じり、じり、と。
脳髄を直接焼くかのような|蝉時雨が、窓の外から絶え間なく降り注いでいる。熱を帯びた空気にチョークの粉が混じり合い、汗ばんだ腕が机のニスに張り付く。思考も、身体も、教室に澱むこの気怠さの中にゆっくりと溶けていく。
あぁ……暑い。
ほんとうに、この季節は嫌いだ。
机の上に突伏し、意識を飛ばしかけていた俺の頭上に、不意にいくつかの影が落ちた。
「
汗を光らせたサッカー部の主将の声。それに被さるように、別の声が響く。
「おい! この間も浅生に来てもらっただろ! 今日はうちの練習試合だ、こっちが先約だ!」
野球部の主将が、俺という駒を挟んで睨み合っている。
「頼むって! 野球部も大変なのは分かるけど、こっちはマジで人が足りてないんだ! キーパーが熱中症で倒れたんだよ!」
サッカー部主将の切実な声に、野球部の主将がぐっと言葉を詰まらせる。
「……ったく、しょうがねぇな。今回だけだからな」
「サンキュ!! 助かる!」
その熱量が、この茹だるような暑さの中で、ひどく億劫だった。
「……おい。俺の意思はどこにいったんだ」
俺が気怠く顔を上げると、二人が悪びれもなく笑った。
「お前はいつも気だるそうだけど、なんだかんだ言って、最後は手伝ってくれるからな」
「そうそう!」
はぁ……。返す言葉もない。
期待されることの面倒さと、それを断れない自分の
「……わかったよ。サッカー部な?」
「おう! 頼むぜ!」
嵐のように、二人は去っていった。その喧騒が消えた机の前に、ひょっこりと智哉が顔を出す。
「相変わらず人気者だねぇ、輝流は」
「……うるさいぞ。誰もこんな人気は望んじゃいない。
「まぁまぁ、いいじゃねぇか! じゃ、俺は先に帰るんで!」
「おい、帰宅部」
俺は、帰ろうとする智哉の肩を掴んだ。
「お前も来いよ。体力作りのいい機会だろ?」
すると智哉は、まるで世界の終わりでも見るかのような顔で、ぶんぶんと首を横に振った。
「馬鹿野郎! 俺が応援なんて行ったら、呪いでチームを大敗させるぜ!?」
胸を張って言うことではない。だが、本当に有り得そうなのが、こいつの恐ろしいところだ。絶望を知り尽くしたその面構えが、違う。
「はぁ……。お前じゃ戦力にならないか」
「おい! 言葉を選べ! 言葉を!!」
「……下手くそ、だったもんな」
「……!!」
立ち上がった俺の背中に、智哉がぽつりと呟いた。
「右足、気をつけろよ」
「……おう」
その言葉に、右足の古傷が、一瞬だけ
***
結果から言えば、俺はグラウンドを駆け、相手チームから二点を奪った。
身体が憶えている。ボールを支配する感覚。敵を抜き去る瞬間の高揚。だが、心のどこかで、ひどく冷めている自分がいる。
それが決定打となり、俺がかつて所属していたチームは、無事に勝利を収めた。
「ひゅー! 流石だな、浅生!」
チームメイトたちが肩を叩いてくる。その熱気が、どこか他人事のように感じられた。汗を拭い、俺はさっさと帰る準備を始める。
「おい! 勝ったんだから打ち上げ行くぞ! お前も主役だろ!」
主将が快活に笑いながら、俺の腕を掴んだ。
「……、悪いけどパス。俺はもう、サッカー部じゃないからな」
俺の言葉に、周囲の喧騒が一瞬だけ、ぴたりと止まる。掴まれた腕を、そっと振り払った。
気まずい沈黙の中、主将が真剣な眼差しを向けてくる。
「……浅生。お前の場所は、いつでも残ってる。気が向いたら……帰ってこいよ」
「ああ。気が、向いたらな」
その言葉に永遠に来ない未来の色を乗せて、俺は一人、過去になったはずのグラウンドを後にした。
***
日が落ち切った田舎道は、驚くほど闇が深い。等間隔に並ぶ街灯も、その光は弱々しく、まるで闇に喰われかけているかのようだ。
道端に、ぽつんと自販機が佇んでいる。その蛍光灯が、ちか、ちか、と不規則に点滅を繰り返していた。
不意に、視線を感じた。
まるで闇に縫い付けられるような、粘つくような感覚。
俺は、ゆっくりと後ろを振り返る。
なんだ、あれは。
道の向こう、街灯の頼りない光の中に、|赤い服を着た女が、じっと、こちらを見ている。遠いはずなのに、その顔の凹凸までが見えるような、異常な感覚。
俺は
こつ……
べちゃ……
すぐ後ろから、水に濡れた裸足で地面を擦るような、湿った水音が聞こえる。まるで、水底から上がってきたばかりのような。
俺が一歩進むと、その|足音も、同じ間隔で、一つ響く。
こつ……
べちゃ……
こつ……
べちゃ……
俺は、足を止めた。
すると、背後の水音も、ぴたりと止まる。
(……もしかして、これがいわゆる、幽霊ってやつか?)
恐怖は、なかった。
むしろ、この
心の底で、冷たい興奮が、静かに芽生えるのを感じていた。
変質者か、本物の怪異か。
どちらにせよ──。
口の端が、勝手に吊り上がるのを感じた。