『そんな……じゃあ……私は……だれを怨めばいいの……』
雪峰の、魂からの叫びだった。
「雪峰……」
その言葉を聞いて、俺は確信した。たとえ、まだ確証はなくとも。
神や霊なんかじゃない。人間こそが、一番恐ろしい。自分たちの都合で、生き物の命を平気で切り捨て、恨みを募らせ、怪異を創り出す。
「雪峰。怨みは、残しちゃダメだ……」
俺の直感が、そう強く告げていた。このまま彼女を怨念の塊にしてはいけない……と。
『そんなの……無理だよ……! 私は、死にたくなんて、なかった……!』
当然の反論だった。怨まないと、やっていられないだろう。
でも……だからこそ、俺は、雪峰には怨みを抱いて欲しくなかった。
「きっと……怨みを残すのは、雪峰にとって良くないことだと思うんだ」
俺は、必死に言葉を紡いだ。
「そうじゃないと……きっと……あの世へ、いけない……」
『そんなぁ……じゃあ……じゃあ、私は……どうしたらいいの……』
「自分の未練が何か、わかるか? もちろん、怨み以外でだぞ」
『な、なんだろう……』
「分からないか?」
『う……うん……』
俺は、一度息を吸い、覚悟を決めた。
「雪峰、お前が智哉の事を……好きだったって穂乃果から聞いた」
『えっ…………!!』
葵の霊体が、びくりと大きく揺れる。
「穂乃果は、昔から俺の事が好きでいてくれてるんだ。だから、お前が心配してたみたいに、智哉のことを奪う、だなんて考えは、あいつには一切ない」
『で、で、でも……智哉くんは、好きだから穂乃果ちゃんのそばに居るんじゃないの……?』
「そんなことは無い。あいつは何も考えずに友達として絡んでるだけだ」
『あはは……っ、そうなんだね……』
血の涙を流したまま、雪峰が、ほんの少しだけ笑った。
「だからさ。どういう答えが返ってくるかは、分からないけど」
俺は、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「智哉に、雪峰の気持ちを、伝えよう」
それは、智哉にとっても、雪峰にとっても、ある意味で新たな未練を残すことになるかもしれない。
でも、俺の中では、もう答えは固まっていた。
『で、で、でも……! 私、死んじゃってるし……!』
「死んだから、想いを伝えちゃいけないのか?」
俺は、強く言った。
「そんなルール、どこにもないだろ。雪峰、今は、自分がどうしたら『成仏』出来るか、それだけを考えるんだ」
『……ど、どうやって、伝えるの……? 私が喋っても……』
「俺が仲介する。俺の声で、お前の気持ちを、智哉に届けてやるよ」
『……!!』
『な、なんで……そこまでしてくれるの……?』
なんで、と聞かれても、明確な理由は思い浮かばなかった。
ただ、唯一つ。
智哉と雪峰。その二人が結ばれる可能性があった、その未来のひとかけらを、この目で見てみたかった。
そして、それを叶えることこそが、雪峰が安らかに逝くための、唯一の道筋なのだと、そう信じていた。
それだけが、俺の中にある、動機だった。
『……で、でもぉ……』
「まぁ……迷うのは分かるが…!覚悟を決めろ……!」
『そんなぁぁぁ……』
それから、数分。
蛍光灯の光の下、この世の者と、そうでない者との、奇妙な密談は、やがて幕を下ろした。
雪峰が、「告白する」と、小さな声で決意を固める形で。
***
自分の席に戻ってから、十数分が経った。
読経が終わり、参列者が少しずつ動き始める。葬儀という非日常の儀式が、その終わりを告げようとしていた。
俺は、同じように席を立った穂乃果と智哉と合流すると、すぐに智哉の腕を掴んだ。
「智哉、ちょっと来てくれ」
「えっ……? ああ、いいけど……」
智哉が、戸惑いながらも頷く。
「私は……先に帰るね……」
力なくそう言って踵を返そうとした穂乃果の腕を、俺は、もう片方の手で、しかし、力強く掴んだ。
「穂乃果、お前もだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ輝流! どこへ行くの……!?」
穂乃果が悲鳴のような声を上げる。
「いいから、来てくれ」
俺は、有無を言わさず、二人の手を引いて歩き出した。
告白をするのに、葬式会場は、ない。
雪峰の最期の想いを伝えるのに、死の匂いが満ちたこの場所は、相応しくない。
なら、せめて。
彼女が、俺たちが、当たり前に過ごしていた日常の景色に近い場所で、と。
俺は、自分の席でずっと、その舞台を探していた。
たどり着いたのは、葬儀場の隅に設けられた、小さな庭園だった。
季節の花が静かに咲き誇り、ここが死者を弔う場所の一角であることさえ忘れさせるほど、穏やかな空気が流れている。
気がかりなのは、俺たちのこの、息が詰まるような喪服姿だけだった。
俺は、二人の手を離し、彼らに向き直った。
「穂乃果、智哉。お前たちに話がある」
「な、なに……?」
穂乃果が、不安そうに俺を見つめる。
「……なんだよ、改まって」
智哉も、怪訝な顔をしていた。
俺の隣では、見えないはずの雪峰の気配が、緊張に揺れている。
『……』
俺は、一度だけ、深く息を吸った。
「この場に、雪峰がいる」
その言葉に、穂乃果と智哉の表情が、驚愕に染まった。
そして、それは、俺の隣にいるはずの葵の霊でさえも、同じだった。
「ちょ、ちょっと待って……! 輝流……! 私、葵に合わせる顔なんて、ないよ……!」
穂乃果が、パニックになったように後ずさる。
「葵ちゃんが……」
智哉は、ただ、絶句して俺と穂乃果の顔を交互に見るだけだ。
『あ、浅生君!? な、なんでそんな単刀直入に!?』
俺の耳元で、雪峰の慌てふためく声が響いた。
三者三様の反応。だが、もう、引き返すつもりはない。
「こいつらには俺が霊が見えてる事知ってるから」
『そ、そうなんだ……』
そう、それに。これが、お互いに罪悪感を抱える穂乃果にとっても、想いを伝えられずに死んだ雪峰にとっても、一番いいことなんだ。俺は、そう確信していた。