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第30話 雪峰葵


『いやぁぁぁぁぁ……いやぁぁぁああぁぁ……!』


(っ…雪峰……!!)


俺は、声にならない叫びを、心の中で上げた。


『なんで……なんでぇ……智哉君……なんで、私……』


その声は、ひどく不安定で、嗚咽が混じっている。俺だけしかいないはずの空間で、少女のすすり泣く声が反響していた。


(ごめん……ごめん……!!)


唐突すぎる事態に、俺はただ、俯いてそう心の中で唱えることしかできない。


『嫌だ……嫌だよぉ……お父さん……お母さん……なんで、私……死んじゃったのぉ……』


『伝えたい事だって……まだまだいっぱいあったのに……ぃ……』


『なんで……どうしてぇ……』


不意に、声がすぐ側で途切れた。

俺が、はっとして顔を上げる。


そこには、恐ろしい形相をした雪峰が、俺の顔をすぐ目の前で覗き込んでいた。

川の水でぐっしょりと濡れた髪。原型を留めないほど切り離された身体の断面からは、絶えずどす黒い血が滴り落ちている。


そして、その瞳からは、血の涙が、止めどなく流れていた。


『なんで、私が死なないといけなかったの……』


目と目が、合う。

さすがの俺も、この状況には、ひゅっと息を呑んだ。


(雪峰……!)


俺は、覚悟を決めた。


「っ……すみません……ちょっと、御手洗に」


周囲に聞こえないよう、心の中で続ける。


(……こっちへ、来てくれ)


俺は、静かに席を立つと、会場を出て御手洗へと向かった。

誰もいないことを確認し、鏡の前に立つと、背後の空間が、すっと揺らぐ。


『浅生君……あなたには、私の姿が見えてるのね……』


「ああ……しっかり見えてるよ」


『……なんで……なんでぇぇぇぇ……っ』


雪峰の霊が、再び感情を爆発させる。


「すまない……雪峰……。俺、雪峰を助けるつもりで……神鳴山へ入ったんだ」


『…………』


「だけど……間に合わなかった…。俺の力が足りなくて、間に合わなかったんだ」


それは、心からの声だった。

本当は、助けたかった。一緒に下山して、智哉と雪峰の、有り得たかもしれない未来を、この目で見たかった。


だけど、現実は……そう甘くはなかった。


『うん……。浅生君が私の名前を呼んで、探しに来てくれてたこと、ちゃんと、わかってる……』


「すまない……本当に、すまない……」


あまりの悔しさと、無力感から、俺の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。


『……っ。あの浅生君が、泣くなんて……』


俺は、ぐっと鼻をすする。


「……俺を、なんだと思ってるんだ」


『ふふふ……でも……嬉しい』


雪峰の霊が、少しだけ、穏やかに微笑んだ気がした。


そうして、数分が経過する。俺は、涙を拭い、本題を切り出した。


「雪峰、お前をそんな風にしたのは……誰なんだ?」


俺の中では、百貌様かあの山姥の様な奴だろうと、思っていた。


『ごめん……直接手を下された時の記憶は、無いの……。でも……』


『あの川……渡瀬川の奥、その奥には、沢山の老婆の魂が……居た……』


「渡瀬川の奥……?」


『うん。数えたけど……百人以上は、いたと思う……』


「そんなにか……?」


『みんな……すごく怒ってた……。呪いの言葉や、恨み辛みを、ずっと口にしていたわ』


その言葉に、俺は、ただ事ではないと直感した。


「雪峰……お前、歴史とかに詳しかったよな?」


『……うん、まあまあ』


「渡瀬川の奥で、昔、何があったか知ってるか?」


『ごめん……そこまでは、わからない……。でも、私があの場を彷徨っていた時……みんな……『捨てられた』って、言ってた気がする』


仮に、親父が、言っていたように隠蔽されているなら、どれだけ歴史に詳しくても知らない……というのも無理はない。


だが……。


──捨てられた。


という言葉。


その言葉に、俺の背筋が、ぞっと凍りついた。

親父の言葉、雪峰の証言、そして、過去の知識。点と点が、一本の、おぞましい線で結びついていく。


「……まさか」


『…………?』


「これは、ただの推測だが……。俺の親父が言ってたんだ。この土地には昔、神の機嫌を取る為に、何か悪い風習があった、と」


俺は、自分の立てた仮説を、確かめるように口にした。


「もしかしたら……川の奥に、老婆を捨てていたんじゃないか……?」


『えっ……』


神への生贄、として。

しかも……それだけじゃない。


(口減らしとしても……)


前に、郷土史の教科書で見た記憶がある。この土地は昔、痩せこけていて、人々が食べていくのも大変だった、と。

神への生贄と、村の口減らし。

その両方を担わされた老婆たちが、あの川の奥に、捨てられていたんじゃないか……?


……これは、ただの推察だ。


だが、俺の中では、それが真実であると、確信に変わっていた。


だが、それなら不可侵だと決めた町の決まりも……それが黒い歴史だから、と理解できる。


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