平和な国、日本。その都市の片隅に、誰も予想しなかった異常が発生した。それは、まるで空間そのものが裂けたかのように、街の一角にぽっかりと開いた「穴」――通称『ゲート』。
ゲートの出現は、ただの自然現象ではなかった。その先に広がるのは、常識を超えた異空間『ダンジョン』。内部にはまるで空想の産物のような領域が広がり、さらに、異形の怪物――「モンスター」と呼ばれる存在が巣食っていた。
ゲートは予兆すらなく突如として発生する。市街地、公園、地下街、時には住宅街のど真ん中にすら現れることもある。そして最悪なことに、その出現と同時に、多くの市民がダンジョン内へと巻き込まれる事故が相次いだ。
当初、日本政府はその空間を封鎖し、自衛隊を中心とした救助隊を送り込んだ。しかし既存の科学がほとんど通用しないモンスターの存在により、多くの試みは失敗に終わった。だがやがて、一つの発見がなされた――モンスターを倒した際、輝く宝石のような物体、「魔石」が残されること。そしてこの魔石が、既存の科学では再現不可能な莫大なエネルギーを秘めていることが判明したのだ。
それが人類にとっての転機だった。危険と隣り合わせである一方、莫大な利益と名声をもたらす魔石。そして、それを得るため、危険を顧みず、ダンジョンに潜る者達が現れた。彼らの名は――「ハンター」。
「――というのが、今のこの世界と、私がやってるハンターの説明よ」
ブレイドと共にダンジョンを出たサヤは、ハンター達をサポートする組織「ハンターギルド」の支部を目指すその道中、異世界から来た勇者にこの世界のことを語って聞かせていた。
「……なるほど。つまり、この世界にはダンジョンの中にしかモンスターはいないってことか。街を出ればモンスターが溢れている俺の世界とは随分と違うんだな」
「……なかなかイヤな世界ね、それは」
「慣れれば自分の腕一つでどこまでも成り上がれる。そういう意味では、なかなかおもしろい世界だぞ」
「まぁ、今のこの世界も似たようなものだし、よその世界のことはとやかく言えないか……。子供の頃にはこんなことになるなんて思ってもいなかったけど」
かつての平和な日本を思い出し、歩きながらサヤはふとため息をつく。
そんな彼女の視線の先に、重厚なコンクリート造りの白い荘厳な建物が見えてきた。派手な装飾が施されているわけではないが、シンプルかつ機能的なデザインで、街の中でもひときわ目を引く存在だった。
「あれがハンターギルドよ」
サヤはその建物を指差した。
「ハンターギルドとは、冒険者ギルドのようなものか?」
「冒険者ギルドって、ファンタジーものによくあるやつよね。……そうね、実際の冒険者ギルドがどんなものかは詳しく知らないけど、多分同じようなものよ」
サヤは適当に答えたが、ブレイドからそれ以上の追及はなく、二人はハンターギルドへと歩を進めていく。
やがて、ギルドの建物が近づくにつれて、人通りが増えていった。とくに、バトルテクターを身にまとった男達――ハンター達の姿が目立つようになってくる。彼らは通りすがりにちらりと視線を向け、何気ないふりを装いながら、確実にサヤを目で追っていた。
「……それにしても、先ほどからすれ違う男達が皆、お前に視線を向けてくるな。お前はもしかして有名人なのか?」
「私みたいな女子高生がハンターをやってるのが珍しいだけよ」
「女子高生?」
オウム返ししてくるブレイドに、サヤは困り顔を浮かべる。
「あー、異世界に女子高生はいないか。……んー、学校くらいはあるよね。ようするに、学校に通いながらハンターをやってるってこと。しかも、私が女だから、みんなそれを珍しがってるのよ」
「……なるほど。お前は学びながら働いてるということか。……そうか、苦労しているんだな」
なにか勘違いされたような気もしたが、サヤはとりあえずそのことは横に置いておくことにした。それよりも、彼女には気になることがあった。
「……ちょっと、私のことを『お前』呼ばわりするのはやめてくれない? 『お前』って言われるの、なんかイヤなんだけど」
サヤは少し不機嫌そうに口を尖らせた。
「そうは言うが、お前の名前をまだ聞いていないんだが……」
「あ……」
その一言に、サヤの足が止まる。
思い返せば、ブレイドは自分の名を名乗っていたのに、サヤ自身は一度として自分の名前を名乗っていなかった。
「そうだったわね……ごめん。――私はサヤ。ユウキ・サヤ。ハンターギルド所属のAランクハンターよ」
「わかった。次からはサヤと呼ぶことにする」
その真っすぐな物言いに、サヤは一瞬、視線を逸らした。
急に名前で呼ばれたことに、くすぐったさと照れくささが同時にこみ上げてくる。
「……そう呼びたいのなら、それでいいわ」
照れ隠しのようにそう返すと、サヤは足早に歩き出した。背中越しに顔を見られないことを幸いに、ギルドの建物へとまっすぐ向かう。
ブレイドは、そんな彼女の様子を不思議そうに見つめながらも、黙ってその後に続いた。
重厚な門をくぐり、二人はハンターギルドの施設内へと足を踏み入れる。
玄関ホールを抜けると、空間は一気に広がった。天井の高いロビーには、数人のハンター達がたむろしており、その奥、カウンターの向こうでは、一人の女性がこちらに向けて手を振っていた。
「サヤさん! ボス討伐、お疲れ様でした!」
白い制服に身を包んだ、明るいブラウンの長髪の受付嬢――アカリが、朗らかな笑顔で声を弾ませる。その明るく張りのある声は、広々としたホールに心地よく響いた。
アカリは、肩にかかるほどの柔らかな髪を軽やかに揺らしながら、快活に手を振っている。大きな瞳は生き生きと輝き、誰に対しても分け隔てなく笑顔を向けるその姿勢は、ギルド内でも評判が高かった。
彼女が身につけている制服は、ギルドの公式なものとはいえ、どこか遊び心を感じさせた。清潔感のある白を基調としたブラウスはややフィット感があり、動くたびに身体のラインをさりげなく強調する。胸元は控えめな開きだが、ふとした動作でわずかに谷間が覗くこともある。首元に結ばれた薄いピンクのリボンタイが、可憐な印象を添えていた。
スカートは膝上丈で切り揃えられており、立ち居振る舞いによってちらりと脚がのぞくこともある。だが、不思議といやらしさを感じさせないのは、アカリ自身が持つ柔らかな雰囲気と、気品ある所作ゆえだろう。
そんなギルドの受付嬢であるアカリは、サヤが最も親しくしているギルドスタッフの一人だった。
サヤは足早に彼女の前まで移動すると、声を潜めて尋ねる。
「アカリさん、どうしてボスのことを知っているんですか!?」
「サヤさんがダンジョン最下層でボスモンスターをスキャンしたことは、スマホからの情報で確認できています。そして、その後にダンジョン内からボスモンスターの反応が消えたのも、ギルドが外部から観測済みですよ」
アカリはいつもの調子で、笑顔のまま事もなげにそう告げた。
(そうだった……。スマホの情報って、ハンターギルドに全部筒抜けなんだった)
わかっていたはずなのに、不意を突かれたような気がした。思わず額を押さえたくなる衝動をこらえ、サヤはぎこちなく笑みを浮かべる。胸の奥に、じわりと後ろめたい気持ちが湧いてきた。
それも無理はない。なにしろ、あのボスモンスターを倒したのは、サヤではない。本当の功労者は、隣にいる男――ブレイドだ。
(私の手柄じゃないのに……困ったな)
誤解されて当然の状況だった。しかし、それを否定すれば、当然「じゃあ誰が倒したのか?」という話になる。
ハンターでもない人間が、危険度Sのボスを、たった一人で、一撃で倒した――そんな話、誰が信じてくれるというのか。
それに、本当のことを話して、ブレイドが「異世界の勇者」であることが世間に知られれば――さすがに人体実験まではないとしても、身柄を拘束される恐れは十分にある。彼に借りを作ったままのサヤとしては、言葉を飲み込むしかなかった。
「ところで、そちらのかたは?」
アカリがふいに視線を向けたのは、サヤの隣に静かに立っているブレイドだった。彼女の声は相変わらず明るく、好奇心を隠そうともしない。
「えっと……その、ダンジョンの中で会ったんだけど……」
まだブレイドの紹介の仕方がまとまらないサヤが口ごもりながら答えると、アカリの目がぱっと輝いた。
「まぁ!? ダンジョンに取り込まれていた一般のかたを保護して、さらにボスモンスターを討伐したってことですか!? しかも、お一人で!? すごいじゃないですか!」
「いや、ちが――」
慌てて否定しかけたその瞬間、黙っていたブレイドが口を開いた。
「ああ、サヤのおかげで助かった」
「ちょっと! 余計なことを言わないでよ! ボス討伐のこと、勘違いされちゃうじゃないの!」
「いいじゃないか。誰が倒したかなんて些細な問題だ。おい、女。ボスを倒したのは、このサヤだ。褒美に、冒険者ランクでも上げてやってくれ」
勝手なことを図々しく頼むその態度に、サヤは思わず言葉を詰まらせる。
「冒険者ランク? ……ああ、ハンターランクのことですね」
アカリはくすりと笑い、うなずいた。
「私の裁量で決められることではありませんが、今回の功績はしっかり報告に上がります。ランク更新の際には、きっと評価されますよ」
その言葉に、ブレイドは満足そうにうなずき、サヤの方を向いた。
「――だそうだ、よかったな、サヤ」
「……別に、ちっともよくないわよ」
サヤは困ったように深くため息をついた。