目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第31話 未練の行方


『そんな……じゃあ……私は……だれを怨めばいいの……』


雪峰の、魂からの叫びだった。


「雪峰……」


その言葉を聞いて、俺は確信した。たとえ、まだ確証はなくとも。

神や霊なんかじゃない。人間こそが、一番恐ろしい。自分たちの都合で、生き物の命を平気で切り捨て、恨みを募らせ、怪異を創り出す。


「雪峰。怨みは、残しちゃダメだ……」


俺の直感が、そう強く告げていた。このまま彼女を怨念の塊にしてはいけない……と。


『そんなの……無理だよ……! 私は、死にたくなんて、なかった……!』


当然の反論だった。怨まないと、やっていられないだろう。


でも……だからこそ、俺は、雪峰には怨みを抱いて欲しくなかった。


「きっと……怨みを残すのは、雪峰にとって良くないことだと思うんだ」


俺は、必死に言葉を紡いだ。


「そうじゃないと……きっと……あの世へ、いけない……」


『そんなぁ……じゃあ……じゃあ、私は……どうしたらいいの……』


「自分の未練が何か、わかるか? もちろん、怨み以外でだぞ」


『な、なんだろう……』


「分からないか?」


『う……うん……』


俺は、一度息を吸い、覚悟を決めた。


「雪峰、お前が智哉の事を……好きだったって穂乃果から聞いた」


『えっ…………!!』


葵の霊体が、びくりと大きく揺れる。


「穂乃果は、昔から俺の事が好きでいてくれてるんだ。だから、お前が心配してたみたいに、智哉のことを奪う、だなんて考えは、あいつには一切ない」


『で、で、でも……智哉くんは、好きだから穂乃果ちゃんのそばに居るんじゃないの……?』


「そんなことは無い。あいつは何も考えずに友達として絡んでるだけだ」


『あはは……っ、そうなんだね……』


血の涙を流したまま、雪峰が、ほんの少しだけ笑った。


「だからさ。どういう答えが返ってくるかは、分からないけど」


俺は、彼女の目をまっすぐに見つめた。


「智哉に、雪峰の気持ちを、伝えよう」


それは、智哉にとっても、雪峰にとっても、ある意味で新たな未練を残すことになるかもしれない。

でも、俺の中では、もう答えは固まっていた。


『で、で、でも……! 私、死んじゃってるし……!』


「死んだから、想いを伝えちゃいけないのか?」


俺は、強く言った。


「そんなルール、どこにもないだろ。雪峰、今は、自分がどうしたら『成仏』出来るか、それだけを考えるんだ」


『……ど、どうやって、伝えるの……? 私が喋っても……』


「俺が仲介する。俺の声で、お前の気持ちを、智哉に届けてやるよ」


『……!!』


『な、なんで……そこまでしてくれるの……?』


なんで、と聞かれても、明確な理由は思い浮かばなかった。

ただ、唯一つ。

智哉と雪峰。その二人が結ばれる可能性があった、その未来のひとかけらを、この目で見てみたかった。


そして、それを叶えることこそが、雪峰が安らかに逝くための、唯一の道筋なのだと、そう信じていた。

それだけが、俺の中にある、動機だった。


『……で、でもぉ……』


「まぁ……迷うのは分かるが…!覚悟を決めろ……!」


『そんなぁぁぁ……』


それから、数分。

蛍光灯の光の下、この世の者と、そうでない者との、奇妙な密談は、やがて幕を下ろした。

雪峰が、「告白する」と、小さな声で決意を固める形で。


***


自分の席に戻ってから、十数分が経った。

読経が終わり、参列者が少しずつ動き始める。葬儀という非日常の儀式が、その終わりを告げようとしていた。


俺は、同じように席を立った穂乃果と智哉と合流すると、すぐに智哉の腕を掴んだ。


「智哉、ちょっと来てくれ」


「えっ……? ああ、いいけど……」


智哉が、戸惑いながらも頷く。


「私は……先に帰るね……」


力なくそう言って踵を返そうとした穂乃果の腕を、俺は、もう片方の手で、しかし、力強く掴んだ。


「穂乃果、お前もだ」


「ちょ、ちょっと待ってよ輝流! どこへ行くの……!?」


穂乃果が悲鳴のような声を上げる。


「いいから、来てくれ」


俺は、有無を言わさず、二人の手を引いて歩き出した。

告白をするのに、葬式会場は、ない。

雪峰の最期の想いを伝えるのに、死の匂いが満ちたこの場所は、相応しくない。


なら、せめて。

彼女が、俺たちが、当たり前に過ごしていた日常の景色に近い場所で、と。


俺は、自分の席でずっと、その舞台を探していた。

たどり着いたのは、葬儀場の隅に設けられた、小さな庭園だった。


季節の花が静かに咲き誇り、ここが死者を弔う場所の一角であることさえ忘れさせるほど、穏やかな空気が流れている。

気がかりなのは、俺たちのこの、息が詰まるような喪服姿だけだった。


俺は、二人の手を離し、彼らに向き直った。


「穂乃果、智哉。お前たちに話がある」


「な、なに……?」


穂乃果が、不安そうに俺を見つめる。


「……なんだよ、改まって」


智哉も、怪訝な顔をしていた。

俺の隣では、見えないはずの雪峰の気配が、緊張に揺れている。


『……』


俺は、一度だけ、深く息を吸った。


「この場に、雪峰がいる」


その言葉に、穂乃果と智哉の表情が、驚愕に染まった。


そして、それは、俺の隣にいるはずの葵の霊でさえも、同じだった。


「ちょ、ちょっと待って……! 輝流……! 私、葵に合わせる顔なんて、ないよ……!」


穂乃果が、パニックになったように後ずさる。


「葵ちゃんが……」


智哉は、ただ、絶句して俺と穂乃果の顔を交互に見るだけだ。


『あ、浅生君!? な、なんでそんな単刀直入に!?』


俺の耳元で、雪峰の慌てふためく声が響いた。


三者三様の反応。だが、もう、引き返すつもりはない。


「こいつらには俺が霊が見えてる事知ってるから」


『そ、そうなんだ……』


そう、それに。これが、お互いに罪悪感を抱える穂乃果にとっても、想いを伝えられずに死んだ雪峰にとっても、一番いいことなんだ。俺は、そう確信していた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?