翌日。
じりじりと照りつける太陽が、アスファルトを白く光らせる。教室の窓から吹き込んでくる風は熱を帯びて、昨日までの出来事がまるで遠い夢だったかのように、退屈な日常を運んできた。
昼休み、俺たちは、三人で屋上にいた。
金網のフェンスに寄りかかりながら、買ってきたパンを齧る。目の前では、まだ少しだけ顔色の悪い智哉が、必死に焼きそばパンを頬張っていた。
「……で、マジで大丈夫なのか? お前」
「お、おう! もうへっちゃらだって! 昨日一日寝たら、スッキリしたぜ!」
空元気なのは、見え見えだった。だが、無理にでもそう振る舞おうとするのが、こいつのいいところでもある。
俺は、昨夜の出来事を、掻い摘んで智哉に話して聞かせた。廃墟で見つけた日記のこと。婚約指輪の在処。そして、秋崎叶さんの魂を、俺たちが解放したことを。
話が進むにつれて、智哉の口の動きが止まっていく。やがて、あんぐりと口を開けたまま、焼きそばパンを持つ手も忘れて、俺と穂乃果の顔を交互に見つめた。
「まじかよ……。それで、輝流と穂乃果ちゃんは、二人きりで、あの赤い服の女を成仏させたってのか……」
智哉は、信じられない、といった様子で呟いた。
「ああ。話してみれば、ただ悲しんでるだけの人だった。やっぱり幽霊は、ただ怖いだけのものじゃない。俺はそう思ったな」
俺がそう言うと、隣に立つ穂乃果が、どこか遠い目をして、苦笑いを浮かべた。
「私は…まだ輝流みたいに割り切れないけど…うん。忘れられない思い出には、なったかも……」
その言葉に、智哉が悔しそうに唇を噛む。
「なんか……俺がダウンしてる間に、そんな大事になってるなんてな……」
俯いてしまった智哉の肩を、俺は軽く叩いた。
「お前が気を失ってくれたおかげで、逆にスイッチが入ったようなもんだ。」
「そ、そうか…? なら、いいんだけどよ…」
そうだ。だからこそ、話さなければならない。
「智哉。お前に、相談したいことがある」
「へ?」
「昨日、秋崎叶さんの家で見つけた本に、気になることが書いてあったんだ。…ある神様のことだ」
「神様…」と智哉が呟いた途端、屋上の空気が少しだけ重くなった気がした。
俺は、慎重に言葉を選ぶ。
「なあ、智哉。お前んちも、この町じゃ一番の古株だろ。昔、この神鳴山に『山坐神(やまいますかみ)』って呼ばれてた、慈悲深い守り神がいたって話、聞いたことあるか?」
「やまいますかみ…?」
智哉は、首を捻った。
「いや…初耳だな、そんな名前。俺がじいちゃんから聞かされてたのは、そんな優しい神様じゃねえよ。むしろ、絶対に近づいちゃいけねえ、ヤベェやつがいるって話だけだ」
「ヤベェやつ…?」
「ああ。なんでも、無数の顔を持ってて、一度でも目ぇ合わせたら攫われる、とかなんとか…。確か、じいちゃんはそいつのこと、こう呼んでたな。『百貌様(ひゃくぼうさま)』って」
その言葉を聞いた瞬間、隣にいた穂乃果が、息を呑んで、きゅっと唇を結んだのが分かった。だが、彼女は何も言わなかった。
「百の貌(かお)の神様、か…」と俺が呟く。
「俺たちが読んだ、慈悲深い守り神とは、まるで正反対だな。全く別の神様なのか、それとも…」
俺がそこまで言うと、智哉は「うーん」と唸りながら、困ったように頭を掻いた。
「わりぃ、輝流。そこまでは、俺も全然…。爺ちゃんも、ただ『怖い神様だから近づくな』の一点張りで、詳しいことは何も…」
だが、智哉は何かを思いついたように、顔を上げた。
「でも、親父なら、何か知ってるかもしれねえ。うちの親父、ああ見えて、町の歴史とか、昔話とか好きなんだよ」
「…本当か?」
「おう! 今日の帰り、早速聞いてみるよ! 俺がダウンしてた間の借りは、ここで返さねえとな!」
そう言って、智哉はニカッと笑った。ようやく、いつもの調子が戻ってきたらしい。
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが、気だるげに鳴り響いた。
***
放課後。俺と穂乃果は、並んで帰路についていた。
西日が長く影を伸ばし、遠くから聞こえる運動部の声が、夏の終わりの気配を運んでくる。屋上での会話の後、穂乃果はどこか考え込むように、ずっと黙ったままだった。
「ねぇ…輝流」
先に沈黙を破ったのは、穂乃果だった。
「ん?」
「昼休みさ…智哉くんの前では言えなかったんだけど…私…気がついた事があって…」
その声は、震えていた。
「智哉くんが叶さんを見たっていう時に背後にいた怪物…。それって……」
「あの時に智哉くんが話してくれた、百貌様っていう神様と…特徴が…一致してない…?」
その言葉に、腕に粟立つような悪寒が走った。
智哉を寝込ませた、山の怪物。穂乃果から又聞きしたその特徴が、脳内でフラッシュバックする。
──その身には、過去の行方不明者たちの無数の顔が、張り付いている。
まさか。
まさか、智哉が見たソレが、その恐ろしい神様だというのか…?
俺たちは、言葉を失ったまま、ただ長く伸びる自分たちの影を、踏みしめて歩いた。