「この都市はね、誰も救わないよ。ここにいる人たちは、全員“敗者”だってことを自覚してる。」
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奈々の足音は、異様に静かだった。
廃ビルの脇を抜け、焼け焦げたトタン屋根をくぐる。鉄の匂いと腐敗した空気が、蓮の肺を侵してくる。
「こっち」
手招きする彼女の声は、どこか“慣れている”響きをしていた。
都市の“下層”──誰も住んでいないことになっている場所。
だがそこには、確かに人がいた。
一人目の出会いは、少女だった。
十歳ほどだろうか。
蓮の足音に気づくと、慌ててポリタンクを抱えて身構えた。
彼女の背後にあったのは、手製の水浄化装置。
塩ビ管と砂利と古布、そして炭。
「お姉ちゃんが作った」と少女は言った。
その“お姉ちゃん”は寝たきりで、学校へは一度も行ったことがないという。
「汚い水、飲めば死ぬ。でも飲まなきゃ死ぬ」
その言葉が、蓮の鼓膜を刺した。
二人目は、男だった。
五十代前半、無精髭と白衣。
薄暗い地下の一角で、診療所をやっていた。
だが表札はない。
医師免許も、設備も、記録もない。
「国に登録されたら、来られない人間の方が多いんだ」
「俺は“医者ごっこ”だよ。やってるのは、そういうこと」
診察台には、骨が浮き出た少年が横たわっていた。
都市が配布する栄養食品を“もらえなかった”子ども。
フードポイントの申請に失敗しただけで、医療は止まる。
三人目は、音だった。
トン、トン、カシャッ──。
リズムよく響く金属音。
廃材を組み合わせ、何かを縫う手つき。
そこにいたのは、少年と少女、そして古いミシンだった。
「布がないからさ、車のシートとか使ってるんだ」
少年は誇らしげに言った。
できあがった服は、どれも奇抜で、どこか美しかった。
彼らは“人間としての証”を、布で繋いでいたのかもしれない。
奈々がぽつりと呟いた。
「ここにいる人たち、みんな“都市が壊れてる”なんて思ってないよ」
「だって、最初から自分たちは“外”だったから」
蓮は答えられなかった。
都市は壊れていなかった。むしろ完璧に機能していた。
ただ、それは“選ばれた者”のための機能であって、
命を守るためのものではなかった。
蓮は夜の街に立ち尽くす。
高層ビルの明かりが、遠くでチカチカと瞬く。
だがここには電気も水も、名前すらない人々がいる。
「国は都市に資源を集中させた」
「でも、都市は……人を救うためじゃなく、
自分を維持するためだけに動いているんじゃないか?」
その言葉を、口には出さなかった。
ただ胸の奥に、静かに沈めた。
奈々が振り返り、低く笑う。
「ようこそ、都市の“本当の姿”へ」
その笑みは、あまりに大人びていて、
蓮の背筋を、冷たいものが這い上がった。