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第3話 選択

郵便受けに、移住案内の封筒が届いていた。

 表には「重要」「国家改造計画 関連通知 在中」と朱書きされている。だが、封筒の紙質は安く、印字は滲んでいた。重要さを強調すればするほど、逆に軽さが際立っていた。


 結城蓮はそれを開けて、台所のテーブルに黙って置いた。祖母は何も言わず、味噌汁の鍋をかき混ぜ続けていた。


 「読まないの?」

 「読んでも、うちの水道が出るようになるんかね」

 その返しに、蓮は返す言葉を見つけられなかった。


 通知には、「対象地域住民への優先移住案内」とあり、移住先の都市名と登録コードが記されていた。選べる都市は限られていた。どこも人口過密、低所得者区域、集合住宅の下層階。

 “住まわせてやる”という雰囲気が行間から滲んでいた。


 「行く?」と蓮が訊くと、祖母は味噌汁の火を止めてから言った。

 「ここが最後やけん」

 「最後って何」

 「私が死ぬ場所はここってことよ」


 それは自分を“終わらせる側”の台詞だった。

 生き残ろうとする者と、死ぬ準備をする者では、会話の速度が違う。

 蓮は黙って椅子を立った。


 町の掲示板には、移住バスの発着スケジュールが貼り出されていた。

 第一便、4月15日午前9時発。第二便、4月22日。第三便以降は未定。

 「定員に達し次第終了」と書かれている。

 席を確保できなかった者は、自力で都市へ行け、ということだった。


 蓮の同級生たちは、もうほとんどが町を出ていた。数人がグループで動画を撮り、「またいつか会おう」と言っていたが、その“いつか”は誰も保証できない。

 残っているのは高齢者と、逃げる理由を見つけられない若者だけだった。


 祖母は、蓮の分のバス申請書を代筆していた。

 「ここにサインしたら、あんたは都市で生きていける」

 「じゃあ、ばあちゃんも一緒に行こうよ」

 「わしは、もう行く必要ない」


 祖母は迷いなく言った。まるで、この町と死ぬ約束でも交わしたかのようだった。


「この町に埋めてもらうように言っといて」

「その頃、もう誰もいないよ」

「おるよ」

「誰が」

「水と、土と、音と。ここには残るもんがあるんよ」


それは、蓮には理解できない言葉だった。

 都市に行けば、水も、土も、音も──すべて整っていた。整っているはずだった。


 その夜、蓮は押し入れの中からリュックサックを引っ張り出した。

 ノートパソコン、着替え、薬、バッテリー、靴下。必要最低限のものだけを詰める。

 都市で生きるには、“余分なもの”を削ることが大事だと、テレビの専門家が言っていた。

 だが、詰めれば詰めるほど、何かがこぼれ落ちていく気がした。


 祖母の部屋の扉は閉じてあった。

 その向こうで、ラジオの電源が入ったり切れたりする音がしていた。

 電波が不安定なのか、それともスイッチを押す指が迷っているのか。

 祖母が何を聞こうとしていたのか、蓮にはわからなかった。


 朝、最初のバスがやって来た。

 白い車体。側面には「改造支援便」と書かれていた。

 支援、という言葉が人を運ぶのが、少しおかしかった。


 蓮は、リュックを背負って家を出た。祖母は玄関先に立っていたが、何も言わなかった。

 「行ってきます」と言ったのは、蓮の方だった。

 「行ってらっしゃい」と返す声は、やけに遠く聞こえた。


 バスのシートは硬く、冷たかった。

 乗っているのは老人、母子、若い夫婦、蓮のような一人きりの高校生──言葉のない乗客ばかりだった。


 車内放送が流れた。「広島政令都市 管理区域5-βに到着後、個別登録を行ってください」

 管理区域、という言葉が、着く前からすでに支配されている感じがして、蓮は目を閉じた。


 祖母の言葉が胸に残っていた。

 「この町が死ぬんは、あんたのせいやない。でも、生き残るんは、あんたの選択やけん」


 たぶん彼女は、自分の生をもう誰にも委ねていなかった。

 蓮には、まだそれができないだけだった。

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