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第9話 都市は救わない


「この都市はね、誰も救わないよ。ここにいる人たちは、全員“敗者”だってことを自覚してる。」



奈々の足音は、異様に静かだった。

廃ビルの脇を抜け、焼け焦げたトタン屋根をくぐる。鉄の匂いと腐敗した空気が、蓮の肺を侵してくる。


「こっち」


手招きする彼女の声は、どこか“慣れている”響きをしていた。

都市の“下層”──誰も住んでいないことになっている場所。

だがそこには、確かに人がいた。


一人目の出会いは、少女だった。

十歳ほどだろうか。

蓮の足音に気づくと、慌ててポリタンクを抱えて身構えた。

彼女の背後にあったのは、手製の水浄化装置。

塩ビ管と砂利と古布、そして炭。


「お姉ちゃんが作った」と少女は言った。

その“お姉ちゃん”は寝たきりで、学校へは一度も行ったことがないという。


「汚い水、飲めば死ぬ。でも飲まなきゃ死ぬ」


その言葉が、蓮の鼓膜を刺した。


二人目は、男だった。

五十代前半、無精髭と白衣。

薄暗い地下の一角で、診療所をやっていた。

だが表札はない。

医師免許も、設備も、記録もない。


「国に登録されたら、来られない人間の方が多いんだ」

「俺は“医者ごっこ”だよ。やってるのは、そういうこと」


診察台には、骨が浮き出た少年が横たわっていた。

都市が配布する栄養食品を“もらえなかった”子ども。

フードポイントの申請に失敗しただけで、医療は止まる。


三人目は、音だった。


トン、トン、カシャッ──。

リズムよく響く金属音。

廃材を組み合わせ、何かを縫う手つき。

そこにいたのは、少年と少女、そして古いミシンだった。


「布がないからさ、車のシートとか使ってるんだ」


少年は誇らしげに言った。

できあがった服は、どれも奇抜で、どこか美しかった。

彼らは“人間としての証”を、布で繋いでいたのかもしれない。


奈々がぽつりと呟いた。


「ここにいる人たち、みんな“都市が壊れてる”なんて思ってないよ」

「だって、最初から自分たちは“外”だったから」


蓮は答えられなかった。

都市は壊れていなかった。むしろ完璧に機能していた。

ただ、それは“選ばれた者”のための機能であって、

命を守るためのものではなかった。


蓮は夜の街に立ち尽くす。

高層ビルの明かりが、遠くでチカチカと瞬く。

だがここには電気も水も、名前すらない人々がいる。


「国は都市に資源を集中させた」

「でも、都市は……人を救うためじゃなく、

 自分を維持するためだけに動いているんじゃないか?」


その言葉を、口には出さなかった。

ただ胸の奥に、静かに沈めた。


奈々が振り返り、低く笑う。


「ようこそ、都市の“本当の姿”へ」


その笑みは、あまりに大人びていて、

蓮の背筋を、冷たいものが這い上がった。

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