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第8話 私服のサヤと勇者のこれから

 ブレイドがホテルの部屋で一夜を明かし、静かに朝を迎えた。

 カーテンの隙間から差し込む光が柔らかく室内を照らす。昨夜は一度帰宅していたサヤが、再びブレイドの部屋を訪れ、向かい合っていた。

 空調の微かなうなり声だけが響く室内で、サヤはベッドの端に腰を下ろし、ブレイドは窓際の椅子に座っている。

 ブレイドの姿は昨日と変わらない。

 黒のインナーと細身のパンツが引き締まった身体のラインを際立たせ、その上に羽織った漆黒の外套が存在感を強調している。外套の下には銀色の胸当てが隠されており、まるで中世の騎士を思わせた。日常の朝の光景にはやや場違いだが、替えの服がない彼にとってはごく自然な格好だった。

 一方のサヤは、昨日のセーラー服にバトルテクターという姿とは打って変わっていた。

 淡いミントグリーンのワンピースに身を包み、ふんわりと広がるスカートは膝下まで柔らかく揺れる。肩先を覆う薄いシフォンの袖はわずかに透け、そこから覗く白い肌はどこか神秘的ですらあった。

 黒髪は変わらずツインテールだが、今日は緩めに結ばれ、揺れるリボンが愛らしさを添えている。

 足元には白いニーソックス。清楚さを際立たせつつ、すらりと伸びた脚線にほんのりと色気を漂わせる。

 そんなサヤを、ブレイドはただ無言で見つめていた。

 どこか不思議そうな眼差しで、何かを観察するように、あるいは見慣れぬものに見入るように――


「……ちょっと、何よ、さっきからじろじろ見て」


 サヤはわずかに頬を染め、少し拗ねたように口を尖らせた。その視線には探るような色が混じっていた。


「……もしかして、似合ってないとか?」


 不安を隠せずつぶやくサヤは、スカートの裾を指でそっと摘まみ、落ち着きなく布を弄ぶ。少女らしい繊細な心の揺れが、その仕草から透けて見えた。

 そんな彼女に、ブレイドはゆっくりと首を振りながら、静かに答える。


「いや……昨日も思ったが、サヤはそういうヒラヒラした服を着るんだなと思ってな」

「……どういう意味よ、それ」


 似合っていないと遠回しに言われた気がして、サヤの眉が吊り上がる。


「俺のいた世界では、前線に立つ女はたいていビキニアーマーのような装備をしていた。だからサヤの格好が意外でな」

「……ビキニアーマー?」


 サヤは思わず聞き返した。ゲームやアニメの中でしか聞いたことのない単語に目を瞬かせる。


「異世界の女の人って、本当にそんなの着てるの? あれって全然防御できてないじゃない。危なくないの? 私達のようにネガフィールドで守られているなら、そういうのもアリなんでしょうけど」

「ネガフィールドというのはよくわからんが……たとえば、石化やゾンビ化したとき、ビキニアーマーならすぐ女だと判別できる。冒険者は男が多いから、女だとわかれば優先的に回復してもらえる。だから、万が一の時に備えてそういう装備していると、俺の知り合いの女戦士は言っていた」


 淡々と語るブレイドに、サヤはぽかんと口を開け――次の瞬間、吹き出しそうになった。


「……なにそれ……合理的なのか、非合理的なのか、全然わかんない……!」


 うつむいて顔を隠しながら、サヤは肩を揺らした。

 異世界というだけあって、文化も価値観も、想像を超えていた。どちらが上とか下とかはもはや考えないが、単純にそのギャップが可笑しくて、つい笑ってしまう。


「それに、肌に傷がついてもどうせ回復魔法で治せるから、細かいことは気にしないとも言っていたな」

「……異世界の女の人って、強いというか、割り切っているというか……なかなか逞しいんだね」


 サヤは肩をすくめ、呆れと感心の入り混じったため息を漏らした。

 ツインテールの先がふわりと揺れ、白のニーソックスに包まれた足を揃えながら、ふと目線を上げる。


「昨日のは制服で、学校では女子はみんなあのセーラー服を着てるの。ハンター活動は特例で授業の出席扱いになるから、制服は必須。でも今日は休みだから……」


 恥じらうように言葉を添えると、ブレイドはうなずいた。


「そうか。昨日の制服も可愛らしかったが、今日の服もよく似合っているぞ」

「――――!?」


 まっすぐに返された言葉に、サヤは息を呑む。

 心臓が跳ねる音が、彼に聞こえてしまう気がして慌てて視線を逸らした。

 何か感想を言って欲しいとは思っていたが、ここまでストレートに褒められるとは思っていなかった。

 どうにも気持ちのやり場がなく、頬を染めてツインテールを指先でいじりながら、わざと明るい声で話題を変える。


「そ、そういうのはいいから! それより……今日はさ、ブレイドの今後のことをちゃんと話さなきゃ」


 サヤは自分を落ち着かせるように深呼吸して、改めてブレイドに向き直った。


「……それで、ブレイドはこれからどうするつもり? 元の世界に戻る方法を探すっていうのなら、協力はするつもりだけど?」


 その言葉は、義務感からではなかった。危機を救われた恩を返すためだけでもなかった。そこには微かに――けれど確かに、彼女自身も気づかぬ想いがにじんでいた。

 対するブレイドは、しばし天井を仰ぎ、やがて静かに首を振る。


「……いや。魔王がいない今、元の世界に戻ったところで、俺の居場所はない。それに、また神官どもにほかの異世界に転移させられるのがオチだろう」


 どこか遠くを見るようなその目には、皮肉とともに諦めにも似た感慨が漂っていた。しかし、不思議とそこに悲壮感はない。むしろ、肩の荷を下ろしたような穏やかさがそこにあった。


「……勇者って、なかなか大変なのね」

「まぁ、こういうのも含めて勇者の宿命ってやつだ」


 さらりと答えるブレイドの声には、己の運命を受け入れた者だけが持つ静かな強さがあった。

 短い沈黙のあと、サヤは再び真剣な瞳を向ける。


「……じゃあ、元の世界に戻らないのなら、これからどうするつもり?」


 考えるように目を伏せたブレイドは、やがて柔らかく口を開いた。


「こうしてこの世界でサヤと出会ったのも、何かの縁だ。迷惑でなければ、しばらくはサヤのハンターの仕事を手伝おうと思うのだが……どうだ?」


 思いがけない申し出に、サヤの瞳は一瞬、ぱっと輝いた。だがすぐに何かを思い出したように、影を落とす。


「ブレイドほどの戦力なら大歓迎――って言いたいところだけど、ダンジョンに入るにはハンター登録が必要なのよ」

「ん? だったら登録すればいいだけの話だろ? 冒険者ギルドと同じで、昨日行ったハンターギルドとやらで、あの受付嬢に頼めばすぐにできるのではないのか?」


 あっけらかんと言い放つブレイドに対し、サヤの顔はますます険しくなる。


「……あなた、個人番号を持っている?」


 唐突な質問に、ブレイドは一瞬きょとんとし、次いで眉をひそめた。


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