『いやぁぁぁぁぁ……いやぁぁぁああぁぁ……!』
(っ…雪峰……!!)
俺は、声にならない叫びを、心の中で上げた。
『なんで……なんでぇ……智哉君……なんで、私……』
その声は、ひどく不安定で、嗚咽が混じっている。俺だけしかいないはずの空間で、少女のすすり泣く声が反響していた。
(ごめん……ごめん……!!)
唐突すぎる事態に、俺はただ、俯いてそう心の中で唱えることしかできない。
『嫌だ……嫌だよぉ……お父さん……お母さん……なんで、私……死んじゃったのぉ……』
『伝えたい事だって……まだまだいっぱいあったのに……ぃ……』
『なんで……どうしてぇ……』
不意に、声がすぐ側で途切れた。
俺が、はっとして顔を上げる。
そこには、恐ろしい形相をした雪峰が、俺の顔をすぐ目の前で覗き込んでいた。
川の水でぐっしょりと濡れた髪。原型を留めないほど切り離された身体の断面からは、絶えずどす黒い血が滴り落ちている。
そして、その瞳からは、血の涙が、止めどなく流れていた。
『なんで、私が死なないといけなかったの……』
目と目が、合う。
さすがの俺も、この状況には、ひゅっと息を呑んだ。
(雪峰……!)
俺は、覚悟を決めた。
「っ……すみません……ちょっと、御手洗に」
周囲に聞こえないよう、心の中で続ける。
(……こっちへ、来てくれ)
俺は、静かに席を立つと、会場を出て御手洗へと向かった。
誰もいないことを確認し、鏡の前に立つと、背後の空間が、すっと揺らぐ。
『浅生君……あなたには、私の姿が見えてるのね……』
「ああ……しっかり見えてるよ」
『……なんで……なんでぇぇぇぇ……っ』
雪峰の霊が、再び感情を爆発させる。
「すまない……雪峰……。俺、雪峰を助けるつもりで……神鳴山へ入ったんだ」
『…………』
「だけど……間に合わなかった…。俺の力が足りなくて、間に合わなかったんだ」
それは、心からの声だった。
本当は、助けたかった。一緒に下山して、智哉と雪峰の、有り得たかもしれない未来を、この目で見たかった。
だけど、現実は……そう甘くはなかった。
『うん……。浅生君が私の名前を呼んで、探しに来てくれてたこと、ちゃんと、わかってる……』
「すまない……本当に、すまない……」
あまりの悔しさと、無力感から、俺の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
『……っ。あの浅生君が、泣くなんて……』
俺は、ぐっと鼻をすする。
「……俺を、なんだと思ってるんだ」
『ふふふ……でも……嬉しい』
雪峰の霊が、少しだけ、穏やかに微笑んだ気がした。
そうして、数分が経過する。俺は、涙を拭い、本題を切り出した。
「雪峰、お前をそんな風にしたのは……誰なんだ?」
俺の中では、百貌様かあの山姥の様な奴だろうと、思っていた。
『ごめん……直接手を下された時の記憶は、無いの……。でも……』
『あの川……渡瀬川の奥、その奥には、沢山の老婆の魂が……居た……』
「渡瀬川の奥……?」
『うん。数えたけど……百人以上は、いたと思う……』
「そんなにか……?」
『みんな……すごく怒ってた……。呪いの言葉や、恨み辛みを、ずっと口にしていたわ』
その言葉に、俺は、ただ事ではないと直感した。
「雪峰……お前、歴史とかに詳しかったよな?」
『……うん、まあまあ』
「渡瀬川の奥で、昔、何があったか知ってるか?」
『ごめん……そこまでは、わからない……。でも、私があの場を彷徨っていた時……みんな……『捨てられた』って、言ってた気がする』
仮に、親父が、言っていたように隠蔽されているなら、どれだけ歴史に詳しくても知らない……というのも無理はない。
だが……。
──捨てられた。
という言葉。
その言葉に、俺の背筋が、ぞっと凍りついた。
親父の言葉、雪峰の証言、そして、過去の知識。点と点が、一本の、おぞましい線で結びついていく。
「……まさか」
『…………?』
「これは、ただの推測だが……。俺の親父が言ってたんだ。この土地には昔、神の機嫌を取る為に、何か悪い風習があった、と」
俺は、自分の立てた仮説を、確かめるように口にした。
「もしかしたら……川の奥に、老婆を捨てていたんじゃないか……?」
『えっ……』
神への生贄、として。
しかも……それだけじゃない。
(口減らしとしても……)
前に、郷土史の教科書で見た記憶がある。この土地は昔、痩せこけていて、人々が食べていくのも大変だった、と。
神への生贄と、村の口減らし。
その両方を担わされた老婆たちが、あの川の奥に、捨てられていたんじゃないか……?
……これは、ただの推察だ。
だが、俺の中では、それが真実であると、確信に変わっていた。
だが、それなら不可侵だと決めた町の決まりも……それが黒い歴史だから、と理解できる。