げ。こんなところに長居はしたくないだろ?」

「……わかったわよ」


 そう言いながら、サヤは少し照れた様子でブレイドの手を握った。

 彼の手は思ったよりもごつく、固かった。鍛え抜かれた筋の感触と、無数の戦いをくぐり抜けてきた証のような手の豆が、その歴戦の重みを物語っているかのようだった。


(……これが勇者の手。……いや、まだ、とりあえず信じただけだけどね)


 二人の手がしっかりと結ばれると、ブレイドがまた奇妙な言葉を発する。


迷宮脱出ラグ・ヴェルカ


 次の瞬間、眩い光が二人を包み込んだ。

 それはただの光ではなく、まるでこの世界の理を塗り替えるかのような神秘的な輝き。視界が渦を巻き、万華鏡のような色彩が弾ける。赤でも青でもない、不思議な色が躍り、やがて意識すらその中に溶け込んでいく。

 そして、光が収束した時――サヤの足は、確かな硬さを持つ地面を捉えていた。


「……本当に、地上に戻ってきてる」


 ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた街並みが広がっていた。

 周囲にはコンクリートの建物が並んでおり、ビルの谷間には傾きかけた夕日も見える。

 そして、目の前には、薄く光を放つゲート――それは間違いなく、彼女が突入したダンジョンの入り口だった。


「当たり前だろ。まだ疑っていたのか?」


 ブレイドが呆れたように肩をすくめる。

 サヤはふっと笑い、自分がまだ彼の手を握っていたことに気づく。慌てて手を離すと、わざとらしく腰に手を当て、まっすぐに彼を見つめた。


「そういうわけじゃないけど……『とりあえず』って言ったのを、取り消すことにするわ」


 彼女の瞳に、もはや疑念はなかった。


「でも、どっちかというと、異世界どうこうよりも、あなたという人に興味が湧いてきたかな」

「ん? それはどういう意味だ?」

「ふふっ、わからないなら気にしなくてもいいよ。……それより、私がこの世界でのあなたの保護者になってあげるわ。危ないところを助けてもらった借りもあるしね」

「はぁ!? 保護者!? どう見ても俺の方が年上だぞ?」

「保護者が気に入らないのなら、身元引受人よ。とにかく、この世界の案内なら私に任せておきなさい!」


 サヤは胸を張り、自信満々に言い切った。


「……どうも不安が拭いきれないが、この世界でほかに頼る者もいないしな。当面は頼らせてもらうことにするか」

「ええ、大船に乗ったつもりでいなさい」


 得意げに言い放つ彼女を見つめながら、ブレイドは小さく息をつく。

 この世界は、まだ彼にとって未知のものばかりだ。だが、少なくとも目の前の彼女から悪意は感じない。

 それだけで、彼がサヤを信じるには十分だった。


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