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第6話 ホテルの部屋と異世界勇者

 ブレイドは、巨大な建物の前で足を止めた。

 10階建ての近代的なホテルは、夜の街灯に照らされて静かに佇んでいる。冷たいコンクリートの外壁には、無数の窓が整然と並び、その様はまさに都市文明の象徴のようでもあった。

 彼は無言で見上げ、目を細める。


「……これが、ホテルか。窓の数だけ部屋があるというのだろう? なるほど、これなら同室にする必要もなさそうだな」

「ふふっ、驚いた? この世界の技術、すごいでしょ? 私が作ったわけじゃないけど、この世界の人間として、なんだか勝った気がしてくるわ」


 得意げに胸を張るサヤは、スマホを手際よく操作し、スッと画面をブレイドに見せた。


「はい、手続き完了。あなたの部屋は私の部屋の隣にしておいたから、案内してあげるわ。……あ、費用はブレイドの取り分の1000万円から引いておくからね」

「……この世界の金の価値は、まだよくわからん。とりあえず、サヤに任せる」

「あなたの分も一旦私の口座に入れちゃってるけど、ちょろまかすつもりはないから安心して。それじゃあ、行きましょ」


 ブレイドは素直にうなずき、サヤのあとに続いた。




 ホテルの廊下は静まり返り、柔らかなカーペットが足音を吸い込んでいく。

 サヤはフロントで受け取ったカードキーを手に、ある一室の前で立ち止まった。


「ここがブレイドの部屋よ」


 電子音とともにドアが開き、室内の灯りが自動で灯る。

 中には清潔感のあるベッド、シンプルながらも温かみのある照明、壁際にはテレビと小さなデスクが並んでいた。窓の向こうには、ビル群の灯りが滲んだように広がっている。

 ブレイドは一歩中へ入り、静かに辺りを見渡した。


「整っていて、清潔感のあるよい部屋だ」


 その声音には、簡素な言葉以上の素直な感動が滲んでいた。

 サヤは満足げに微笑み、ブレイドの袖を軽く引く。


「ふふっ、気に入った? でも、驚くのはこれからよ。こっちに来て。いいものを見せてあげるわ」


 サヤはブレイドを連れ、バスルームの扉を開いた。

 内装は白とピンクを基調としたモダンなデザイン。光沢のある壁、ステンレスの蛇口、大きなバスタブ。清掃の行き届いた浴室は、まるでモデルルームのように整っている。


「いい? このレバーをこうやって上げると――」


 そう言って、サヤは蛇口のレバーに手をかける。

 金属が擦れる乾いた音が鳴り、水流が生まれる。やがて温かな湯気を伴ってお湯が勢いよく吹き出した。


「ほら、お湯が出るのよ。このままバスタブに溜めれば、ゆっくり浸かって温まれるんだから。……どう? すごいでしょ?」


 サヤは自信満々に笑顔を向けた――が、ブレイドの反応は、予想と少し違っていた。


「ふむ……なかなか手間がかかるな」

「……え?」


 思わず拍子抜けしたサヤの声が漏れる。

 ブレイドは腕を組み、蛇口から流れ出るお湯をじっと見つめながら言った。


「水魔法と火魔法を組み合わせれば、湯などいくらでも生み出せる。こんな細い筒から、ちまちまと湯を出すのでは、浴槽を満たすのにも時間がかかるだろう。魔法なら、一度にもっと大量に作れるというのに」

「……私が発明したわけじゃないけど、なんだかムカつくわね」


 サヤはぶすっと唇を尖らせた。だが、すぐに何かを思いついたように目を細め、ぱしっとブレイドの腕をつかんだ。


「……わかったわ。じゃあ次、こっち!」


 勢いそのままに手を引かれ、ブレイドは呆気にとられながら引きずられていく。

 たどり着いたのは、バスルームとは別に設けられたトイレの個室だった。

 白を基調とした清潔な空間。その奥には、まるでオブジェのような丸みを帯びた便器が鎮座している。

 ブレイドは開かれた扉の前に立ち、フタの閉じた便器を凝視した。


「……なんだ、この白い造形物は? 美術品か、あるいは神具の類か?」

「ふふふっ、違う違う。これはね、トイレの便器なんだよ」

「なんと……! この清潔感と優美さを兼ね備えた造形物が、便器だと……?」


 驚愕と畏敬の入り混じったブレイドの声に、サヤはようやく思い描いていたリアクションを得られたと、内心でガッツポーズを決める。


「なかなかいい反応じゃない。そうでなくっちゃね。それじゃあ、ちょっとその便器に近づいてみて?」

「ん? ……こうか?」


 素直に一歩踏み出したブレイドの足元で、ピピッと控えめな電子音が鳴った。次いで、ウィーンという機械音とともに、便座のフタがゆっくりと自動で開いていく。


「どう? 近づくだけでセンサーが反応して、自動で開くのよ?」


 胸を張って誇らしげに言うサヤ。しかし、ブレイドの表情はどこか腑に落ちない様子だった。


「……ふむ。自動魔法の一種か? だが……これは本当に必要なのか? 自分で開けた方が早い気がするぞ?」

「……悔しいけど、反論できないわね。でも、まぁいいわ。自動開閉機能はただの前座。本命はこっちよ」


 サヤはいたずらっ子のような笑みを浮かべ、便器の横に設置された操作パネルを指差した。そして、そこにある「お尻洗浄」のボタンに指を添え、にやりとブレイドに視線を送る。


「いい? ズボンを脱いで、便座にちゃんと座ってから、このボタンを押してみて」

「……押した瞬間、トラップが発動して爆発するようなことはないだろうな?」

「ないわよ! どこの世界にそんな危険なトイレがあるっていうの!」


 サヤがぴしゃりとツッコミを入れると、ブレイドは素直に「そうか」とうなずいた。――そして、ごく自然な動作で腰に手をかけ、ズボンを脱ごうとする。


「ちょ、ちょっと待って!? 何をするつもり!?」


 サヤが慌てて制止すると、ブレイドはきょとんとした顔でサヤを見た。


「いや……サヤが言った通りに、ズボンを脱ごうと……」

「だからって、私の目の前で脱がないでよ!」


 サヤの声が裏返り、顔がみるみる赤く染まっていく。


「もう! 私はトイレから出てるから、一人になってからやって!」


 顔を両手で覆いながら叫び、くるりと背を向けると、サヤは慌ただしくトイレの外へ飛び出した。

 バタンと勢いよく閉じたドアに背を預け、サヤは荒く息を吐き出す。

 胸の奥では、どくんどくんと鼓動が騒がしく響いていた。

 彼女は顔を隠していた両手をゆっくりと下ろし、胸元に手を当てる。


(……ホント、何なのよ、あの男は!)


 顔を赤らめたサヤは、自分を落ち着かせるように大きく息を吸った。


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