週の始まり、月曜日の朝。
教室に足を踏み入れた俺は、すぐに異変に気づいた。
俺の隣、いつも当たり前のようにそこにあった笑顔がない。がらんとした空席だけが、朝日を浴びている。
穂乃果が、学校に来ていなかった。
ここ数日、あまりにも多くの事が起きすぎた。雪峰の死、神鳴山の闇、そして、絶望に沈む穂乃果の顔。それらが、じわじわと俺の心を蝕んでいたらしい。
(あいつ……大丈夫かな)
らしくもなく、胸の内で心配が膨れ上がっていく。
(……しっかりしろ。こんなのは、俺らしくない)
俺は、心の中で自らに喝を入れた。
そこに、教室の扉が勢いよく開き、智哉が駆け込んできた。
「おっすー! おはよう!」
その声は、この重苦しい空気を吹き飛ばすかのように、底抜けに明るい。
「……朝から元気だな、お前は」
「おうよ! やっぱり、いろいろな事が起きてるからな……。せめて俺が、皆を励ませるくらいにならねぇと!」
そう言って、智哉はニカッと笑った。
その屈託のない笑顔を見て、俺の胸が、ちくりと痛んだ。
(雪峰は……そんなお前だから、きっと、好きになったんだろうな……)
そのまっすぐさを、雪峰は、どんな想いで見ていたのだろう。
急に、智哉に対して、言いようのない申し訳なさが膨らんでいくのを感じ、俺は慌ててその考えを振り払った。
「なぁ輝流、明日の葵ちゃんの葬式、出るよな?」
智哉が、真面目な顔で尋ねてくる。
「ああ。クラスメイトだから、もちろん出る」
「じゃあさ、明日、葬式に行く前に、俺ん家(ち)寄ってくれよ」
「別にいいけど、なんでだよ?」
「百貌様について、知りたがってたろ?」
その言葉に、はっとする。そうだ。雪峰の件ですっかり飛んでいたが、そもそも、俺たちの目的はそこから始まっていた。
(ああ……そういえば、そうだったな)
「じゃあ明日、とりあえずいつもより早めに玄関開けとくからよ。勝手に俺の部屋上がってきてくれ」
「おう、わかった」
***
そして、次の日の朝。
雪峰の葬式当日。
俺は、約束通りにいつもより早く家を出て、智哉の家の前に立っていた。
「お邪魔します」
誰に言うでもなく呟き、玄関の引き戸を開ける。ふわりと、この寺特有の、心が落ち着くような、それでいて少しだけ物悲しい線香の匂いが鼻腔をくすぐった。
ギシ、ギシ、と鳴る廊下を渡り、智哉の部屋へと入っていく。
「おっす」
「よう」
短い挨拶を済ませ、俺たちは、念の為にお互いの喪服に汚れがないか、着崩れしていないかを、しっかりと確認し合った。
「輝流、やっぱこういう服、似合うなー」
「喪服が似合うとか、ないだろ……」
本当なら、こんな息が詰まるような服、着たくもなかった。それが、ついこの間まで笑い合っていたクラスメイトの葬式だなんて言うから、なおさらに。
「よし、じゃあ父ちゃんが待ってるから、話、聞きに行こうぜ」
そう言って、智哉が部屋の襖を開けた。
俺たちは、いよいよ、この町の深い闇に触れることになるかもしれない。
智哉に案内されて通されたのは、寺の本堂に隣接する、凛とした空気が漂う畳の部屋だった。中央には大きな仏壇が鎮座し、古びた木と、長年焚かれてきた線香の香りが深く染みついている。
その仏壇の前で、一人の男性が、静かに数珠を手にしながら、何やらブツブツと念じていた。智哉の親父さんだ。
「父ちゃん!輝流を連れてきたぜ!」
智哉の快活な声に、読経がふっと途切れる。
「……よく来てくれたな」
ゆっくりとこちらを振り返ったのは、智哉の父親であり、この善法寺の住職である、
「ご無沙汰してます」
俺が頭を下げると、和正さんは、その厳かな雰囲気とは裏腹に、にこやかな笑顔で手招きをしてくれた。
「いいから、座って座って」
俺たちが彼の正面に正座すると、和正さんは、すっと真剣な目つきに変わった。
「さて……智哉から話は聞いたが、輝流君は『百貌様』について知りたいんだったね?」
「はい…」
俺が頷くと、和正さんは、少しだけ眉をひそめた。
「だが……一体どこで百貌様の情報を? あの話は、この町の一部の人間しか知らんはずだ。普段は公にされないように、伏せられている筈だが……」
鋭い問いに、俺は言葉に詰まった。
どう話せばいい? あの、叶さんの家のこと?雪峰が何かに憑りつかれていたことか? 山で、山姥のような老婆の霊を見たことか?
(……駄目だ。話したところで、きっとわかって貰えない)
ただの、頭のおかしい高校生だと思われるのが関の山だ。
だから、ひとつの真実を答えた。
「百貌様については、智哉から聞きました」
「智哉……」
「うっ……ちょっとうっかりだったか……?」
「うっかりどころか、お前はとんでもない事をしでかしたんたぞ」
その二人のやり取りを見て、俺が押し黙っていると、和正さんは「ふむ……」と呟き、何かを考えるように腕を組んだ。
部屋に、重い沈黙が落ちる。
古い柱時計が、カチ、カチ、と無機質な音を刻む音だけが、やけに大きく響いていた。
数分が経過した、その時だった。
和正さんが、組んでいた腕を解き、俺の目を、まっすぐに見据えた。
「輝流君。正直に答えて欲しい」
その声には、有無を言わせぬ響きがあった。
「君、近頃、霊が視えるようになったね?」
その一言に、俺の心臓は、大きく、どくん、と跳ね上がった。
全てを、見透かされたかのように。