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第35話 海の家へ


いつも通り、学校の教室の扉を開けると、そこには、いつもの騒がしい朝の空気感が漂っていた。


重苦しかった数日間の雰囲気を振り払うように、誰もが、必死に日常を取り戻そうとしているかのようだ。


「おはー!!!」


そんな空気をさらに加速させるように、智哉が教室のドアを勢いよく開けて入ってきた。


「おはよう」


俺の隣の席で、穂乃果が笑う。


「よっ! 輝流は相変わらずだるそうな顔してんな!! よきよき!」


「……お前、俺をなんだと思ってるんだ?」


「あはは、やっぱりこの感じが一番だよね!」


俺と智哉のやり取りに、穂乃果が鈴のような声で笑った。


「そうだ、穂乃果ちゃん! 輝流から聞いた?」


「うん! 旅行の事だよね?」


「そうそう! 俺の妹……すっごい変わってるんだけどさ、よろしくな!」


「うん! それも輝流からなんとなく聞いたよ!」


「じゃあ、八月になったら行こうぜ!」


智哉が、太陽のような笑みを振りまく。


「ああ」「うん!」と、俺と穂乃果の声が重なった。


***


そして、時間は流れ、夏休み当日。


待ち合わせ場所の駅の改札前は、大きな荷物を持った人々でごった返していた。


夏の高い空、蝉の声、発車を告げるアナウンス。その全てが、これから始まる非日常への期待を煽っているようだった。


そんな喧騒の中で、俺は、内心、ワクワクしながら仲間を待っていた。


……なんだかんだで、一番乗りだった。


次に現れたのは、穂乃果だった。


「お! おはよー! 輝流、早いね〜!」

白いワンピースが、夏の光によく映えている。


「ま、まぁな。早く着いておく分には、いいだろ?」


俺は、高鳴る気持ちを悟られないよう、あくまで平常心を装った。


「あはは。そうだね」


(本当は、すごく楽しみにしてるんだよねっ)


そんな穂乃果の心の声が、その楽しそうな笑顔からはっきりと読み取れた。俺がそれに気づいていないと思っているところも、含めて。


それから数分後。


「おーい! 待たせたなー!」


智哉と、その隣に見覚えのある少女が、人混みをかき分けて現れた。


「輝流さん! お久しぶりです!」


快活な声でそう言ったのは、智哉に似て、人懐っこい笑顔が印象的な、ロングヘアーの少女。智哉の妹、燈子だ。


「燈子。久しぶりだな」


智哉に連れられてきた少女――燈子が、人懐っこい笑顔を俺たちに向ける。記憶の中にある、まだ幼かった頃の面影が、目の前の快活な少女に重なって、ふっと消えた。


その視線に気づいたように、穂乃果が白いワンピースをふわりと揺らしながら、一歩前に出る。その表情が、柔らかく綻んだ。


「あなたが燈子ちゃんだねっ。私は輝流と智哉くんの友達の、穂乃果って言います。この旅行の間、よろしくね!」


差し出されたその言葉に、燈子は快活な笑顔はそのままに、しかし、その場でぴんと背筋を伸ばし、九十度に近い角度で深々と頭を下げた。


「はい! 穂乃果さんの事も、兄からよく話を伺っています。燈子です。こちらこそ、よろしくお願いします!」


その、あまりに丁寧でしっかりとした挨拶に、穂乃果は少し目を丸くして、それから嬉しそうに微笑み返して、同じようにそっと頭を下げた。穏やかで、心地よい空気が二人の間に流れる。


その様子を眺めながら、俺は燈子に話しかけた。


「それにしても燈子、ずいぶん久しぶりだな。何年ぶりだ?」


「ほんとですね、輝流さん! たぶん、もう四年近くは会ってなかったと思います!」


「……そんなに経つのか」


四年前。まだ中学生だった俺たちと、ランドセルを背負っていた燈子。脳裏に浮かんだ光景と目の前の現実とのギャップに、時の流れの速さをしみじみと感じていた、その時だった。


そんな感慨を吹き飛ばすように、智哉がパン、と大きな柏手を打った。


「さてさて! 自己紹介も済んだことだしな! 今日これから行く場所はもう分かってるよな!!」


騒がしい駅の喧騒にすら負けない、突き抜けるような声。その太陽のような勢いに、俺は苦笑を浮かべながら応えた。


「ああ、海の家だろ?」


──海の家。


神鳴町に住む小中学生なら、野外学習で誰もが一度は訪れる定番の施設だ。飯盒炊爨はんごうすいさんでカレーを作ったり、海水を煮詰めて塩を作ったり。そんな、どこか義務的で、集団行動の記憶が染みついた場所。


だが、今回俺たちが向かうのは、そんな学習施設としての一面とは少し違う。申請さえすれば、夏休みの期間中、自由に宿泊施設として利用できるのだ。いわば、知る人ぞ知る穴場の旅行スポットというわけだ。


ここ数日、あまりにも山での出来事が続きすぎた。


神に、呪いに、幽霊に。息苦しいほどの闇に遭遇し続けた俺たちにとって、今は少しでも、あの場所から離れる必要があった。だからこそ、この旅行の目的地が『海』に決まった時、俺は心の底から賛成したんだ。

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