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第20話 不思議な二人組


雑草の匂いと、夕暮れの湿った空気が、俺たちの間に重く沈んでいた。家があったはずの空間だけがぽっかりと切り取られ、世界の理がそこだけ歪んでしまったかのようだ。


呆然と立ち尽くす俺たちの表情が、ここであった出来事が冗談や見間違いなどではないと、雄弁に物語ってしまっていたのだろう。隣で息を呑む穂乃果の顔から血の気が引き、智哉が俺たちの顔を見比べて、さらに顔を青ざめさせていくのが分かった。


その、誰も言葉を発せない沈黙を破ったのは、まるで最初からそこにいたかのように自然な、穏やかな声だった。


「君達、どうしたんだい?」


振り返ると、いつの間にか、俺たちのすぐ後ろに二人の男女が立っていた。


声の主は、背の高い男だった。夕闇に溶け込みそうな黒いスーツを着こなし、その佇まいには奇妙なほどの落ち着きがある。低く、どこか陰りを帯びているのに、不思議と耳に心地よい、暖かい声だった。


隣には、快活そうな雰囲気の女性が、結い上げた茶色いポニーテールを揺らしながら、心配そうにこちらを見つめている。


「あっ……いえ……」


俺は咄嗟に言葉を濁した。この異常な状況を、どう説明すればいいのか分からない。

だが、男は何もかもお見通しだ、とでも言うように、静かな瞳で俺と穂乃果をじっと見つめると、静かにこう切り出した。


「私は、ここにあった家を定期的に様子を見に来ていてね」


その言葉に、俺の心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。全身の血が逆流するような感覚。男は、俺の動揺など意にも介さず、淡々と続ける。


「数年前に、この家は建て壊しになった筈だけど……君達は、一体どうしてここへ?」


「こ、ここにあった家に入った筈なんですけど……無くなってるんです……」


穂乃果が声を震わせてそう言うと、男は、俺たちの混乱を見透かすように、続けた。


「詳しく聞かせてくれるかな?」


俺は目の前の男を警戒しながらも、他に術がないことを悟っていた。この間のこと…確かにここに家があったこと、中を探索したこと、そして血濡れの老婆の霊がいたことを、かいつまんで話した。


俺の話を黙って聞いていた男は、静かに頷いた。


「なるほど。つまり君たちは、ここに『在ったはずのない家』を見た、と」


俺は、こくりと唾を飲み込み、頷いた。


「きっと、あの人の強い未練が現実にはない幻を創り出したのだろうね」


男は独り言のように呟き、空き地の中心に視線を向けた。


「それに……この土地は、何だか嫌な気配がする。君たちも、気をつけた方がいいよ」


その言葉が意味するものを俺の頭が理解するよりも早く、隣にいた穂乃果の理性が悲鳴を上げた。


「そ、そんな…! じゃあ、私たちがこの間見たのは、全部…!」


パニックになりかける穂乃果を見て、隣にいた女性が、呆れたように男の腕を軽く叩いた。


「あなた、もうちょっと丁寧に教えてあげないと、この子たちが混乱するだけでしょ〜!」


そして、俺たちに向き直ると、強張った空気を和らげるように、優しく微笑んだ。


「驚かせちゃってごめんね。大丈夫、君たちに危害を加えるような、悪い存在はいなかった筈だから」


(この人たちは、何だ…?)


(なぜ、数年前に壊されたはずの家のことを?)


(そして、なぜ、このあり得ない状況を、こんなにも平然と語れるんだ?)


俺が警戒を解かずにいると、男の方が、ふっと息を漏らして言った。


「すまないね。職業柄、どうしても気になってしまうんだ」


その言葉に、俺はただ、「い、いえ……」と、曖昧に返すことしかできなかった。


男が口にした「職業」という単語が、やけに重く頭に響く。


その間、隣の女性は、パニックに陥りかけていた穂乃果の背中を、優しく撫でていた。


「大丈夫だよ、怖かったよね。もう、何もいないから」


その優しい声と手の温もりに、穂乃果の強張っていた肩の力が、少しだけ抜けていくのが分かった。

男は、俺に向き直ると、ふと、全く違う話題を口にした。


「ところで、君達に尋たいんだけど、この辺りに『善法寺』という寺はないだろうか。スマートフォンの電源が切れてしまってね……」


その、あまりに唐突な質問に、俺が戸惑っていると、今まで恐怖で凍りついていた智哉が、素っ頓狂な声を上げた。


「善法寺!? それ、俺んちの寺っすよ!」


その声に、今度は男の方が、わずかに目を見開いた。


「本当かい!? それは奇遇だ。もし差し支えなければ、案内してもらえないだろうか?」


「お、おう!任せてくれ!」


自分の家の名前が出たことで、智哉はすっかりいつもの調子を取り戻していた。恐怖の対象だった場所から一刻も早く離れたい、という思いもあるのだろう。彼は待ってましたとばかりに、二人を先導して歩き始めた。


「じゃあな、輝流、穂乃果ちゃん!」


女性の方が、俺たちにひらひらと手を振る。俺と穂乃果は、ただ、あっけに取られて、その三人の後ろ姿を見送ることしかできなかった。

だが、奇妙なことは、それで終わりではなかった。


三人の姿が、夕闇に沈み始めた住宅街へと消えかける、その時だった。


一緒に歩いていた男が、ふと、足を止める。

そして、ゆっくりと、こちらを振り返った。

距離があるせいで、その表情までは、はっきりと見えない。

ただ、その視線だけが、闇を貫くように、まっすぐに、俺と穂乃果を射抜いているのが、分かった。


それは、一瞬だった。


しかし、その一瞬に、計り知れないほどの情報が込められているような、重い眼差しだった。

男はすぐに前を向くと、何事もなかったかのように、また歩き始めた。


「……なんだったんだろう……あの人たち…」


穂乃果の呟きが、俺の隣で、ぽつりと夜気の中に溶けていった。

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