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第12話 閉ざされた扉


俺は、目の前にある古びた玄関のドアノブに手をかけた。ひやりとした、錆の浮いた鉄の感触。

どうせ開かないだろう、という予感はあった。力を込めて捻り、引く。が、がちり、と硬い感触が手に伝わるだけで、扉はびくともしない。


「……まあ、そうだよな」


左腕に、穂乃果の指が食い込むのを感じる。ほとんど全体重を預けられているせいで、少し動きにくいな。


「裏手を見てみるか」


「うん…」


家の側面に回り込み、生い茂った雑草をかき分ける。建物の影になった場所は、ひどく空気が湿っていた。

裏庭へ抜けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。

裏庭の、朽ちかけた縁側の下。そこに、黒く変色した染みが、べったりとこびりついていた。まるで、何か大きな獣でも引きずったかのような、おびただしい量の痕跡。


「なんだ、これは…」


声が、掠れた。隣で、穂乃果が俺の顔を不安そうに見上げる。


「ど、どうしたの…? 何か見えるの…?」


その言葉に、はっとする。俺の視線を追う穂乃果の瞳には、ただの不審だけが浮かんでいる。

……まさか。この、おびただしい量の血痕が、こいつには見えていない、というのか?


「……いや、なんでもない」


今余計な事を言っても、こいつを不安にさせるだけだ。そう考えた俺はかぶりを振ると、その禍々しい痕跡から目を逸らし、穂乃果の腕を引いて再び玄関へと戻った。裏手の窓も、雨戸が固く閉ざされていて入れそうになかった。


「やっぱり、戸締りくらいはしてるよな…」


「うん……管理してる人がいるんだろうしね…」


穂乃果がそう呟き、諦めの空気が漂った、その時だった。


──カチャリ。


乾いた金属音が、やけにクリアに響いた。二人同時に、音のした玄関の方を振り返る。


「今の音は……?」


「…げ、玄関……だよね」


「ああ、見てみよう」


穂乃果がごくりと喉を鳴らす。俺は、まるで何かに引き寄せられるように玄関へ歩み寄ると、もう一度、冷たいドアノブに手をかけた。

さっきと同じように、捻って、引く。

すると、


キィィィィン……


今までが嘘のように、重く、軋むような音を立てて、扉がゆっくりと開いた。

中から、黴と埃が混じった、淀んだ空気がどっと溢れ出す。

おかしい。さっきまで、間違いなく鍵は閉まっていた。それは確かだ。

それなのに、あの音が鳴った後、扉は開いた。


まるで、家の主が鍵を開けて、俺たちを招き入れたかのようだった。…歓迎、されているとは思えなかったが。


「嘘でしょ…こ、こんなことってありえるの…?」


穂乃果の表情が、恐怖に歪む。当然だろう。俺だって、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。

恐怖に疎い俺でも、この場がおかしいのは十分な程に理解できた。


「穂乃果。本当に、無理しなくていいんだぞ」


「で、でも…」


開かれた扉の奥、全てを呑み込むような暗闇を前に、穂乃果の足は竦んでいる。ここ数日で、あまりに多くの非日常を体験しすぎた。無理もない。


「俺としては…お前に無理される方が、心配だ」


数秒、穂乃果は考えを巡らせるような様子を見せる。


「……ううん。やっぱり、私も輝流と一緒に行く」


穂乃果はそう言うと、覚悟を決めたように、扉の闇を睨み返した。

相手が幽霊や人外の類なら、俺にできることは少ないかもしれない。だが、こいつ一人のことくらいは……出来るだろう。

俺は、左腕に絡みつく穂乃果の指を強く握り返すと、その家の中へと足を踏み入れた。


***


家の中は、異様な匂いで満ちていた。鉄錆の匂いと、湿った土が腐ったような匂い。今まで嗅いだことのない、鼻の奥を刺すような悪臭が漂っている。

その時だった。


ドンッ!!


背後で、重く、何かが打ち付けられるような音。


「えっ…!?」


穂乃果が悲鳴を上げて振り返る。俺たちの入ってきた玄関の扉が、固く閉ざされていた。

穂乃果が焦ってドアノブをガチャガチャと回し、扉を押す。


「輝流!! ど、どうしよう!! 開かない!」


俺も扉に手をかけ、鍵の状態を確認する。鍵穴に鍵はない。だが、


「ふっ…!」


全体重をかけても、扉はまるで壁の一部になったかのように、びくともしなかった。


「おらぁっ!!」


ドンッ!!!


肩から、渾身のタックルを叩き込む。しかし、返ってきたのは鈍い衝撃と、軋みひとつ立てない扉の沈黙だけだった。

まるで、入ったからには決して出すものか、と。家そのものに拒絶されているような、そんな気さえした。


「ど、どうしよう輝流…!」


「落ち着け、穂乃果」


パニックになりかける穂乃果の両肩を掴み、無理やり目線を合わせる。


「裏の窓を破れば出られる。完全に塞がれたわけじゃない」


蹴るなり、家具を使うなりすれば、出れない事はないだろう。


「う、うん…!」


俺は、自分自身に言い聞かせるように、そう告げた。

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