あれから、数日が過ぎた。
智哉の親父さんからの返事はまだなく、俺たちの日常は、まるで何もなかったかのように過ぎていく。
今日は、学校の社会科見学で、町の郷土博物館に来ていた。
大型バスに揺られている時から騒がしかったクラスメイトたちは、解放されたように館内にはしゃぎ声を響かせている。高い天井に反響するその喧騒と、周りの浮かれた空気から、俺だけが切り離されているような感覚があった。
「うおー! 鎧、カッケー!」
「見て見て、この刀すごくない!?」
展示された武具の前で、数人の男子生徒がガラスケースを叩かんばかりの勢いで騒いでいる。
俺は、静かにそいつらの背後へと近づき、低く、けれど芯の通る声で告げた。
「…おい。ここは博物館だぞ。周りの迷惑になるから、静かにしろよ」
びくり、と肩を揺らして振り返った連中は、俺の顔を見ると、バツが悪そうに「…お、おう」と呟いて、そそくさとその場を離れていった。
「やれやれ…」
一つため息をつくと、俺は人混みを避け、館内の奥へと足を進めた。
自由時間。他の連中が土産物屋や体験コーナーへと向かう中、俺の目的は一つだけだった。
この土地の神について、何か手掛かりはないか。
脳裏には、智哉が見たという、その化け物の姿……。百貌様と呼ばれる神。その正体に、俺は言い知れぬ不安を感じていた。
やがて、俺は「郷土史・民間伝承」と書かれたコーナーにたどり着く。そこに、一つの展示パネルがあった。
> 【神鳴の地に在りし、八百万の神々】
> 古来より、ここ神鳴の地は、豊かな自然と共に、数多の神々が息づく場所として記録されている。山には山の、川には川の、森には森の神が宿り、人々はそれを時に敬い、時に畏れた。
> 中でも、人々の暮らしに深く関わったのは、荒ぶる性質を持つ神々であった。日照りが続けば山の神の怒りとし、川が氾濫すれば龍神の嘆きとした。人々は、そうした強大な自然の力を持つ神々に供物を捧げ、その怒りを鎮めることで、かろうじてこの地での営みを続けてきたのである。
> 『桜織市古文書』には、そうした荒ぶる神々の名が、いくつも記されている…。
>
俺は、その説明文を、食い入るように読んだ。
書かれているのは、人々の恐怖の対象であった、荒々しい神々の話ばかり。俺たちが叶の家で見つけた、あの慈悲深き守り神『山坐神』に関する記述は、どこにもなかった。
「…やっぱり、載ってないか」
俺は、小さく息を吐いた。何かが、意図的に歴史から消されている。そんな気さえした。
その時だった。
「ねぇ見て智哉くん。これ、なんだか智哉くんに似てない?」
「はあ!? どこがだよ! この、ずんぐりむっくりした土偶と俺が! もっとこう、シュッとしてるだろ俺は!」
すぐ近くの展示で、穂乃果と智哉がひそひそ声で言い争っている。どうやら、縄文時代のコーナーを見ていたらしい。
「えー、でもこのぼーっとした目元とか、そっくりだよ?」
「穂乃果ちゃん!?」
やれやれ、と俺は首を振った。こいつらのやり取りを見ていると、少しだけ、この退屈な日常も悪くないと思える。
俺は、まだ何か手掛かりはないかと、もう一度、展示パネルへと視線を戻した。
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【白蛇山の伝説と、嘆きの巫女】
桜織市の一隅に、今も静かに佇む白蛇山。その山には、千年の昔より、悲しき巫女の伝説が伝わっています。
古の時代、白蛇山の神は荒々しく、人々は常にその怒りを恐れ、定期的に生贄を捧げることで、かろうじて平穏を保っていました。
その悲しき風習に終止符を打ったのが、『琴音』と呼ばれるひとりの巫女でした。彼女が神前で舞った清浄なる舞い、『浄化の舞い』は、荒ぶる神の心すらも鎮め、魅了したと伝えられています。
琴音は神と交渉しました。「今後、生贄の代わりに、この舞を永久に捧げましょう」と。神はそれを、渋々ながらも承認し、里に平和が訪れました。
しかし、その平和は長くは続きませんでした。
数年後、琴音の力を見たいくつかの民の心に、「巫女を手に掛ければ、その力を奪い、神すらも意のままにできるのではないか」という、黒い野心が芽生えたのです。
そして、彼らは、神との契りの要であった巫女・琴音を殺害してしまいます。
その行いは、神の逆鱗に触れました。里は千年にも及ぶ大いなる呪いを受け、人々は永い絶望の時代を生きることとなります。
人々が罪を悔い、救いを求める中、ただ一人、姉を慕う妹の『沙月』が、その身が尽きるまで、ただひたすらに祈りを捧げ続けました。姉を殺めた人々を赦し、いつかこの地を救う者が現れることを願って。
沙月の祈りに呼応するように、やがて、一人の少女が現れます。
千年の時を経て、その地に現れた少女の手によって、永きに渡る呪いは、今から僅か二十年ほど前に、ついに終わりを迎えたのです。
人々は、千年の悲願を成就させた少女への感謝と、巫女・琴音への供養の念を込め、改めてその地を**『蛇琴村』**と呼ばれ、今は観光地となっています。
これは、千年の時を経て結ばれた、悲しくも、どこか救いのある物語です。
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「……舞で、神を鎮める…」
俺は、そのパネルから静かに目を離した。
人間の傲慢さが、平和を壊し、千年続く呪いを招いた。その結末が、つい最近、誰かによって覆された。
神と人との関わりが、時代を越えて、今の俺たちのすぐ隣にある。その事実が、妙に生々しく、胸に引っかかった。