帰り道。
俺たち三人は、口数も少なく、ただアスファルトを踏みしめる音だけを共有していた。夕日が長く伸ばした俺たちの影が、まるで何か別の生き物のように、静かに後をついてくる。
不意に、俺は立ち止まった。
「……穂乃果、大切な話がある」
「えっ……? なに?」
戸惑う穂乃果の隣で、智哉は、これから俺が何を話すのか、その表情で理解したようだった。
「言いづらいんだが……。穂乃果、お前にはこれから……そう遠くないうちに、幽霊が視えるようになるらしい」
その言葉に、穂乃果が息を呑んで絶句する。
「え……ど、どうして?」
どこまでを話し、どこまでを伏せるべきか……。
『巫女に選ばれた』、そこまでは話していい。だが、『生贄』、その一言だけは、絶対に言えない。
こんな話をしても、ただ彼女を不安で押しつぶしてしまうだけだ。
俺は、慎重に、言葉を選びながら口を開いた。
「その……なんだ。穂乃果は、百貌様に『巫女』として選ばれたらしいんだ」
「えっ……? 巫女??」
「ああ。巫女と言っても、何かをさせられるわけじゃない。それに、今、櫻井悠斗さんって人と、櫻井美琴さんっていう夫婦が、穂乃果を助ける方法を模索してくれてる」
「櫻井さん……?」
「秋崎邸の跡地で会った、あの二人だ」
「あっ……! あの人たちね!」
穂乃果は、そこで、はっとしたように俺を見つめた。
「輝流……ちょっと待って……。『私を助ける』ってことは、何か良くない事が……私に起きようとしてるって、こと……?」
鋭い指摘に、俺は内心で息を呑んだ。だが、決してそれを悟られないように、平静を装う。
「いや、いきなり霊が視えるようになる、なんて、普通に考えて恐怖を感じるだろ?」
「う、うん」
「その恐怖が日常生活に深く関わると、お前の精神状態も悪くなる可能性がある。だから、それを防ぐ為に、櫻井さん夫婦が、巫女に選ばれたお前を助けようとしてくれてるんだ」
「そ、そうなんだ……! でも……たしかに、そうだよね……。いきなり霊が視えるようになる、なんて、きついかも……」
「だろ?」
俺の言葉に、穂乃果が納得したように頷く。その様子を見ていた智哉が、まるで感心したかのように、うんうんと首を縦に振っていた。
(それやめろ……! 気付かれるかもしれねぇだろ!!)
俺が横目で智哉を睨みつけると、智哉は、その意図に気づいた様で、慌てて動きを止めた。
(とりあえずは……これだけ伝えれば、いいだろう)
俺は、咳払いをして、話題を変えた。
「それから……雪峰をあんな風にした奴だが……」
「…………!」
穂乃果の表情が、悲しみから、強い意志を宿したものへと変わる。
「……うん。私……知りたい。誰が葵にあんな酷い事をしたのか……友達として、知らないといけない」
その強い眼差しを受け、俺は、あの夜の出来事を語り始めた。
「神鳴山に、山姥みたいな老婆がいたんだ」
その言葉に、二人は驚愕の表情を見せた。
「ま、まって…!山姥って…あの山姥……?」
穂乃果の問いに、俺は頷く。
「ああ。神鳴山へ探しに行った時に、何かに憑りつかれた雪峰に、普通の女の子とは思えない力で首を絞められてな……」
「大丈夫だったんだろうけど…怪我は!?」
「ああ、大丈夫だよ。それで…持っていた黒い石が不思議な力を放って、なんとかなったんだが……雪峰の中から、山姥のような老婆が現れて、渡瀬川の奥深くへと、雪峰を引きずっていったんだ……」
あの時の無力感が、また胸の内で燻る。
(あんな思いは……もう、こりごりだ)
俺は、思考を切り替え、推理を組み立てていく。
「渡瀬川、という名前がある。それは、過去、人間がそこを生活圏にしていた証拠だ。それに加え、昔、この土地は痩せこけていて、食べ物に苦労したと、教科書に載ってただろ?」
「うん……」と穂乃果が頷く。
「そうだなぁ……。なんだか、俺ん家の寺の古文書にも、昔はこの辺り、霊がいっぱいいて大変だった、みたいな事が書いてあったぜ」
智哉も、思い出したように言った。
俺は、最後の、そして最も重要な情報を口にした。
「雪峰が、連れ去られた時に、霊を見たらしくてな。」
「言ってたんだ。渡瀬川の奥深くに、老人たちの魂が、百人以上いた、と」
「ひ、百人!?」
「っ……」
二人が、息を呑む。
「そして、俺の親父が言っていた。この土地には、悪神を鎮める為に、良くない風習が存在した、と……」
ここまで話すと、二人も、俺と同じ結論にたどり着いたようだった。穂乃果が、震える声で呟く。
「つ、つまり……口減らしと、生贄……?」
「……そういう事かもしれない。だけど、これはまだ、繋げられる情報を繋げただけの推測だ。真相は、まだ分からないし、そんな事ではないと……俺としても、願いたい」
俺は、そこで一度言葉を切り、まっすぐに穂乃果を見つめた。
「そこで、穂乃果に調べてもらいたいんだ」
「その…渡瀬川の奥で、本当に、そういった風習があったのかどうか…だね?」
俺の意図を正確に汲み取り、穂乃果が問い返す。
「ああ。それが事実なのか、それとも、ただの作り話なのか。それが分かるだけで、やれる事は、がらっと変わってくるからな」
「ま、待って、輝流は…。その老婆たちを、助けようとしてるの?」
不安そうに、穂乃果が俺の目を見つめる。
確かに、彼女たちの境遇は、可哀想だと思う。
だが、今の俺の中にあるのは、そんな同情心ではなかった。
(違う。俺がやるべきことは、ただ一つだ)
雪峰の、無念を晴らす。
その、確かな決意が、俺の中に、新たに芽生えていた。